脅威! 青天の霹靂作戦⑪

太平洋:硫黄島西方沖



 帰投し始めた攻撃隊の惨状は、潰走という表現を用いるのが妥当と思えた。

 あちこちに被弾しボロボロになった機が這う這うの体で、統制をまったく欠いた状態で戻ってきて、辛うじて『天鷹』の飛行甲板に降り立つといった具合なのだ。当然ながら、負傷した搭乗員も少なくない。中には着艦を成功させるや否や、安堵感からプッツリと事切れてしまう二飛曹すらいたほどだ。


 ともかくも生還できたのは僅か14機。硫黄島に不時着した2機を含め、ようやく元の3分の1に届くかといった程度だった。

 特に凄まじいのは艦爆、艦攻の被害。爆戦を含めて24機出撃した零戦が、どうにか半数近く残存したのに対し、彗星と天山はそれぞれ3機と2機しか生き残れなかった。数に勝りたる敵が相手であるから、何割かの犠牲は覚悟して出撃しはしたが――鉄壁の堅陣を前に比率は逆転し、不良ながらも賑やかだった連中が、一度に50余名も喪われてしまったのである。

 そしてこの惨憺たる結果に誰より衝撃を受けていたのは、第七航空戦隊を率いる高谷少将に他ならない。金的殺法の成功から一転、彼は一敗地に塗れた将となってしまっていた。


「たった十数機しか戻らんのか?」


「他は皆、やられたというのか?」


 最大戦速で西へと遁走する『天鷹』の飛行甲板に棒立ちし、遠ざかりゆく東の空をひたすらに凝視しつつ、高谷は譫言のように繰り返す。

 この上ないくらい粗にして野だが、決して卑ではなかった荒くれ者ども。殺しても死ななそうな太々しさを備えた彼等もまた、長い戦いの中で櫛の歯が欠けるように散っていき、その都度尊い犠牲であったと受け入れてきた。しかし突き付けられたのは櫛が根本からポッキリと折れるかの如き大損害で、何かの間違い、夢幻の類であってほしいと願わざるを得なかった。


 だが刻一刻と過ぎていく時間が、容赦なく精神を締め上げてきていた。

 どうしようもなく稚気めいた期待が浮かんでは、すぐさま防波堤に砕かれる波濤の如く消え失せる。希望は既に10のマイナス何乗という領域にあり、更にそれは0に向けて情け容赦ない急降下を始めている。酷薄なる現実が否応なく認識され、視界が色褪せてグニャリと歪み出した。


「馬鹿な、どういうことだ……」


「司令官」


 憔悴しつつも整えられた声が耳朶を叩く。

 現れたのは飛行隊長の博田少佐であった。彗星指揮機に座乗して攻撃隊に随伴した彼は、それでも頭に包帯を巻いており、その姿を直視するなり心臓に激痛が走る。


「戦果報告になります。敵巡洋艦1炎上、不確実ながら敵空母1に命中打。敵機7を撃墜……」


「それだけ、なのか?」


「はい。残念ながら……以上です」


 悔恨に満ち満ちたる、今にも崩れそうな声だった。

 重苦しい限りの沈黙が流れる。過大になりがちな戦果報告がこの程度ということは、米機動部隊はほぼ無傷なのだろう。つまりは多大なる犠牲だけが生じたということで、精神の支柱がこれまた圧し折れてしまいそうだった。


 ただここで何より優先されるのは、戦った者達に対する労いに違いない。

 高谷は意識を朦朧とさせつつも、どうにか言葉を発しようと試み……そこで博田が深々と頭を下げていることに気付く。


「米機動部隊の防備は予想以上に堅く、我が方は30機近くがやられてしまいました。命に替えても敵空母を沈めるべきところで、無様な戦をしてしまい申し訳ございません」


 慟哭にも似たる陳謝が響き渡る。

 博田の音吐が一挙手一投足が、これでもかというくらいに魂を打擲した。敵戦力を見誤ったまま出撃を命じたのは、結果的にであれ飛行機乗り達を死地に追いやってしまったのは、他でもない自分であるというのに――いったい何故、部下に詫びられているのか。まったく慙愧に堪えぬ、提げたる三日月刀でもって腹を切って謝したいとすら思ったほどだった。


