狂気のタンポポ作戦計画①

スモレンスク州:ヴャジマ近郊上空



「421号、針路そのまま。5分後に目標と会敵する、何としてでも撃墜してくれ」


「了解。土足で踏み入ったことを後悔させてやる」


 黒百合のライサことパブロワ中尉は、氷の如き怒りを湛えた声で応じる。

 大祖国戦争で兄達が次々と戦死する中、ただ逃げるばかりだった惨めな少女がいた。停戦から6年と3か月を経た今、彼女は戦意と技量、それから耐G性能の高い肉体を併せ持った戦闘機乗りへと変わっていた。残虐なるジンギスカンの軍勢ですら目を背けるようなやり方で、ひたすらに故郷を蹂躙する異常者どもを、1人でも多く殺戮する。それ以外の望みなど何ひとつないとばかりに、渾名の通りの標章を描いた最新鋭のMig-15が、真っ青な成層圏を切り裂いていく。


「目標、増速。421号、方位340度に旋回」


「了解」


 発声と同時に三舵を操り、指定された方位へと愛機を転針させる。

 彼氏のいちもつと思って、操縦桿をしっかりと握れ。訓練に際してそう教えてくれた先輩のユージナ大尉は、もはやこの世にはいない。Mig-15が導入され始めた直後の事故で、還らぬ人となってしまったのだ。祖国の余裕のなさが故か、英国より"技術導入"したエンジンが問題を起こすなど、機体の不具合はこのところ多発していた。


 加えてスラブ民族を類人猿と蔑んで憚らぬ悪魔どもは、間違いなく強力で狡猾だった。

 推定される速度からして、恐らく敵は強行偵察の戦闘機で、それらとの交戦の末に撃墜された味方機はこれまでに数知れず。それでも母なる大地の上空で、ドイツ軍機に好き勝手させる訳にはいかない。パブロワはともかくも光学照準器を点灯させ、闘魂を滾らせて23㎜機関砲を試射し……迎撃管制の訴える異状に驚愕させられた。


「も、目標消失。見失った」


「どういうこと?」


 思わず聞き返す。

 しかし管制官も何が起こったのか分からぬようで、しどろもどろとなるばかり。


「421号、捜索を実施してくれ。墜落したのでなければ、遠くへは行っていないはずだ」


「了解。何としてでも見つけ出す」


 パブロワはただちに目を凝らし、最大効率での索敵を開始する。

 発見すべきは飛行機雲。魂ごと吸い込まれてしまいそうな蒼穹の何処かに、真っ白な直線が描かれているはずで、彼女は十数秒ほどの後にそれを捕捉した。


「目標を発見……えッ、何こいつ?」


 対流圏へと続いていた白線の先に、異形としか評せぬ機体があった。

 噂でのみ存在を聞いていた、ドイツ空軍の全翼機のようだった。パブロワはただちに追撃を試みるも、彼我の距離はまったくと言っていいほど縮まらず、結局彼女は交戦に失敗した。





大連:ヤマトホテル



 昭和27年の満洲の産業構造は、当初予定からかなり外れたものとなり始めていた。

 それでも各地の活況を見れば分かるように、景気が低迷しているという訳ではまったくない。衣料や加工食品、生活用品などを製造する工場がとにかく活況を呈し、出来上がった製品が片っ端から貨物列車に積載されていく。それらが行き着く先は、言うまでもなくシベリヤである。大戦中の秘密取引に端を発する協商関係が、大陸欧州の国家社会主義勢力と対峙し続けるソヴィエト連邦の経済的苦境を背景に、一段と強化されたが故の現象だった。


 また以前は珍しかったアングロサクソン系の人間も、このところ姿を現すようになっていた。

 元々は陸軍だの南満州鉄道だのが、外資など絶対に入れぬと頑張っていたところであるが……対ソ戦備の必要性の後退やマドリード講和条約に基づく満洲国承認、またその僅か1か月後に日英相互援助条約が締結されるといった環境変化を切っ掛けに、幾らかの市場開放がなされたのだった。実際それもあって、自動車や建機といった分野への投資も順調に伸長。また北満新油田への参画を認められた英石油大手が、大戦中にキルクークやアバダンから放逐されていた技術者をこちらに再配置するなどした結果、難航するばかりだった開発が何とか軌道に乗ったりもした。

 そんな経緯もあって、かつて産業連盟使節団の一員として新京を訪れたとある名士は、昭和9年頃に一応は検討されていた日英不可侵協定を態々持ち出して、


「広田弘毅がもう少し賢ければ、あるいは彼の同輩にもう少し思慮があれば、満洲の発展はもっと早かっただろう」


「つまり貴君等は残念ながら、20年近い貴重な時間を無駄にしてしまっていたということだよ」


 などという負け惜しみを口にしたとのことだ。

 まあそれはともかくとしても、満洲の玄関口たる大連は妙なくらい国際色豊かとなり、コーンウォール出身の英国人がホテルで何かを食べていたとしても、別段人の視線を集めたりはしなくなっていた。


