天空の覇者ジェット

太平洋:アグリハン島沖



 航空母艦を用いた船団護衛となれば、真っ先に『天鷹』にお鉢が回ってきそうなものだ。

 しかし今、マリアナ諸島北部沖で同作戦に従事している艦隊の旗艦は、今年の6月に就役したばかりの『海鳳』だった。飛行甲板に装甲を張り巡らせた、排水量3万トン超の堅艦に他ならぬ。海軍の常識に照らし合わせるならば、先達たる『大鳳』や鹵獲艦ながら米本土空襲でその力量を示した『迦楼羅』などとともに、第一機動艦隊の前衛を担っていそうなものである。


 それが何故かと問われれば、『海鳳』にしか果たせぬ超重要任務があるが故だ。

 建造中に設計変更がなされ、完成が何か月か遅れたりもしたものだが……それ故に彼女は幾つか革新的なる機軸を有している。その最たるものが耐熱化された飛行甲板やら噴流反射板やらで、つまるところジェット機の運用が可能なのだ。高速と大火力を両立させた新鋭艦載機をもって、マリアナ強行輸送船団を襲撃せんとする米長距離雷撃機を駆逐し、同時に高高度より艦隊を覗き見んとする忌まわしきB-29偵察型を撃滅、決戦に臨まんとする聯合艦隊主力が接触されるのを防ぐのである。


「とはいえどうにも、不格好な機体であるよなァ」


 出撃を帽振れで見送るため、飛行甲板に上がってきた整備科の兵曹長が、そんな具合に苦笑する。

 実際、今まさに飛び立とうとしている新艦戦の旋風は、相当に無茶苦茶な機体だった。欧州戦線でのMe262の活躍に驚嘆した海軍が、試作急造を命じたうちの1機種で……要するに紫電改を強引にジェット化した代物なのだ。機首の誉エンジンを安直にライセンス生産したネ30に換装し、排気口は座席のほぼ真下というから恐ろしい。


「それに正直、あまりいい気分で送り出せんところがあります」


 部下の一兵曹も、些か複雑な面持ちだ。


「元々は2個中隊あったのが、補充機があってさえ、訓練中に半分になってしまうような機体です。小早川中尉などは……補充機の受領に行った帰りに殉職されました」


「そうだよな」


 兵曹長もまた物悲しげに肯いた。

 現状のジェットエンジンとは信頼性や技術的成熟性といった概念とはまったく無縁で、どれほど慎重に扱ったところで不具合が絶えない。10時間も動かせば故障するし、飛行中に燃焼が停止するという致命的な問題もよく起こす。そんな代物を搭載した単発機を製造すれば、事故が多発してしまうのも当然――そこは十二分に理解できていた。


 とはいえ頭で分かっていたとしても、心が乱れぬはずもない。

 自分が担当した機体であったら特に、落ち度や見落としがあったのではと自責の念に駆られてしまる。喩え不可抗力の墜落であったとしても、何かやりようがあったのではないかと思えてしまう。かような経験はこれまでに何度もしてきたが、それだけに身を切るようでもあった。


「だがB公相手に戦える艦戦は、こいつくらいしかのも事実。今は信じるしかあるまい」


 兵曹長は己にそう言い聞かせ、厳然たる現実をしかと見据える。

 カタパルトに旋風が接続され、その背後で噴流反射板が持ち上がった。大推力のエンジンが最大出力で嘶き、膨大なる熱量を孕んだ排気によって、機体後方が陽炎の如く揺らめいた。


「発艦」


 驚くべき加速度を与えられた旋風が、帽が何百と振られたる飛行甲板を突き抜ける。

 未熟なる天空の覇者が向かう先は、高度1万メートル超の成層圏。魂をも凍らしめるような領域を悠々と飛翔し、艦隊を一方的に捉えんとする仇敵に、もはやそこは聖域に非ずと教えてやるのだ。





「敵艦と思しき反応は12、うち大型艦らしきもの4」


「速力、およそ18ノット。針路変わらず」


 与圧されたB-29レーダー偵察型の機内。表示装置に取り付いた技術曹長が、対象について黙々と報告する。

 暗号解読によっても明らかな通り、先の戦闘で徹底的に破壊された航空基地を再建するべく、日本海軍はマリアナ諸島に大船団を送り込まんとしている。眼下の敵はその運航を容易ならしめるため、近傍海域に派遣された機動部隊に違いなく、その行動は何としてでも監視しておかねばならなかった。


「注意しろ、近付き過ぎは禁物だ」


 機長のライアン大尉は航路を指示しつつ、そう戒める。

 日本海軍の新型高射砲は最大射高が4万フィート超とのことであるし、最大仰角で撃たれた戦艦の主砲弾もまた、同じくらいまで届いてしまう。しかも電磁波照射装置と検波信管が組み合わさっているから厄介で、それらを過早に感応させて無力化する欺瞞装置は、未だ実用の域に達していなかった。


