欧州本丸作戦③
ベルギー:リエージュ近郊上空
年が明けるや否や始まったドイツ軍の大反攻。連合国軍はその規模を完璧に見誤っていた。
アルデンヌの森より出現し、疾風怒濤の進撃を始めた機甲軍団の先鋒は、僅か1週間でアミアンにまで到達していた。その100マイルほどの間にあった米英加の十数個師団は瞬く間に壊滅状態に陥り、既に幾つかは降伏したという。あるいはそこまでではないとしても、重装備を悉く失った敗残兵の群れが、かつてのダンケルクめいて海岸線に追い詰められているのが実情だ。
無論、その間に手が打たれなかった訳ではない。
特に被害のほぼなかった英本土の戦闘飛行隊は、ただちに北フランス上空での制空戦闘へと打って出ていた。確かにそこは信じ難い性能を誇るジェット機の出没する悪魔的な空域で、相当数の犠牲が生じたのもまた事実。それでも数量にものを言わせ、勇猛果敢なる出撃を繰り返したパイロット達は、早くもドイツ空軍の優位を相対的なものへと変えていたのである。
そしてどうにか確保された空中回廊を経由して、何百という数の米英の爆撃機が欧州大陸へと侵入し始めていた。これまた多数の護衛を揃えた、白昼堂々の大作戦だ。
「よし……目標までもうすぐだ」
B-17の機長を務めるモーガン少佐は、陽気な声で内なる恐怖をかき消す。
愛機"ボーン・セブン"の胴内に24発も搭載された500ポンド爆弾。それらを見舞う先は、ベルギー東部のリエージュなる街。
「少佐、先頭集団が投弾を開始しました」
「おう、やっちまえ」
副操縦士の報告に、モーガンもまた快活に応じた。
一応、ベルギー人は運がないとも思った。今次大戦でも前の大戦でも、彼等の国土は道路にされてしまった。地政学的宿命という奴なのかもしれないが、まったく理不尽という他ない。
とはいえドイツ軍が激烈なる反攻作戦を繰り広げており、リエージュ駅が重要な補給拠点となっている以上、連合国軍としても爆撃せざるを得ないのだ。
流れ弾で犠牲になる市民も多く出るだろうが、自由なベルギーを取り戻すための作戦でもあるから、必要な犠牲と我慢してもらうしかなかった。
「その意味では……」
合衆国に生まれた自分は幸福だ。そう零そうとした矢先、途方もない寒気が迸った。
反射的に前方を凝視し――暫しの後、モーガンはゴクリと固唾を呑む。先行する爆撃飛行隊が高射砲の猛射に晒され、B-17が次々と黒煙を吹き上げる。被弾機数が尋常でなかったのだ。
「少佐、これって……?」
「ナチ野郎どもも、近接信管を実用化したんだろう」
戦慄を押し殺しながら冷静に分析し、
「ともかく、気合入れていくぞ!」
モーガンは雄叫び、操舵輪を強く握り締める。
東京の沖で日本軍機多数を撃墜したという新兵器。科学に長じたるドイツ人が同種のものを実用化したとしても、別段不思議でもなかろうが――直後の激烈な電波照射という形で、脅威は酷く現実的なものとなっていた。
そしてこの日のモーガン達は、運に恵まれてはいなかった。
連合国軍が延べ数千機もの大型爆撃機を投じて実施した、ベルギー一帯に対する大規模航空阻止攻撃。重要な橋梁や物資集積所、操車場などに相当の打撃を与えるのと引き換えに生じた、数百機分の未帰還機リストの中に、"ボーン・セブン"の名が刻まれていたのである。
ドーバー海峡:ディエップ沖
「おおッ、敵艦がより取り見取りだ」
潜望鏡を覗き込むや否や、ピッチ少佐は歓喜に震えた。
旧式ながら戦艦すら含んだ艨艟の群れが、くっきりとレンズに映っていた。ディエップに孤立した連合国軍数十万の撤退を援護するため、揚陸船団に先駆けて現れた火力支援部隊に違いない。
そうした水上艦戦力の撃滅こそ、ピッチに与えられた任務に他ならなかった。
これが通常のUボートでの出撃であったら、ただの自殺行為になっていただろう。米英海軍の対潜哨戒はそれほどに厳重なのだ。だが彼が新たに任されたU-3156は、大量の蓄電池を搭載したXXI型。革新的なまでのその性能は、20時間近い水中航行の最中、一切敵の接触を受けなかったことからも明らかだった。
「ここまで来れたのも、未だ気取られていないのも驚きです」
長らくUボートに乗ってきた曹長もまた上機嫌で、
「英戦艦を沈めておった頃を思い出しますな」
「確かにこの艦なら、泊地攻撃もやれそうだ。戻ったら具申してみよう」
そう言って不敵に笑みつつ、まず直近の目標を選定していく。
目星をつけたのはニューヨーク級と思しき戦艦。距離1500メートルほどをゆったりと航行するそれは轟然と咆哮し、フランス沿岸に鉄の雨を降らせている。その下にあるのは友軍であり輝かしい未来がある若き勇者達であるかと思うと、まったく居ても立ってもいられない。
