マレー沖大捕り物②

南シナ海:コタバル沖



「いいか、目標は敵空母だ。戦艦じゃなくて空母、分かったな!?」


 暖気中のエンジン音に引けを取らぬ大音声で、艦長の高谷大佐は訓示する。

 勇猛果敢で命知らずなことにかけては右に出る者のない搭乗員達は、直立不動の姿勢を整然と保ち、目を強烈にぎらつかせながら聞いていた。世界に冠たる英国海軍との戦闘であるから、恐らく全員が揃って帰ってくることなどあるまい。それでも航空攻撃を見事に成功させ、赫々たる大戦果を挙げんと皆が意気込む。


 なお彼等の顔は元々いかついが、今日は更に凸凹になっていたりする。

 雷撃隊の面々が揃って、井尻軍医が言うところの"戦艦を沈めたくて仕方ない病"に罹った結果だった。あまりにそれが猖獗を極めたもので、高谷が戦闘機隊の荒くれどもを巻き込み、一大荒療治作戦を敢行したのだ。敵航空母艦を最優先目標とするようにとの発光信号が、重巡洋艦『鳥海』から何度もしつこく発せられていたし、25番爆弾を戦艦に叩き込んでも効果は薄いのは間違いないので、是が非でもわからせてやらねばならなかった。

 ただ少々やり過ぎたかもしれんと、高谷も反省するところでもあった。とりあえず無事な奴で攻撃隊を編成するしかなくなってしまったからだ。


「飛行甲板をかち割って、敵空母をただの貨物船に変えてこい。そうすれば明日以降、余裕をもって沈めることができるだろう。以上だ、総員かかれ!」


「うおーッ、撃沈だ!」


「護衛なら任せろ! バリバリーッとやってやらあ!」


 号令とともに海鷲どもが駆け出し、機体に取り付いていく。

 攻撃隊は九六式艦戦が9機に、爆装した九七艦攻が12機。もう3機くらい戦闘機を付けてやりたいという気分もあったが、艦隊直掩の分を残さねばならぬから、それで妥協せざるを得なかった。

 それから時刻は午後2時半。戻ってきた頃には陽が暮れていそうだから、今日の攻撃はこれ1回限りとなるだろう。


「とはいえ、少し心配になってきたぞ」


「おや艦長、弱気とは珍しいですな」


 扇子で顔を扇ぎながら、副長のムッツリこと陸奥利輔中佐が言う。


「確かにこちらの位置は掴まれておるようなものですが、今のところ空襲は凌げております。大丈夫でしょう」


「違う、そうじゃない。明日まで獲物が残っているか心配なのだ」


 卓上に広げられた海図を一瞥しつつ、高谷はううむと唸る。

 敵艦隊発見の報があって以来、マレー上陸部隊は慌ただしく蠢いている。近藤中将麾下の第二艦隊は間に合いはしないだろうが、小沢中将は護衛の重巡洋艦5隻を中核とする艦隊をもって夜襲を敢行、英艦隊を撃滅する気でいる。更には仏印の陸攻隊が魚雷を抱いて殴り込み、主力艦を沈めてしまうかもしれない。

 そんなことになれば――戦功を得る機会が台無しになってしまう。


「どうあっても例の航空母艦くらいは残ってるんじゃないですかね」


 陸奥はそんなことを言い、


「それを我々が大料理してしまえばいいんです。港の芸者にいい自慢話ができます、うへへ」


「副長な、そんなだからカミさんが定期的に実家に帰ろうとするんだぞ」


「MMKな海軍将校の辛いところですな」


 そんな台詞とともに笑い声。『天鷹』の乗組員は佐官からしてこんなのばかりだ。

 とはいえ航空隊の練度は相応ではあるようだ。まず艦戦が、続いて爆弾を抱いた艦攻が颯爽と飛行甲板を駆け抜け、見事空へと舞い上がっていく。盛大なる帽振れに見送られながら、それらは手早く編隊を組み、仇敵の航行している辺りへとすっ飛んでいく。


「まあ艦長、もう征っちまった以上、あとは結果を待つしかないですよ」


「それもそうか」


 少し熱から醒めたのか、高谷は相変わらずの飽きっぽさを発揮した。

 それに航空隊が戻ってきたら『天鷹』の飛行甲板に大穴が穿たれてた……などという事態は絶対に避けないといけない。実際、十数分の後にまたブレンハイム爆撃機が飛んできたから、その意味では良かったのかもしれなかった。





南シナ海:リアウ諸島沖



「うおーッ! 敵が見えたッ!」


 轟々たるエンジンの音に負けじと、打井少佐は大音声を発した。

 戦艦と思しきもの2隻に航空母艦らしきもの1隻、あとチンケなのが数隻。英極東艦隊を捕捉したのだ。上空には米粒みたいなものが幾つかあり、それを認識した彼は俄然闘志を燃やした。敵の直掩機であることは言うまでもない。