 だが戦闘は未だ終わっていない。首を上げたる博田は、激烈なる闘魂に満ちたる眼差しでもって訴えかけてきた。

 聯合艦隊司令部より発せられし命令が、改めて想起させられる。我等が今ここで果たすべきは、敵機動部隊の拘束、誘引に他ならない。予想を遥かに上回るほどの被害が生じ、断腸の念で胸がいっぱいであるとしても、それもまた大それた作戦の一局面であるに過ぎない。数十分のうちに始まるであろう大空襲を生き延び、あくまで『天鷹』の健在ぶりを米指揮官に見せつけ続けることで、友軍が付け入る隙を作らねばならないのだ。


(そうだ、任務を途中で投げ出す馬鹿があるかッ)


 高谷は無理矢理でも気を引き締め、過酷なる現実と対峙せんとする。

 空に散っていった者達には、いずれ何処かで詫びねばならぬだろう。しかしここで『天鷹』が沈むようなことがあったら、それこそ彼等が犠牲は浮かばれない。責任を取るにしてもせめて帰投した後にしろ。当面無用なる自責の念をひとまず封じ込め、作戦遂行のための計算機械たれと、己が心を叱咤激励する。


 あるいはかような思考こそが、親分肌で面倒見のよい指揮官を、兵の命を省みぬ人非人に変えてしまうのかもしれない。

 そんなものになってたまるものか、俺の兵が将棋の駒が如くあるものかと、きつく歯を食いしばる。既にこの世にない者どもの名前を、無言であるが故に深く訴えかけてくるその相貌を、決して忘れまいと脳裏に焼き付けていく。


「バクチ、迎撃戦闘の首尾はどうだ?」


 暫しの後、高谷は嶮しくも敢然たる面持ちで尋ねた。


「先の攻撃で頭に血を昇らせた米軍機が、ウンカの如く襲ってくるはずだ。今はそれを凌ぐことに専念せねばならん」


「既に搭乗割もできております。攻撃隊の弔い合戦です、自分も彗星指揮機で出ます」


 博田は壮絶なる面持ちで言ってのける。


「ただ……米軍は強い、此度の空戦でそれが骨身に沁みました。真珠湾攻撃以来の戦ぶりから、心の何処かに油断や侮りがあったのかもしれません。今後はそれ抜きでいきましょう」


「うむ。ともかくもここが正念場、よろしく頼む」


「お任せください。硫黄島の航空隊と合力し、艦隊を是が非でも守り通してご覧に入れます」


 ぎらついた刃のような敬礼。博田は待機所へと戻っていき、高谷もまた後ろ姿を見届けた。

 程なくしてエレベーターが動作し、直掩の零戦が飛行甲板へと持ち上げられ始める。出し惜しみなしの全力迎撃態勢だ。そろそろ本土の飛行場を発っているであろう友軍の攻撃隊を支援するためにも、来るべき太平洋大決戦において借りを返すためにも、今この海域でやられる訳にはいかなかった。


「硫黄島基地より入電。敵編隊、二時半方向より急速接近中。数およそ100」


「よし、かかれ」


 号令一下、搭乗員達がそれぞれの愛機に飛び乗っていく。

 中には秋元中尉のような攻撃隊の生き残りも混ざっているが、熾烈なる戦場へと赴かんとする彼等が相には、疲労や怯懦の色などありはしない。ただひたすらに迫る米軍機を撃滅し、勝利を掴まんとの意気込みに燃えている。惰夫をして起さしめる、荒武者ならではの迫力ばかりがそこにはあった。

 であれば彼等が無事戻ってこれるよう、艦の保全に万全を尽くすのみ。高谷は再び東の空に視線を向け、未だ見えぬ敵編隊をきつく睨みつける。


 そうして数分の後。『天鷹』の21号対空電探が急速に増大する反応を、続いてそれが硫黄島の部隊と激突する様を捉えた。

 既に艦隊上空を旋回していた24機の頼もしい零戦。そのうちの半数が、彗星指揮機に誘導される形で進撃する。軽巡洋艦『十勝』を始めとする随伴艦もまた、高射装置と高角砲を研ぎ澄ませ、数に驕れる敵を迎え撃たんとする。熾烈なる航空戦が如何なる形で決着するか、まったく予断を許さぬ状況だ。

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