「あいつをやる。魚雷戦用意」
ピッチは決断し、潜望鏡を年季の入った曹長に任せた。
すぐさま頭の中で魚雷諸元を概算し、副長が計算装置を用いて算出したそれと齟齬がないかを確認する。問題なし。潜水艦乗りが最も感極まる瞬間は目の前だ。
「魚雷戦用意よし」
「一番から六番、撃てッ!」
発令。圧搾空気が魚雷を連続射出していった。
トーペックスなる爆薬を積載したるそれらが敵艦の舷側を食い破る瞬間を目視したくはあるが、まず艦と乗組員の安全が最優先。ピッチはただちに急速潜航を命じ、U-3156は大量の海水を飲み込んで沈降する。
「さて、そろそろか」
「はい……あッ、命中、また命中!」
水測員の顔が見る見るうちに紅潮し、
「艦長、魚雷3発命中です!」
「よし。撃沈確実だ」
吉報に誰もが相好を崩し、艦内を万感の想いが駆け巡る。
そうしてU-3156は150度転針し、深度50メートルの海中を12ノットという大速力で驀進した。それが更なる戦果拡張に向けての運動であることは言うまでもない。
ロンドン:欧州遠征軍司令部
「ともかく、5割弱は救い出せたんだな……?」
信じ難い苦境の中、アイゼンハワー元帥は沈痛なる面持ちで念を押した。
海軍部隊を統べるラムゼー大将がおもむろに肯く。ディエップ、ベルクの両海岸線に落ち延びていた20万の将兵を救助すべく、水陸両用部隊は決死の作戦を敢行。高性能Uボート群によって戦艦と重巡洋艦を1隻ずつ、それからビーチング可能な揚陸艦を1ダース半ほど喪失しながらも、どうにか9万人の収容が完了したとの報告があったのだ。
だが残り半分に関しては、もはや絶望的としか表現しようがない。
殿軍を務めていた英陸軍第11機甲師団はほぼ壊滅状態で、日没と同時にドイツ軍の戦車部隊が突入してくるものと予想された。今もロケット弾を抱いた戦闘爆撃機が対地攻撃を繰り返し、また爆撃機隊がベルギーの補給拠点を叩きまくってはいるものの、その衝力を減殺させられそうにはなかった。
とすれば――フランス北東部で戦死あるいは捕虜となる者の総数は、25万にも達してしまうだろう。アイゼンハワーはその意味するところを想像し、あまりにも悍ましいので、意図的に己の感性を麻痺させた。
「休養と再編を急がせろ。戦える部隊は全てノルマンディーに上陸させ、ルーアン防衛に当たらせねばならん」
「それでしたら、元帥」
尋ねてきたのは参謀長のスミス中将で、
「パリ方面から兵力を抽出しては如何でしょうか? 枢軸軍は南からも攻勢を開始しておりますが、あからさまな陽動です」
「前も言った通り、そちらは動かせん」
「どうしてもですか?」
「ああ。大統領命令だ」
可能なら自分もそうしたいが。心中でそう思いつつ、何度目か分からぬ意見具申を退ける。
解放されたばかりの市民達と自由フランス軍を見捨てることなどできない。パリが陥落した場合、連合国軍そのものが瓦解する可能性まである。秘話装置越しにルーズベルト大統領はそう繰り返し、嫌になるくらい政治的だった。
あるいは参謀長は、独断でもってそれを排せと言いたいのかもしれない。
確かにそれは魅力的な選択肢にも思えた。ここから巻き返しが図れたとしても、空前絶後の大損害が生じてしまった以上、自分は近々解任されるだろう。であれば最後に軍事的合理性のある判断を下し、ブラッドレー中将の引き継いだ第12軍集団が丸ごと包囲されるという最悪の結末を回避させてから、軍法会議にかかればいいという訳だ。
(だが……それもまた難しかろう)
アイゼンハワーは峻厳たる面持ちで、改めて結論付けた。
戦場の将軍は必ずしも君主の命令に従えないという意味の諺が東洋にはあるらしいが、それは通信技術が未熟だった古代の産物であり、現代の民主主義国家たる合衆国に当てはまらぬのは言うまでもない。加えて大統領の意に背こうものなら、自分は即座に憲兵によって拘束され、欧州遠征軍の指揮統制は更なる混乱に見舞われてしまう。そうなってはドイツ軍の思う壺、今はそう考える他ないのだった。
「しかし……パリ、厄介な都市だ」
机上の地図のそこを見やりつつ、アイゼンハワーは苦虫を噛み潰す。
当時から懸念していたことではあるが、パリがあまりにも呆気なく陥落したのは、ドイツ軍がこの状況を見越していたからだろう。ナポレオンのモスクワ遠征と似たようなものだ。ちょび髭総統が腹を抱えてゲラゲラ笑う様子が幻視され、形容し難い不快感が込み上げる。
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