「それで、今日は何の要件ですかね?」


 ローストビーフのサンドイッチを頬張りつつ、古渡博士は尋ねる。

 新設された原子物理学研究所で新理論の構築に勤しむ傍ら、半官半民の帝国ウラニウム工業の技術部長を務めている彼の許には、時折ややこしそうな人士がやってきたりする。フラットヘッド黒鉛炉の件もあって、命を狙われたりしたことまであった。ただ今日ひょっこりと現れたのは、まさに烈号作戦で一緒だった、リンチ退役海軍大佐に他ならなかった。


「豪州で新たなウランの鉱脈が見つかったとか、あるいは貴国で試験中の遠心分離法がものになったとか? それとも……ドイツの"水素爆弾実験"とやらに関する見解とかでしょうか?」


「関連の度合いで言うならば、一番最後ですね」


 リンチはおおらかな口調で言う。

 しかし眼がまるで笑っていない。実のところペルシヤ湾で海賊まがいの戦法と艦上での一騎討ちをやってのけた彼は、公式には捕虜収容所で死亡という扱いになっており、その後は相当に機密度の高い世界で生きているようだった。


「ただ今回は、とある系に幾らかの擾乱が生じた場合、それが全体に如何なる影響を与え、どのような結果を齎すか……といった新領域の学問に近い内容となるかもしれません」


「なるほど」


 古渡は少しばかり頭を捻り、


「つまりは、世界原子戦争勃発の可能性が浮上したと?」


「それほどの規模となるという予測は、あまり主流ではありません」


 リンチは前置きし、厄介なる説明を続ける。


「とはいえ局地的なそれが勃発する可能性は、"水素爆弾実験"以来高まっているとしか言えません。ご存知の通り、停戦が破れた場合にも原子・生物・化学兵器の使用を抑制するという協定は結ばれており、それすらも破断した場合、我が帝国および植民地人は躊躇なく大量破壊兵器の使用に踏み切ると宣言しております。しかしドイツ人が出力が一段階高い爆弾を手にしたことで、この均衡が破られる可能性が出てきました」


「それでも、撃たれたならば撃ち返せるはずではありませんか?」


「博士、我々は撃たれてはいない、という場合こそが直近の問題です」


 ぎらつく舶刀の如き眼差しで、リンチは本題を切り出した。

 古渡は少しばかり逃避気味にティーカップへと手を伸ばす。頼んでいたのはイチゴジャム入りの紅茶で、それが妙な具合に恐るべき現実を突きつけてきたようだった。


「こうした場合の確率とは酷く曖昧な数字でしかないことは承知の上ですが、5割以上の確率で、ドイツ人達は対ソ戦を再開すると、我が帝国の叡智達は予測しています。またこの場合、開戦劈頭に原子爆弾数十発が使用されるでしょう。対してソ連邦の原子爆弾保有は、早めに見積もっても来年以降。とすればあの独裁者が今が好機と判断しても、別段不思議はありません」


「またモスクワのためにロンドンやニューヨークを危険に晒すことはできない、特に大威力爆弾が配備されているやも分からぬ状況では、といったところですか」


 古渡は重苦しい溜息混じりに言い、少しばかり紅茶を口に含む。

 ジャムを直接入れる飲み方は、ロシヤというよりウクライナやポーランドのものだったかもしれない。そうした地域名は既に過去のものとなりつつあり、正教会の寺院や各種学校、病院などを親衛隊が手当たり次第爆破解体して回るなど、理解に苦しむ残虐統治がなされているとの噂が流れてきていた。無論、歯向かう者は地獄より辛い収容所に送られるとのことだった。


 となると確かに、一度動き出したら止まりはしないだろうし、大破壊に何の躊躇もないだろう。

 欧州統一勢力としてのドイツの成立を幇助し、もって米英ソの対日戦余力を消失させる。それが苛烈を極めた昭和10年代を生き残るための国家百年の計であったことは疑いようもなく、また他に何か取り得る道があったとも思えない。それでも肥大化し過ぎた醜悪なる怪物が欧州に出来上がってしまったようだと、流石に実感せざるを得なかった。


「であれば選択肢は、大まかに分類して2つしかないとなりそうです」


 古渡はそう言い、直後に首を横に振る。


「いや、1つしかないですな。傍観という選択肢は、あまりにも近視眼的に過ぎる。正直自分は共産主義者は嫌いですし、度の強い酒も得意ではありませんが、色々準備しなければ」


「是非、お願いいたします。実のところ貴国のお偉方の中には、頭が昔のままなのがいて難儀しているところですが、間もなく重光首相も決断なされるでしょうから」


 リンチは途端に人懐こい笑みを浮かべ、何か思い出したとばかりに封筒を差し出してきた。

 納められていたのは国防軍最高司令部より盗み出したと思しき書類で、題はレーヴェンツァーン作戦計画。すなわちタンポポの名を冠せられたそれには、野に咲く可愛らしき花からはまるで連想できぬ内容ばかりが記されていた。

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