黙示録の怪鳥

ニューメキシコ州:ロズウェル近郊



 9月下旬。高度4万フィート近い成層圏を、巨大なる銀翼が駆け抜けていく。

 近隣に居住する合衆国市民にとってみれば、まったく見慣れた光景だと言えた。誰の目にも明らかな通り、飛翔しているのはボーイング社の最新鋭爆撃機たるB-29。欧州や太平洋の戦場において過酷な任務に就くであろうそれが、訓練や空輸のため上空に現れることなど、珍しくも何ともなかったのだ。


 ただ航空機に関する知識をそれなりに有している者であれば、相違点に気付いたりもする。

 確かに機体の形状などは、従来のB-29とほぼ変わらなかったが、かの機は蒼穹に6筋の飛行機雲を棚引かせていた。つまりはエンジンを余計に2基搭載しているということで、双眼鏡でもってつぶさに観察してみると、速力がやたらと出ていることも分かった。恐らくは380ノットを超えているだろう。


「とすると……ジェットエンジンを追加した改良型じゃないかな」


 根っからの飛行少年で設計技術者を目指しているエリックは、かの如く推定した。


「所謂ハイブリッド動力機という奴で、敵地上空でジェットを使って加速し、高速爆撃をやるに違いない」


「おッ、そうなのか?」


 高校の同級生のハインツが、興味深げに聞き返す。

 新型機を真っ先に見つけたのは、実のところを言うならば、視力良好で陸軍航空隊志望の彼の方であった。


「なかなか凄そうだ。ナチ助どものより速いか?」


「流石にそれは無理だと思う。あっちは純粋なジェット機だ」


「えッ、それじゃ駄目じゃんか」


「ハインツ、速いか速くないかでしか判断できないようじゃ、採用試験に合格できないって」


 エリックは相変わらずだと苦笑し、ちょっとした講釈を垂れ始めた。

 曰く、爆撃機が戦闘機より遅くとも、彼我の相対速度差が小さくなれば、襲撃できる回数もまた少なくなる。故にジェットエンジンの追加は、爆弾搭載量とトレードオフかもしれないが有効との理屈で、実のところ友の助けがないと数学の単位が怪しいハインツも、それで一応の納得は得たようだ。


「だけど何だ、根本的な解決になってなくないか?」


「銀の弾丸なんてない、何だって同じだよ」


「いや、だってだぜ? 元はといえばナチ助どものジェット戦闘機を相手に、護衛のP-51とかがまともに戦えないから、やたらと損害が増えている訳で……」


 そう言いかけたところで、ハインツは唐突に空を見上げた。

 いったいどうしたのかと尋ねると、彼は無言で空の一角を指差す。エリックはすぐさまそちらへと双眼鏡を向け……暫しの捜索を行った後、予想だにしなかったものを発見した。





 1945年も後半となってくると、ドイツ本土上空はほとんど地獄と同じ意味となっていた。

 天空の覇者とでも言うべきジェット戦闘機が、これでもかというくらい犇めくようになっていたがためだ。パリでの包囲殲滅戦をもって、欧州における覇権をほぼ確実なものとしたヒトラー総統は、その翌月に絶対的制空権の確立を自信満々に宣言。それに対する意趣返しとして行われたベルリンへの夜間高速爆撃は、出撃機の3割が未帰還という、信じ難いくらいの惨敗に終わった。


 かような苦境の中で先行量産され始めたのが、最新鋭のB-29Eである。

 4基の心臓を3000馬力のR-4360に換装し、何処かの飛行少年が分析した通り、増速用のジェットエンジンを両翼から吊るしている。これでもって成層圏を400ノット弱で飛翔し、あらゆる迎撃網を掻い潜って爆撃を敢行するという意欲作だ。航続距離や爆弾搭載量、何より稼働率が低下するという問題点はあったものの、アーノルド大将が直々に視察にやってくるなど、陸軍航空軍からの期待は絶大だった。

 そして奇妙さを覚えてしまうくらい、実戦投入が急がれているようだ。第509混成部隊所属のイズリー少佐は、飛行訓練に従事しながら、そんな気配を感じていた。


「ロイヤルフラッシュ、こちらフリップナイツ」


 航空無線より、まったく命知らずな声が飛んできた。


「全機発進に成功、これより護衛を開始する」


「ロイヤルフラッシュ了解。それじゃ、よろしく頼むぜ騎士サン方」


 イズリーは陽気に応じる。

 それから暫くすると、愛機の左右に戦闘機が2機ずつ並んだ。先のフリップナイツに他ならず、精鋭達が駆るプロペラなしの猛禽は、最新鋭のP-80シューティングスター。6月頃から欧州戦線へと投入され、Me262を相手に互角の戦いを繰り広げている傑作機で、実戦でもそれらが随伴してくれるならば、言うことは何ひとつなさそうだ。


