狂気のタンポポ作戦計画②

ヴィンニッツァ近郊:総統大本営



「クレープス、君はいったい何を考えているのだね?」


 あからさまなまでの不信感に彩られた声が、人狼の名を与えられた地下壕に響く。

 1933年の首相就任からほぼ20年近くドイツを牽引し、世界に冠たる大帝国を築き上げたヒトラー総統。彼は一昨日、キエフのソフィア大聖堂跡地に建設中の総督府を視察し、ハリコフ付近へと入植する開拓移民団と昼食をともにした。そうした後、ゲルマン民族の安寧を確かなものとするための会議に臨んだはずだった。


 だがそこで修正案と称して提出されたのは、眉を顰めたくなるような代物だった。

 6月下旬に発動される予定の第二次バルバロッサ作戦、あるいはレーヴェンツァーン作戦。忌々しい共産主義者の軍勢を覆滅し、アルハンゲリスクからアストラハンに至る線の西側を一気呵成に制圧、欧州文明への脅威に他ならぬロシヤ人どもをウラル山脈の東側へと追放する。そうした骨子に反する、それどころか軍事常識をもかなぐり捨てたような異常極まりない内容が、堂々と記載されていたのである。


「まず戦端を開き、それから追加の動員を行って侵攻するなどという発想は、率直に言って前代未聞という他ない。あるいは何らかの冗談の心算か? 休暇が必要だとでも言いたいのであれば、今すぐ認めてやっても構わん」


「総統閣下、自分は冗談の類を申してなどおりません」


 参謀総長のクレープス元帥は、あくまで実直なる態度で断言した。

 それから祖国と民族、偉大なる指導者への揺るぎない忠誠を誓っていると述べる。逆にそれが妙に気に障り、参謀本部が自分を欺こうとしているのではと思えたほどだった。実際、国防軍情報部のカナリスの如き裏切り者は未だに潜んでいるかもしれず……あれこれ気を揉んでいたところ、横からふざけた声が飛んできた。


「総統閣下も相当カッカされておりますな」


「何ッ?」


 今度はゲーリング国家元帥であった。

 恐竜作戦を始めとする一連の報復作戦の成功故、未だ空軍に君臨し続けている男は、このところ鋼輪拳なる妙な格闘技をやり始めて身を引き締めた。一方、体重に反比例して態度が大きくなった気がする。


「とはいえ総統閣下のかくの如き反応こそ、レーヴェンツァーン作戦を成功させる鍵となるのですぞ」


「クレープス、そうなのか?」


「大変に申し訳ございませんが、そのように表現することも可能です」


「ふむ、まあいい。先を続けたまえ」


 ヒトラーはそう促し、修正案に関する解説が再開された。

 つまるところ問題は、侵攻に当たって本格的な動員を実施した場合、ほぼ間違いなくモスクワへに察知されるというところにあった。将来的にはゲルマン民族の版図に加えられるべき東方領には、未だ大勢のスラブ人が居住しており、農場や鉱山の安価な労働力として活用されている。それ故まったく嘆かわしい限りではあるが、地下組織の活動も依然として活発で、現状では部隊の配置や物資装備の充足状況などはほぼ筒抜けと考えざるを得ないとのことだ。


 加えて何とも厄介なことに、ソ連軍の即応能力は予想以上に高まっているようだった。

 少しでも戦争の兆候を感じ取ると、彼等はすぐさま前線の師団を散開させ、巧妙に築かれた壕に弾薬物資や通信機器を隠してしまうという。また原子爆弾は一撃で半径数キロを吹き飛ばすなど圧倒的破壊力を誇るものの、野戦築城を終えた地上部隊や地下化された補給拠点に対する危害効果は、爆心直下でもない限り限定的。捕虜や政治犯、ユダヤ人などを用いた実験で、そうした事実が証明されてしまっており、開戦劈頭に大威力兵器を集中的投入したとしても、従来のやり方では十分な損害を与えられない可能性が浮上した――幾つかの図表を元に、分析に当たった参謀が解説した。


「総統閣下。それ故に我々は、ここで発想を一気に転回させたのです」


 クレープスは胸を張り、握り拳を作る。


「つまり敢えて地上部隊の動員体制を不十分としたまま、航空戦力を主体とする先制攻撃を仕掛けることで、最大の奇襲効果が得られるのではないか。空軍の優秀なる参謀の協力の下、この仮説について検証するべく幾度かの図上演習を実施したところ、確証を得るに至りました。我が帝国の機甲師団は、間違いなくアルハンゲリスク・アストラハン線まで到達可能となります」


「なるほど、大変に興味深い」


 ヒトラーは大いに肯き、それから先程の己が憤りを思い出す。


「つまり先程、余が疑念を抱いたということこそ、この案が最も効率的であることを明瞭に証明しているということだな? うむ、間違いあるまい。諸君等に謀られたようでもあるが、まったく不愉快な気分でもないな。むしろかくも臨機応変に作戦計画を修正し得たという事実こそ、ゲルマン民族の健全性を何より如実に物語っていると言えるだろう。とすれば我等が第三帝国は千年先まで安泰だ、この上なく素晴らしいと評する他ない」


