欧州本丸作戦②

タウヌス山地:総統大本営



 第二次世界大戦の謎とされるものの1つが、忽然と姿を消したパットン大将の行方である。

 第12軍集団司令部として用いられていたヴェルサイユのトリアノン宮ホテル。ドイツ軍のK12列車砲が放った21㎝砲弾が奇跡的な低確率を潜り抜けてそこに命中し、建物に巻き込まれて戦死したというのが歴史の定説ではある。しかし彼の遺体はさっぱり発見されず、更に複数の生存者が証言したところによると、そもそも外出中だったというのだ。


 そのためこの怪事件については、やたらと奇論が飛び交ったりする。

 当時スコルツェニー中佐麾下の特殊部隊がパリで積極活動中であり、司令部の所在を伝達したのがまさに彼等であったことから、ドイツ軍に誘拐されたという説は有力だ。他にも瓦礫が頭に当たって記憶喪失になったとか、国際何とか資本の陰謀だとか喧しい。挙句の果ては、


「目が覚めたらそこはカルタゴだった」


「異世界パットン軍団奮戦す」


 などという軽文学作品が半世紀以上の後に執筆され、妙な人気を博したりしたほどだ。


 それはともかく――ドイツ軍にとっては千載一遇の好機に他ならなかった。

 事実、ヒトラー総統は報告を受けるや否や狂喜。フランクフルト北方に設置された総統大本営にて、出鱈目に甘いケーキをパクパクと貪った後、陸空軍の元帥達を招集したのである。


「諸君、驕れる米英に鉄槌を下す時が遂に来たのだ」


 ヒトラーは恍惚とした様子で天井を仰ぎ、


「無理をして占領地を広げてきた敵軍は、ここにきて最重要の司令官を失い、その指揮系統は混乱の極みにある。ならば回復と再編のための時間を与えることなく杭を打ち込み、亀裂を一気に拡大させ、士気を粉々に破砕すべきことは明白だ。故、余は現在準備中のボーデンプラッテ作戦およびの3日間の繰り上げを求めたい。年が明けて最初のめでたき朝に、民族の今後1000年を決めるための一大攻勢を発起するのだ」


「はい総統閣下、光栄であります」


 太り肉のゲーリング国家元帥が、例によって条件反射的に声を上げる。


「隠忍自重の甲斐あって、我が空軍は始まって以来の戦力を有しております」


「うむ。頼もしい限りである」


「作戦発動の暁には、ジェット機500機を含む3000機の全力出撃でもって航空撃滅戦を実施。必ずや圧倒的制空権を確保してご覧に入れましょう」


「素晴らしい。西方総軍としてはどうかね?」


「また再びアルデンヌ電撃戦の指揮を執れる、未だ北フランスの海岸線で梃子でも動かぬ頑張りを見せている友軍と手を取り合える。その喜びに打ち震えている次第で」


 独ソ開戦以降、更迭と復帰を繰り返しているルントシュテット元帥もまた上機嫌。

 紆余曲折を経て西方総軍司令官となった彼は、実際かつての栄光を記憶に昇らせているようだ。


「とはいえ敵の空軍力はかつてとは比べ物になりませぬ。戦闘爆撃機が戦車をしつこく狙ってくることに加え、爆撃機が橋や駅を叩きにきます。万全の制空権なくば、電撃的なる作戦計画も破綻を来しかねません」


「余もその懸念はもっともだと考える」


 物言いたげなゲーリングの機先を制し、ヒトラーは肯く。

 それから副官のブラント大佐に耳打ちし、関係各所への連絡のため走らせた後、クリスマスの玩具を見せびらかせる童子の如き満面の笑みを浮かべる。


「ゲーリング……我が第三帝国が誇る戦略打撃部隊を、君に預けようと思う」


「おおッ!」


 決断的なる言葉に、会議室に集っていた者達がざわめいた。


「まさしくここが正念場である。全身全霊を込めたる強烈無比な一撃をもって空を我等がものとし、是が非でも米英上陸部隊を北フランスにおいて殲滅するのだ」





ケント州:ドーバー近郊



 戦時であれば当然、正月もクリスマスも関係なくなってしまう。

 とはいえ年明け早々に、英国本土が大規模な空襲に見舞われるとは思わなかった。ドイツ軍占領下のベルギーやオランダから多数のV-1飛行爆弾が連続発射され、ロンドンへと押し寄せてきたのである。しかもその数は時間経過とともに増えつつあった


 そのため米英のパイロット達は、新年を楽しむ間もなく愛機に飛び乗ることとなった。

 相手は300ノットちょっとで巡航する、無人機故に直進飛行しかできぬ存在であるから、スピットファイアの最新型やP-51マスタングD型などであれば何とか追い縋れる。警報が発せられるなり緊急発進していった幾多の迎撃機は、管制官の指示する目標へと接近し、機銃でもって撃墜あるいは主翼をぶつけて叩き落すなどしていく。


「だが、きりがないな……」


 P-51Dを駆るグッドウィン大尉は、墜落しつつあるV-1を眺めて呟く。

 飛行経験豊富で老練な彼は、今日だけで既に3機を撃墜していたが、流石に疲労困憊の色を隠せなくなってきていた。


 加えて機銃弾、燃料ともに、かなり残量が心許なくなってきている。

 何しろ既に4時間も空中哨戒と迎撃をやっているのだ。航空無線で問い合わせてみると、各機とも似たような状況。飛行爆弾の脅威はまだ続いているとしても、そろそろ一旦降りた方がよいと判断できそうだった。


