真潜水艦、白鯨無双!
太平洋:アナタハン島沖
「トランガン島で戦ってる海兵隊のおにーさん達、戦車が出た途端逃げたんだってね。だっさ~♡」
「でもわざわざ太平洋まで無理やりブラジル人を連れてきて、しかも盾にする海軍なんて、もっと男らしくないよねー♡ そんなおにーさんには軟派な曲がお似合い! これでも聞いてマスかいてるといいよ!」
異常なまでに挑発的な女性アナウンサーの声が、潜水艦『ノーチラス』の艦内に響き渡る。
それは東京発のラジオ番組で、あからさまなまでに対米謀略放送だ。とすれば即刻遮断するのが最善に違いないし、そもそも聴いているだけで屈辱的な気分になるような内容ばかりなのだが、やけに人気を博してしまっている。というより何時の間にか周波数を合わせてしまっているとのことで、日本軍は魔女を徴用したのではないかと噂されるほどだ。
もっとも将兵の士気が阻喪しているかというと、案外とそうでもなかったりする。
というよりもむしろ、聴者の戦意がやたらと高まる傾向があるようだった。敵の意図はまったく理解し難く、耳にしているうちに冒涜的な特殊性癖を植え付けられそうな気もしてくる。とはいえ洋上とは娯楽が限られる世界で、潜水艦であれば潜航中は受信すら不可能となるため、まあいいかと黙認されているような状況なのだ。
「このクソガキめの尻を引っ叩いてやりたくなるな」
艦長のメルヴィル中佐もまた、何時の間にかラジオの虜となっていた。
なお常軌を逸した英文原稿を読み上げる"鉄砲から産まれたスー"こと米垣女史は、実は今年で27の既婚者なのだが、まあ細かい事を言っても仕方がない。
「それで、敵機動部隊の位置は分かったか?」
「未だ不明です」
副長が困惑げに応答し、
「どうも敵はジェット機を空母に載せ出したようで、偵察に出たB-29に被害が出ている模様」
「ふん。肝心な時に役に立たん連中だ」
メルヴィルは憮然とし、少しばかり思案する。
最優先の攻撃目標が機動部隊なのは論を俟たないが、先述の通り、その足取りは途絶えてしまっていた。一方で十数マイルほど先には、サイパンかグアムに向かっているであろう本格的な護送船団。これまた放置すれば、ミッチャー中将が叩き潰した航空基地が復活してしまうであろうから、座視してはならぬ標的に違いない。
「致し方ない、目の前の船団を全滅させるか」
明瞭なる意思決定に、階級を問わず乗組員が即応する。
「水上レーダーで敵船団の諸元を徹底的に調べろ。勘付いた敵駆逐艦がじきに向かってくるだろうから、その真下を水中高速潜航で摺り抜ける。でもって接触を回避できたと敵が油断しているところで、至近距離から強烈なイチモツを見舞ってやるという寸法だ。ああ、もちろんだが対空見張りは厳としろ」
「アイサー。本艦の初陣に相応しい戦闘となりそうです」
「まさしく」
発令所に飾られし2冊の上製本に、メルヴィルは改めて目をやった。
一方は艦名の由来となった海洋冒険譚であり、もう一冊は悪魔の化身が如き巨大鯨との死闘を描いた物語だ。『ノーチラス』はモビィ・ディックが如く奮迅するに違いなく、また日本にエイハブ船長はいないと確信する。
「さあ諸君、戦闘準備だ。生意気なるクソガキめに、合衆国海軍の恐ろしさを分からせてやろうじゃないか!」
軽巡洋艦『天龍』に座する梶岡少将は、なかなかに慎重な判断を下した。
1時間ほど前、彼が指揮を取る桐二船団の十一時方向、距離12海里ほどの海域に、不審な電波輻射が確認された。対水上電探と見て間違いなかった。そのため特設航空母艦『大鷹』の艦載機と駆逐艦『野菊』を急行させ、敵潜水艦らしき目標に潜没を強いたのだが、同時に海図上に輻射点の座標を中心とする半径10海里の円を描かせ、船団の航路をそれと交わらぬよう修正したのである。
無論のこと、早く目的地たるサイパンに着かねばという焦りもあった。
だが沿岸防衛に必要な重砲や対空戦闘用の機材、それらを受け持つ専門の人員、航空燃料に交換部品と、9隻の船舶には極めて重要度の高い荷物が積載されている。となれば多少の遅れが出ても確実を期するべきであろう。敵が潜航し得る範囲を半径10海里と規定するのは、些か過大評価気味とも見えなくもないが、このところ友軍の水中高速型潜水艦が戦果を挙げ始めてもいる。とすれば米海軍も、同様の兵器を持ち出してくるかもしれぬのだ。
「だが……先程の電波輻射が囮任務ってことも考えられる」
「群狼戦術ということですか」