 ただ安全距離を維持しながらでも、敵の様子を探ることは可能だ。

 態々艦隊上空に遷位などしなくとも、水上捜索レーダーを用いれば、40マイル彼方の海原にどのくらいの艦が存在するかくらいは分かる。画面上で戦艦と航空母艦を区別することは難しくとも、他の情報と照らし合わせるなどすれば問題ない。ともかくも厄介そうな敵を電子的に追尾し、交代の機がやってくるまで、位置情報を報告し続けることが重要だ。


「それから対空見張りも怠るな、警報装置より先にMark.1で見つけろ」


「アイサー!」


 機銃員の反応が頼もしい。

 このところは太平洋でもジェット機が出没し、非爆撃型のB-29に被害が続出するようになってはいるが、既存の敵機であっても油断ならぬ。半年前、千島列島北端の上空で出くわしたジークがそうで、あの時は帰還できたのが奇跡だった。


「奇跡は二度起こらぬから奇跡と……」


「後上方6000フィートに敵機!」


 機内電話越しの機銃員の報告が、強烈に耳朶を叩く。


「大丈夫だ、問題ない」


 ライアンは本能的な恐怖を覚え、一方で理性的に独りごちて精神を落ち着かせた。

 現在の高度は3万2000フィート。敵機は更に1000フィートほど上のようだが、高高度性能に劣る日本軍機ならば既にアップアップのはずだ。それにここはサイパンやパレンバンのような地獄でもない。であれば遠隔操縦の機銃で返り討ちにすることも可能だろう、彼は冷静沈着にそう判断した。


 だが――直後に投げ込まれた悲鳴に似た叫びが、計算を粉々に破砕した。


「な、何だあれは!? 恐ろしく速い、プロペラがないのが向かってくる!」





「この野郎、これまではよくも傍若無人に飛び回ってくれたな」


 宗方中尉は操縦桿を力強く握り、超空の要塞なる敵大型機を睨み付ける。

 真っ青な成層圏に飛行機雲を棚引かせて高速飛翔する、悍ましい美しさに溢れた銀翼。米国の航空科学力の結晶たるそれは、零戦などでは太刀打ちし難い絶対的存在に違いなかった。


 だが"ジェット"の旋風ならば、かの難敵を討ち取ることができる。

 既に歴戦の小隊長たる山河大尉が二番機とともに、すこぶる的確なる襲撃を仕掛けていた。結果、敵機の一番エンジンは停止し、つい数十秒前までは黒煙を吐き出してもいた。速力は当然として、高度も徐々に落ちつつあるようで、撃墜までもう一息といったところだろう。


「千鳥三番、敵に止めを刺せ」


「千鳥三番、了解。宜候」


 酸素マスク越しのくぐもった声で応答し、スロットルを目一杯開く。加速度が下半身に直結するほどに爽快だ。

 それから愛機を緩降下させ、覆滅すべき敵影を照準環に捉える。位置エネルギーも相俟って、対気速度は400ノット超。零戦などとは段違いの性能で、距離を一気に詰めていく。


「むッ……!」


 敵機の各所がパッと瞬く。防護機銃の射撃で、自ずと鳥肌が立った。

 だが恐怖は飼い慣らせばいいのだ。空中にばら撒かれた50口径弾のすべてに、この上ない殺意が込められているに違いないが、要は当たらなければどうということはない。相手を手負いの獣と警戒しつつ、諦観と似て非なる死生観とそれ故の強さを携え、尾部の機銃手の表情が分かるくらいにまで接近していく。


「食らえッ!」


 あわや空中衝突。その直前に僅かに操縦桿を引き、同時に引き金を絞った。

 両翼から轟然と放たれた20㎜機関砲弾が、音速に倍する速度で大気を切り裂き、強かな連撃となってB-29を打擲する。少なくとも3発ほどが、左翼付け根辺りに命中したのが見えた。


 それから討ちたる敵機の近傍を航過し、目の眩みそうな左降下旋回で離脱。

 十分な距離を取ったと思えたところで、戦果確認のため側方を見上げる。すると被弾しよろめき進むB-29の姿が見て取れた。程なくして米兵達が脱出し始め、恐らく全員が飛び出し終わらぬうちに、機体は業火に包まれた。南無阿弥陀仏。武士は相見互いと、異国の戦士達の冥福を短く祈り、それから勝利の美酒を味わった。


「千鳥三番、敵機撃墜」


 宗方な感極まって報告し、その後の不気味な沈黙に戸惑った。

 真っ先に喜んでくれるであろう上官の声は、どうしてか一向に届かない。勝利の実感はあっという間に消え失せ、ただ狼狽だけが満ちる。そうして数秒ほどの後、二番機の高松飛曹長が連絡してきた。


「千鳥一番は先程墜落。千鳥三番、これより指揮を取れ」


「千鳥三番、了解」


 宗方は無感情に指揮権を継承し、母艦たる『海鳳』に任務達成と帰投の旨を伝えた。

 雲海を超えた空の高み。そこにただひたすらに広がるは、あらゆる生命の存在を拒絶するかの如き紺碧。まったく無慈悲で容赦のない世界で覇を競っているのだと、彼は改めて噛み締める。

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