「キャメロット、こちらヴァルチャー1。そろそろ限界だ、帰還の許可を」


「駄目だ。たった今、レーダーが新たな敵機数十を捉えた。かなり速い」


「何だって!?」


 グッドウィンは思わず呻く。正直、嫌な予感しかしなかった。


「ヴァルチャー隊、すまないが迎撃に向かってくれ」


「了解。キャメロット、誘導頼む」


 グッドウィンは指示を乞い、それから猛烈な胸騒ぎを覚えた。

 彼の感性はまったく精確だった。敵機は高度2万5000フィートを350ノットで飛ぶ、あからさまなジェット機だったのである。


「糞ッ、今までのは全部囮ってことかよ」


 忌々しげに毒づきながら、何とかP-51Dを交戦空域へと持っていく。

 だが懸命の努力は徒に終わった。最新鋭ジェット爆撃機のAr234と思しき敵機の群れは、そこから更なる高速性能を発揮して400ノットに到達。そうして完璧なまでに迎撃を振り切り、ロンドンの玄関口たるクロイドン空港へと突き進んでいった。


 その時点でグッドウィンにできたのは、輸送機の大群が爆発炎上するのを、ただ指を咥えて眺めることくらいだった。





仏白国境地帯:アルデンヌの森



「奴等、もう勝った気でいやがる」


「よろしい。ならば教育してやろう」


 ボーデンプラッテ作戦発動の直前、戦車エースのヴィットマン大尉は、憮然とするヴォル軍曹にそう言ったという。

 このやり取りがあまりに有名になってしまった関係で、フランス北東に展開していた連合国軍は弛緩し切っていたと見られることも多いが……実のところそれは事実に反する。むしろ彼等はドイツ軍の反撃を相当に警戒していた。土木建機と人力の全てを投じて陣地を構築し、持てる限りの火力を据えるなど、機甲突破を許さぬ構えを取っていたのである。


 ただ先のような俗論が絶えぬのは、やはり無残な潰走が故だろう。

 最も大きな敗因を挙げるとすれば、それは制空権の喪失に他ならない。飛行爆弾とロケット兵器を盛大に見舞った後、ジェット機部隊を先鋒として熾烈な航空戦に打って出たドイツ空軍は、米英がその規模を見誤っていたことも相俟って、見事その目標を達成することに成功した。結果、最前線にあった米陸軍第7軍は予期せぬ集中爆撃に晒されて大混乱に陥った後、満を持しての進撃を開始した第6武装親衛隊装甲軍によって蹴散らされてしまったのだ。


 そして装甲戦闘団を率いて彼等を貫いた1人であるパイパー中佐は、些か奇妙なことに気付いた。

 米陸軍は素人集団めいたところがあるが、その機械力にものを言わせ、不利を悟るとさっさと後退してしまったりする。アルジェリアやチュニジアでの戦いでは、かような戦訓が得られていたのだが――どうした訳かイルソンからサン=カンタンに至る街道には、大量の軍用車輛が乗り捨てられていたのだ。


「中佐、どれもタンクが空かそれに近い状態でした」


 小休止の最中、副官が調査結果を取りまとめて報告する。


「ガソリンが入っていれば、ありがたく頂戴できたのですが、残念です」


「そうか。まあ致し方あるまい」


 パイパーは肯き、それから少しばかり思案した。

 アメリカといったら世界の原油の6割だか7割だかを産出し、更に船舶も車輛も信じられないくらい量産する金満国家に違いない。にもかかわらずその陸軍部隊はガス欠に陥ってしまい、将兵はせっかくのジープやトラックを放棄してしまうのだから、違和感以外抱きようがなかった。


(あるいは……)


 もしかすると本当に、敵の補給線が伸び切っているのかもしれない。

 実際、要港を擁するシェルブールやルアーブルでは、友軍が未だに頑張っているとのこと。であれば物量を誇る米軍とて、物資や燃料を効率的に荷揚げできず――末端の部隊が凍傷でやられた手足の指のようになってしまうこともやはりあり得る。


 対して我が方の燃料事情はといえば、給油を受けて満タンとなったばかり。

 麾下の勇壮なる車列をしかと眺める。多数のⅤ号戦車パンターに装甲擲弾兵を乗せたハーフトラック、Ⅳ号戦車改良の自走砲。最強のケーニヒスティーガー重戦車は後方にあって見えないが、これだけ揃えば何処まででも突き進んでいけそうだ。


「いや……先程の件だが、残念ではなさそうだ」


 結論を得たパイパーはニマリとし、


「敵のトラックやジープがガス欠なのは、補給難に陥っているが故。総統閣下はこの状況を読まれていたに違いない」


「な、なるほど。流石は総統閣下、何たる卓見」


「うむ。であればこの好機、逃す訳にはいくまいて」


 パイパーは獰猛に目を輝かせ、進軍速度を更に速めよと命じた。

 結果、彼の戦闘団は予定より早くサン=カンタンの街へと突入することに成功した。更に快進撃の途上、撤退中の米陸軍第4歩兵師団を散々に蹂躙し、それらと合流するはずだった補給列段を丸ごと1つ分捕ってしまったのだから、神あるいは悪魔が味方していたという評にも肯ける。

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