 だが率直にイカれているのは、それらがつい先程、飛行を開始したという事実である。

 つまるところフリップナイツは空中発進したのだ。敵国の奥深くまで侵攻する爆撃機を援護するため、一部の機体を改造してその胴体に戦闘機を括り付け、敵機が襲ってくる直前に切り離す。実のところ何十年も昔から存在するが、概ね机上の空論と評価されてきたアイデアが、ここに来て芽を出してしまったという訳だった。


 そうして守護騎士たらんとするP-80は、Me262を演じる同型機と模擬戦へと突入する。

 蒼穹に縦横無尽の飛行機雲が描かれる中、イズリーは愛機を猛進させ、緩降下で増速しながらの爆撃へと移行した。高高度より高速投下したのは、重量5トン超の特大爆弾。技術の粋を結集した横風補正装置を搭載しているとのことだが、これまた空力学的に意味不明なカボチャ型をしていて、あまり高い命中率は期待できそうにない。それでも目標撃破との判定を得られたのは、これまでに積み重ねた1800時間を超える飛行経験と、爆撃手たるウェイ軍曹の腕前が故だろう。


「うむ、随分と上手いものだ」


 傲慢不遜といった風の称賛が、コクピット後方より響いてきた。

 第509混成部隊を率いるティベッツ中佐だった。自ら操縦桿を握りもするこの男は、クルーの腕前を直接確認したいのだろうか、このところ訓練飛行にやたらと同乗してきていた。


「この分ならだ、イズリー少佐。合衆国を大勝利に導く一大作戦の先駆けは、このロイヤルフラッシュのクルーに決まるかもしれない。栄光はもうすぐだ、気を抜かず努力したまえ」


「その、中佐、よろしいでしょうか?」


 躁かと思えるほど機嫌のよい上官に対し、イズリーは怪訝な面持ちで口火を切る。


「正直に申し上げまして、戦況はそれほど楽観できるとは思えません。海軍にいた自分の兄はついこの間、マリアナ沖で名誉の戦死を遂げましたし……サイパンの戦いでも、海兵隊が2度も海へと追い落とされたと報じられております。欧州については言うまでもなくナチの天下。あまりこのようなことを口にするべきではないと理解してはおりますが、合衆国を大勝利に導く一大作戦と言われましても、この状況では小学生の戯言のように聞こえてしまいます」


「うん……まあ知らないんじゃ、そんな具合の反応にもなるか」


 ティベッツは横柄に言い放ち、


「とはいえ実際にあるのだ、ここから世界大戦の盤面をひっくり返す方法がな。この509混成部隊はそのために編成された訳だし、俺も勝利を勝ち取るべく指揮官になった。そうでなかったらこんなところでのたくってはおらん」


「最新型が配備されているとはいえ、我々の手許にあるのはフリップナイツを含めても40機弱。ベルリンの総統官邸に誘導カボチャ爆弾を叩き込み、ヒトラーを爆殺するとでも?」


「ほう、それもまた面白そうな案だな。作戦に混ぜてみるのもいいかもしれない」


「ええと、中佐……?」


 イズリーは眉を顰め、副操縦士のウェザリー中尉と顔を見合わせる。

 早急に精神病院へと送った方がいいような誇大妄想人間が、どうしてか中佐の階級章を付け、支離滅裂な言動を垂れ流しまくっているのではないかとすら思えた。ドゥーリトル中将がパリ陥落直後に不定の狂気に陥ったのは有名であるし、海軍にも負けが込んでおかしくなってしまった提督もいるとの話だから、その類なのではないかと疑いたくなった。


 だが――ティベッツは何処までも正気で、かつ軍事科学的な確信を有していた。


「まあ、あと1か月といったところかね。あと1か月もすれば、君達にも任務の詳細が伝わるだろう。その日は間違いなく来るから、それまでは操縦技量を高めることにのみ集中すればいい」


「は、はあ……」


 異常な世界観に巻き込まれるのは御免被る。イズリーは思考を巡らせるのを止め、言葉通り操縦に集中することとした。

 ただそうした中、ふと砂漠の一角へと視線をやると――妙竹林なクレーターが目についた。それを形成した100トン超の爆薬が、如何なる理由で運び込まれ点火されたかなど、今の彼には理解できるはずもなかった。

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