マレー沖大捕り物①

南シナ海:コタバル沖



「あのフネを旗艦になどできん、アーパー病が伝染っては困るからな」


 小沢治三郎中将がかような暴言を吐いたかどうかは定かではない。

 ただ少なくとも、マレー上陸部隊の旗艦が重巡洋艦『鳥海』から動く気配がなかったことだけは確かだった。指揮通信設備の充実度合いだけで考えたならば不合理な話で、将官達から『天鷹』が信用されていないことの証左にもなる。


 ただそうであっても、航空母艦が艦隊に随伴していることの威力は絶大だった。

 マレー半島はコタバル沿岸に陸軍部隊が次々と取り付く最中、少数の英軍機が襲ってきたこともあったが、直掩の九六式艦戦がそれらを捕捉、あっという間に追い散らしてしまった。艦攻隊も負けじと爆弾を抱いて発艦し、厄介極まりない水際陣地を反復的に攻撃、進撃を大いに助けたりもした。ついでに艦尾扉から大発動艇を発進させて物資やら車両やらを一気に陸揚げし、ついでに艦首の15.2㎝連装砲をぶっ放していったから、まったく万々歳というものだろう。

 そうしてコタバル飛行場は開戦初日に陥落し、輸送船の被害も至近弾1発を受けたのみ。非の打ちどころのない上陸作戦、誰もがそう絶賛する他ない結果だった。


 だが機動部隊主力が開戦劈頭に何をなしたかが明らかになるや、血気盛ん過ぎる搭乗員達は友軍の大戦果に万歳三唱をした後、急速に荒れ模様となっていった。


「うがァ!」


「くとぅん! ゆふ!」


 意味不明だが良からぬものが顕現しそうな気配のある絶叫が、次から次へと木霊する。

 言うまでもなく、真珠湾攻撃の戦果が伝わり始めた結果だった。南雲忠一中将率いる機動部隊は米太平洋艦隊主力を痛撃し、停泊中の戦艦4隻を撃沈、更に4隻を撃破したという。何故自分達はそちらに加われなかったのかと、若輩の飛曹から飛行隊長の大尉までが怒鳴りまくり、手の付けられないあり様となってしまった。


「かくなる上は、我等が手で英極東艦隊を粉砕する以外ない!」


 とうに鉱油エビ天の健康被害から回復した打井少佐が、破片や残骸で散らかった待機所にて、渾身の力を込めて獅子吼する。


「ともかくも戦艦が航空機によって撃滅可能なことは、まったく気に食わぬ限りではあるが、真珠湾で証明されたのだ。ならば我等が総力をもって英戦艦を撃沈するのだ。1隻でも撃沈できれば、戦果としては釣り合いが取れる。2個中隊の反復雷撃をもって、どちらか1隻を血祭りにあげてしまいたい!」


「そうだ、やってやる!」


「いまに見ていろ英極東艦隊全滅だ!」


 誰もが拳を振り上げ、明日以降の大航空戦に思いを馳せた。

 開戦と同時に上陸作戦を敢行した訳であるから、英国海軍も反撃を試みるだろう。航行中の戦艦への雷撃となると難易度も跳ね上がるが、皆そのための訓練を積んできたのだ。問題などなかろうと搭乗員達は意気込む。


「だけどうちのフネ、航空魚雷を6発しか積んでないんだよね」


 ぼそりと水を差すような台詞が発せられた。

 飛行長という要職の割に、やたらと影の薄い事で知られる、スッパこと諏訪志能武少佐である。


「しかも2発は調整が上手くいかないし……魚雷整備長がマラリヤで寝込んでるし」


 それが純然たる事実だったことを誰もが思い出した。

 フィリピン方面の戦いは対地支援が中心になるからと、航空魚雷をあまり積まずに来たのである。しかもその直後に『インドミタブル』のシンガポール回航が報じられた結果、泥縄式にマレー部隊配属となったものだから、対艦攻撃力がまったく不足したままだったのだ。


 全員が何とも気まずそうに顔を見合わせ、一瞬だけ場が静かになる。

 格納中の25番爆弾が誘爆したような大騒動になったのは、それから間もなくのことだ。


「何てこった! 流石に4発じゃどうにもならんではないか!」


「小沢長官の馬鹿野郎! ポンコツの脳足りん!」


「いやいや落ち着け、自爆を覚悟で全部当てれば沈むはずだ。断じて行えば鬼神も退治できる!」


「喫水線の下に当てなきゃ意味がない、畜生どうしたら……」


 皿だの水筒だのが片端から投擲され、落下傘袋がサンドバッグになっていく。

 だがどれほど悔しがってみたところで、航空魚雷の数は増えたりはしない。僚艦に融通してもらおうにも、マレー上陸部隊に航空母艦は『天鷹』ただ1隻のみ。どうしようもなく八方塞がりだった。