「まったくで」


 自信に溢れたる追従笑いが幾つも響いだ。

 それから空軍の代表たるゲーリングが、満を持して説明を引き継ぐ。英本土航空戦を前に大言壮語をしていた時と比べ、余計な贅肉が削ぎ落されていて、声にも確かな裏付けが感じられた。


「ともかくも我が空軍は、まず米英の戦略爆撃機多数が護衛機を伴い来襲したという想定の大規模防空演習をドイツ全土で実施いたします。同演習の一環として各種爆撃機合計2000機を東方領へと"空中退避"させ、演習終了後、稼働状態に置いた戦闘機1800機をそれに合流させます。それから72時間後にレーヴェンツァーン作戦を発動、ソ連空軍に対する疾風怒濤の航空撃滅戦を敢行してこれを破壊、同時に原子爆弾搭載の新型攻撃機Go429をもって後方の補給拠点、指揮通信系統を徹底的に覆滅。さすれば敵は間違いなく初日に半身不随となり、以後の勝利も確実なものとなりましょう」


「うむ。Go429は機体形状故、レーダーに映り難いと判明したのだったな?」


「総統閣下、その通りです。これまで十数度、強行偵察を実施させましたが、未帰還はたったの1機もございません」


「素晴らしい。原子爆弾は何処に落とす?」


「レニングラード、ノブゴロド、スモレンスク……」


 ゲーリングは嬉々とした口調で目標を挙げていき、秘書官が机上の地図にピンを刺していった。

 軍事境界線付近の目標に投射される原子爆弾数は合計23発。出力30キロトンの大爆発がロシアの大地を次々と焼き払い、共産主義者の軍勢が悉くその中枢を喪失、ただ右往左往しながら討ち取られていく。そのような様子を想像すると、淀んだ肺胞に爽快なる空気が注ぎ込まれたかの如く気分が高揚してきた。


「またこの上でモスクワを原子物理学的に破壊し、ボリシェビキどもの息の根を止めるのです。こちらは陸軍の第444特殊砲兵大隊がA9弾道弾3発を用いて実施し……」


「待て、それでは不十分だ」


 ヒトラーは直観的に発言し、それから急ぎ理由を引っ張り出す。


「先程の説明によれば、野戦築城を終えた地上部隊に対して原子爆弾を投じたとしても、有効打を与えられない可能性が否めないとのことだ。一方、モスクワには大深度の地下鉄や防空壕が多数建設されている。それからA9弾道弾の半数必中界は、ブラウン博士等の懸命の奮闘努力によっても尚、未だ半径1.5キロほどはあると記憶している。となればスターリンやその取り巻きどもを撃ち漏らす可能性があり、レーヴェンツァーン作戦遂行上それは許容できない。出力600キロトンの水素爆弾は、Ju390であれば搭載できたな? であれば弾道弾による原子爆弾攻撃の後、かの巨人機を送り込み、地下施設もろともモスクワを抹殺するのが最適であるはずだ。ゲーリング、そうではないかね?」


「総統閣下、仰る通りです。では水素爆弾の使用許可をいただけるのですね?」


「無論だ。ゲーリング、確実にモスクワをこの世から消し飛ばせ」


 双眸を爛々と輝かせ、ヒトラーは命じた。

 対するゲーリングは、任務遂行の意志を滲ませたるナチ式敬礼で応じる。恐竜作戦以来の快挙となるだろうと、他の者達も喜色を露わにする。そうした中、少しばかり難しい顔をしているのは軍需大臣のシュペーア。あらゆる兵器生産の専門家へと成長した彼の見解を尊重する必要もありそうだった。


「先述の通り、レーヴェンツァーン作戦において水素爆弾を使用する。対米英抑止のため4発ほど残しておくとして、必要数が充足されるのは何時頃か。概ねでよいから申してみよ」


「対ソ戦用に1発であれば予定通り、予備を含めるのであれば7月中にも」


「であれば発動を1か月遅らせるのが得策だろう。諸君、何か異論はあるかね?」


 特になし。列席者の賛意は態度でもって示された。

 かくして作戦方針は決定され、凶悪なる帝国はソ連邦の根絶に向けて動き出す。水素爆弾の実戦投入すらあり得るのであれば、今度こそボルシェビキを打倒できるだろう。そうした確信の下、レーヴェンツァーン作戦は再修正され――1952年7月22日の発動が、程なくして決定された。


 そうして会議を終えた後、ヒトラーは自室に画材一式を持ってこさせた。

 無論、数年前より再開している趣味に興じるためだ。水素爆弾の直撃でモスクワが蒸発する光景を思い浮かべると、新鮮なる息吹が精神に注がれ、新たな生命が誕生するような気配がしてきた。ならば是非ともそれを形とせねばならぬ。彼は意気込んで筆を取り、一心不乱に何かを描き始める。

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