「うむ、ドイツ人がよくやっている手だ」
もう1隻あるいは2隻が、今度は右舷側に忍んでいるやもしれぬ。梶岡は懸念を表明した。
参謀がすぐさまそれに呼応し、艦載機による哨戒を提案。発光信号で船団最後尾の『大鷹』に命令が飛び、旧式ながらも対潜戦闘で活躍している九七艦攻が、追加で3機発艦した。
「とにかく、敵に頭を上げさせないことだ。上を航空機が飛んでいれば、潜水艦は海中に潜らざるを得ぬ」
「そのため『天龍』にも、回転翼機を積むという案もあるとのこと」
艦長の鹿内大佐が噂話を切り出し、
「もっとも生産があまり順調ではないようで、何時になるのか分かりません」
「それまでは『大鷹』の艦載機が頼りだな」
梶岡は従兵の持ってきた茶など飲みながら、改めて航空対潜哨戒の威力に感じ入った。
それに本格的な機動部隊が相手でなければ、多少は空襲にも抗堪できる。やはり船団を守るには、特設であれ航空母艦は不可欠――そう思った直後、見張りの信じ難い報告が耳朶を叩く。
「た、『大鷹』被雷!」
「なッ、馬鹿な……」
艦橋にあった誰もが凍り付き、言葉を喪った。
船団を構成するすべての艦船が頼みとしていた『大鷹』は、突如として左舷に2発被雷。凄まじく巨大な火柱を立てて燃え上がり……あっという間に手の施しようがない状態となった。
それから追い打ちでもかけるかのように、今度は陸軍特種船『摩耶山丸』がやられたとの報告が入る。
「ど、どうしてこんなこと……」
連続的に齎された悲報に、梶岡は顔面蒼白となって呻く。
だがそれは桐二船団を襲った惨劇の、ほんの序章に過ぎなかった。核分裂によって生じる大出力をもって、息継ぎもなしに海中を15ノット超で駆け回る鉄鯨。昭和20年8月の帝国海軍にとってのそれは、概念にすらないような兵器に違いなく、当然それを相手に有効打を与え得る銛を有する艦もまた、まるで存在していなかった。
「ははは、圧倒的ではないか『ノーチラス』は」
「原子動力潜水艦が量産の暁には、ジャップ海軍などあっという間に叩いてみせるわ!」
メルヴィル中佐は『ノーチラス』の驚異的性能に酔い痴れていた。
実際、新たに考案した稲妻魚雷戦――すなわち目標の手前600ヤードまで接近しての雷撃と高速離脱を繰り返すという戦術によって、既に7隻を血祭りに上げていた。護衛空母らしき目障りな艦を皮切りに、貨物船5隻を好き放題に食い散らかし、ついでに針路上で右往左往するばかりだった駆逐艦を撃沈したという具合である。
対して被害は文字通りのゼロだった。
日本海軍の対潜艦は見当違いのところでソナーを打ち、明後日の方向に爆雷を投げ込むばかり。位置をまったく掴ませていないのだから、残念でもないし当然といったところだが、それは戦闘というよりは一方的な蹂躙だった。木陰から羊の群れを銃撃して殺しまくるようなものである。
「もっとも……弾がすぐなくなってしまうのが、玉に瑕だな」
暴食を極めし者すら呆れるような台詞を、メルヴィルは公然と放つ。
とはいえ実際、『ノーチラス』の魚雷は尽きようとしていた。空母に対しては4発、それ以外に対しては2発という配分で連続的襲撃を行った結果、既に魚雷の残数は4まで落ち込んでいた。
「打率は概ね5割であるから、搭載数が5割増しだったら、本当に1隻残らず平らげていたはずだ。ディーゼルエンジンも重油タンクも取り外し、そこに魚雷を積み込んでおれば、そうなっていただろう」
「実際、そこが改善点ですね」
副長もまた口惜しそうに肯き、
「とりあえず急ぎ補給艦と邂逅し、魚雷と野菜、アイスクリームを補充しましょう。歯磨き粉味は正直その」
「うん? チョコミントの魅力が相変わらずわからんか」
「ええ、まったく」
「困った奴だ、早くチョコミン党に入れ。それから襲撃はまだ終わっておらん」
メルヴィルは傲慢の王めいた面持ちで告げる。
予期せぬ敵との遭遇に備え、4発分くらいは魚雷を残せというのが規則だが、探知も追尾も受け付けぬ『ノーチラス』であれば、規定の半分でも問題ないという判断だった。
「またその2発にしても、食中毒空母を見つけた時のためだ」
「であればどの艦を食いますか?」
「船団の旗艦と思しき、古めかしく懐かしい3500トン型がいる。こいつを海の藻屑に変えてやれば、東京放送のクソガキも小便漏らして気絶するに違いない」
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