「戦艦が厳しいとなったら……航空母艦を沈める他ないかもしれんな」


 打井は盛大に憤りながらも、辛うじてそう結論付けた。

 思い出してみれば、出撃前に航空母艦は最優先で叩けと、小沢長官が口酸っぱく言っていたような気がした。ただ必殺の航空魚雷は貴重品であるから、戦法を工夫する必要がありそうだった。例えばまず爆弾で艦隊を叩きのめし、対空砲火を封殺した上で、ゆっくり慎重に雷撃をすればいいだろうか。


「まあそれよか、とりあえず索敵だ。見つからんことには沈めようがないから、見つけた後に考えよう!」





南シナ海:シンガポール沖



「これは正気か、それとも罠か」


 航空母艦『インドミタブル』の艦長たるハロルド・モース大佐もまた、艦橋にて優雅に頭を抱えまくっていた。

 艦載機の補充がまともにできぬまま、出撃することとなりそうだからだ。特に地中海沿岸ではドイツ空軍との熾烈な戦いが続いており、そちらに航空機が取られてしまうのは仕方ないとしても――定数の半分未満しか積まずに戦に出るなど、相手が出っ歯で眼鏡の有色人種相手だろうと、やはり正気の沙汰とは思えない。

 生まれる前の話ではあるが、ライフル銃と火砲を備えた軍勢が、槍と盾しか持っていないアフリカ原住民相手に大損害を出したこともあるのだ。


 付け加えるならば、艦載機は評判の芳しからぬ機体ばかり。

 主力戦闘機として12機が搭載されているフェアリー・フルマーなどは、重武装かもしれないが重量も1万ポンド近い鈍重な機体で、そもそも戦闘機なのかすら疑わしい。雷撃機のアルバコアに至っては複葉機であり、前代のソードフィッシュより酷いと陰口を叩かれるほどで、しかも6機しか積まれていない。

 これから日本の航空母艦やインドシナに集結中の長距離爆撃機と戦うとなると、嫌な予感しかしなくなってくる。


「艦長、心配のし過ぎではありませんか?」


「うん、そうかね?」


「ええ。ロールスロイスとダットサンじゃ全然違うでしょう」


 セレター軍港を出てからというもの、副長は相変わらずそんな調子だった。

 真珠湾が大損害を受けたという話についても、それは植民地人が例によって大雑把であるからだと断じている。これで正式に対独戦に加わるのだから万々歳と、彼は心底浮かれ調子だ。


「まあちょっと攻撃力という点では心許ないですが、レーダーも積んどりますし、艦隊防空には支障がありません」


 副長は自信満々に言い、英国本土の戦いを引き合いに出す。

 人類の歴史の中で、かくも少数が、かくも大勢を守ったことはない。チャーチル首相の名言であるが、それと同じように押し寄せる敵機を片っ端から撃滅し、艦隊を守ればいいと続ける。

 まあ航空母艦の運用方法としては、理にかなったものには違いない。打たれ強さでは負けぬ艦でもあるのだから。


「ともかくも我々は空を守りながら、上陸地点に向かって全速前進すればいいかと」


「あとは戦艦が何とかしてくれるか」


 モースは不敵に笑い、嫌な予感を払拭した。

 確かに戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』は14インチ砲艦だが最新鋭だし、巡洋戦艦『レパルス』は15インチ砲を6門搭載している。金剛型2隻と砲門数では等しくなるが、何せ相手は艦齢30年近いオンボロなので、艦隊戦となれば負ける要素もあるまい。

 日本帝国自慢の水雷戦隊には注意しなければならないが……やはりそこは航空機を上手く使うのがよさそうだ。上空をブンブンと航空機が飛んでいては、突撃もままならないだろう。


「とはいえ……もう少し何とかならんものかな」


 艦隊直掩のため発艦したフルマーが、よたよたと空を昇っていく様を眺めながら、モースは愚痴をこぼした。

 フルマーの海面高度での上昇率はといえば、1分に400メートル程度と、救国戦闘機たるスピットファイアの半分未満でしかない。これで英本土の戦いの再演などできるのかという懸念がまたも首をもたげ、暫くしてそれは顕在化し始めた。


 艦のレーダーが機影を捉え、航空無線でもって迎撃管制を行ったにもかかわらず……索敵にやってきた日本機を捕捉することができなかった挙句、盛大に位置を打電されてしまったのだ。

 どちらがロールスロイスでどちらがダットサンなのか、これではさっぱり分からない。

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