「各機、続けェ!」


 機銃をダダッと連射し、拳を振り上げながらスロットルを開く。

 九六艦戦は一気に加速し、僚機がそれに続く。事前の打ち合わせ通り、第二小隊は艦攻隊の傍を離れない。彼等とて突撃したいかもしれないが、全機が一度にいなくなったところに新手が現れたら大惨事。明日に予定している雷撃もおじゃんとなったら、腹を斬って詫びるくらいしかできなくなってしまう。


 とはいえ眼前の5、6機が敵の全てだろうと、打井は直感的に思っていた。

 横文字にローテーションという言葉がある。何時やってくるか分からぬ空襲に備える場合、発艦、上空直掩、帰還、燃料補給という一連の動作を繰り返さねばならぬ。故に一度に艦載の戦闘機を全部上げるなんて芸当は不可能で、イラストリアス級の搭載能力を考えれば、新手などいるとは考え難い。


「突撃、突撃! 自称紳士のチンピラゴロツキ退治だ!」


「千切っては投げまくってやる!」


 凄まじい絶叫とともに九六艦戦が殴り込み、フェアリー・フルマーがそれを迎え撃つ。

 斬り込みの武士と、浮かべる城を守る騎士とが、南洋の底抜けに青い空でぶつかり合う。数が同じであるならば、航空無線で警告を受けていた後者の方が有利ともなりそうだ。実際、その点に関してだけは間違いはない。


 だが――少なくともこの状況では、機体性能の違いが戦力の決定的差だった。


「何だ、案外ノロマだな!」


 巴戦についてきた敵機の六時を軽々と取り、打井は舌なめずりした。

 脚を引き込んでいる割に、固定脚の九六艦戦と比しても鈍重な戦闘機だった。零戦の好敵手と目されるスピットファイアでないことは、妙に長い胴からも明白。というより何故、複座機なのだか分からない。


「まあ、悪く思うなよ!」


 引き金を絞り、7.7㎜機銃を見舞う。

 敵機にバチバチと火花が散る。それなりに優秀であったろう英国のパイロットは、翼を翻して難局を逃れんとする。とはいえ打井とて920時間の経験を有していたし、何より最高速度で1割ほども遅く、運動性能では天地の開きがある機体ではどうにもならない。フェアリー・フルマーは黒煙を吹き出して墜落し、海面めがけて真っ逆さま。


「よし、1機撃墜!」


 打井は喝采しつつ、六時に敵機がないことを確かめた。

 それから周囲を見回した。他の搭乗員の戦況も、どれも似たり寄ったりであるようで、空には日の丸の翼ばかりとなっていく。第二小隊長の鋒山中尉には全く悪い事をしたものだ。


「ともかく、突破口は開いたぞ!」


 その言葉に応えるように、九七艦攻が艦隊上空へと躍り出る。





「全滅だと……ものの3分も経たずに!?」


「バ、バケモノか……!?」


 航空母艦『インドミタブル』の乗組員に、暗澹たる空気が押し寄せていた。

 直掩機は会敵するや否や壊滅してしまった。それはロールスロイスとダットサンというより、ダットサンと馬車の戦いだった。英国軍が誇るフェアリー・フルマー戦闘機が馬車であることは言うまでもない。


 そこで問題となるのは、ここからどうやって空襲を躱すかだ。

 世界に冠たる英国海軍は突如反撃のアイデアがひらめくか、あるいは空軍機がきて助けてくれるか。無論そのどちらもあり得ない。現実は全くもって非情だった。


「だが……たかが1個中隊で何ができる!」


 艦長のモース大佐は精一杯の痩せ我慢をした。

 痩せ我慢が海軍将校にとって重要であることは論を俟たない。それなくして、窮地の者どもが士気を保てる道理などないからだ。


 加えて科学的見地からも、それは妥当な結論だった。

 相手は水平爆撃を敢行しようとしており、単発機だから積んでいるのは500ポンド級の爆弾だろう。命中率を大きめに3分の1としても4発で、装甲化された飛行甲板は破壊できない。実際はそこまで当たらぬだろうから、戦力の維持には問題ない。


「まだだ……まだ終わらんよ!」


 着弾の衝撃に揺さ振られながらも、モースはあくまで強がった。

 日本軍機による水平爆撃は、2発の命中弾を『インドミタブル』に与えた。いずれも3インチもの装甲に阻まれ、航空機運用能力に影響を及ぼさなかった。エレベータに被害が出たら大変なところだが、そこまで不運な結果にはまずならない。


「何だ、やはりどうということはないではないか」


 日本軍機が去る中、モースは豪気に笑った。

 直掩機が全滅したのは痛恨の極みだが、まだ艦隊の眼となり、空の守りとなることはできる。戦艦が揚陸船団に突っ込み、輸送船を食い千切るまでの辛抱なのだ。

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