脅威! 青天の霹靂作戦⑩

太平洋:硫黄島東方沖



「うぬう……とんだ邪魔が入りおったものだな」


 第38任務部隊の司令長官たるハルゼー大将は、厄介な闖入者にいきり立った。

 直卒する第1群を発った140機の攻撃隊は、さしたる損害もなく父島の航空基地をぶち壊し、空にあった敵機を片っ端から撃墜したとのことだった。かような朗報に気を良くした彼は、空の勇士達の凱旋を前に、『ラファイエット』名物のチョコサンデーに相好を崩しまくっていたのだが……そこにクラーク少将からの救援要請が届いたからたまらない。

 結果、床面には煌びやかなガラス片が飛び散っている。思わず食べかけの氷菓を床に叩きつけそうになったのだが、シェフが腕によりをかけて作ったそれがもったいないと気付き、全部平らげてから器を粉砕したのだ。


「それで、糞あばずれ空母と不愉快な仲間達は今何処だ?」


「現在、硫黄島方面に向け避退中」


 参謀長のカーニー少将が海図を指しつつ回答する。


「考えるべくもなく、未だ健在な硫黄島の元山飛行場を盾にする心算かと」


「だろうな。ちょこまかと小癪な真似をしやがる」


 ハルゼーは肉食獣めいて唸りつつ、判断の材料を迅速に収集する。

 敵戦力は航空母艦1隻に防空巡洋艦1隻、それから駆逐艦6隻といった程度で、第38任務部隊と比べるべくもない。ただそうであっても、ライオンはウサギを狩るのにも全力を尽くすという東洋の諺の通りだ。加えて硫黄島の滑走路は未だ無傷で、厄介な戦闘機が3、4ダースほど展開しているようだから、それと一緒に屠らねばならなかった。


 対してこちらが投じられる艦載機は――クラークの第2群の分と合わせて200機くらいだろう。

 横須賀を奇襲して以来、第38任務部隊は手柄を挙げ続けてきたが、相応に戦力を擦り減らしてきてもいた。航空機というのは飛ばすだけで損耗する機械に他ならず、戦闘任務であれば尚更となるからだ。実際、未帰還にならずとも着艦を終えた時点で修理不能と判定される機も多く、特に急降下爆撃機や雷撃機の損害が馬鹿にならない状況だった。

 無論その代替として、F4Uを対艦攻撃機として用いる予定ではある。とはいえここは硫黄島沖。日本海軍の長距離爆撃機の脅威を鑑みれば、艦隊防空をおろそかにする訳にもいかない。


「一撃でもって片を付ける。そうする他あるまいな」


 ハルゼーは厳かな口調で断じる。

 幾人かが意外そうに呻いた。アメリカ海軍で最も好戦的と評される指揮官の1人と、ジャップ殺戮精神の権化と、間違いなく目されているからだ。


「よろしいのでしょうか?」


 口火を切ったのは作戦参謀だった。


「硫黄島の迎撃機隊の存在を鑑みるに……それでは食中毒空母を取り逃がす可能性がございます」


「俺も率直な気持ちとしては、あの空母が海の藻屑になるのを見届けるまで、徹底的にやりたい。だが敵の指揮官は恐ろしく狡猾で、まったく侮り難いペテン師野郎だと考えた方がいいだろう」


 ハルゼーは双眸をぎらつかせ、少々悔しげに拳を握る。

 実態はどうだろうか。知らぬが仏に類する意味の諺は、英語にもあるのか分からない。


「そんな奴なら……自分達が連合国軍に嫌われまくっていることすら承知の上で、我等を誘き寄せようとするに違いない。そうなったら敵の思う壺だ。肥溜めにまんまと踏み込んで若き水兵達を無駄死にさせ、パウナルの奴みたいに憤死する訳にはいかん。それから航空参謀、君はどうだ?」


「はい。我が第38任務部隊は200機からなる攻撃隊を放っても尚、1グロスもの迎撃機を発進させる余力を有しております」


 エスタブリッシュメント風は航空参謀が滔々と述べ、


「しかしこれは、1グロスしかないとも言えます。我々は関東地方を猛爆しましたが、日本列島にはまだまだ多数の飛行場と対艦攻撃部隊が存在するはずです。更に……我々はまだジークの作戦行動範囲内にいると考えるべきでしょう」


「そういうことだ。加えて絶対に空母を喪失して帰ってくるなと、ニミッツ長官にきつく言われてな。喪失艦が出たらキンメルみたいに軍法会議かもしれん。もっと戦力が手許にあれば、もっと大きな賭けにも出られるが……今回はここが潮時だろう。今日の悔しさは次回、もっと戦力が揃った時のためにとっておこうじゃないか」


 ハルゼーはそう言い終えて暫し瞑目し、眼光を研ぎ澄ませた。

 疑義はそれ以上出ず、定められた方針に基づき誰もが動き出す。参謀達は直ちに攻撃計画の詳細を詰めに入った。父島より帰還する艦載機を受け入れるべく整備員達が駆け回り、着艦フックで制止させた機体の損傷度合いを急ぎ調べ、疲れ切ったパイロットにコーラを振る舞い休ませる。クラークの第2群と無線で連絡を取り合うなど、作戦全体の調整をすることも忘れない。


 そうした中――硫黄島沖の戦いにまた新たな動きが生じた。

 同じく艦載機の収容を始めた任務部隊第2群に向け、日本軍機が急速接近中との報が入ったのである。やはり一筋縄ではいかぬ強敵だ。ハルゼーは武者震いしつつ知恵を巡らせ、寸秒の後に追加の決断を下す。


「戦闘航空哨戒中の戦闘機を、まとめてクラークのところへ向かわせろ。ジャップ攻撃隊を袋叩きにしてやるのだ」





「待ちに待った対艦攻撃だ。お前等の命は今日この日のためにあったと思え」


「目標は1に空母、2に空母。3、4がなくて5に空母だ。是が非でも爆雷撃を成功させ……アメ公のタマ取ってこい」


 かの如き高谷少将の獅子吼に、蛮的この上ない搭乗員達は奮起した。

 紛うことなき機動部隊に対するお礼参りである。敵将ニミッツ、マッカーサーは当然として、未だに手柄なしだの動物園だのと嫌味を投げつけてくる海軍のいけ好かない連中に、今こそ目にもの見せてくれる。そうした赫々たる戦意をもって、45機からなる『天鷹』攻撃隊は出撃したのだった。しかも硫黄島の零戦隊まで増援にきてくれたから、まったく心強い限りであり、少なくとも敵空母1隻は撃沈確実と誰もが思ったほどだ。


 だが見通しは甘かった。地球の裏側から蟻が這ってくるほど甘かったかもしれぬ。

 米機動部隊上空には、ウンカの如き数の戦闘機が犇めいていた。デップリと憎たらしいF6Fヘルキャットが、外見からは想像もできぬような俊敏さでもって突っ込んできて、50口径機銃弾を猛烈にばら撒いてくるのだ。しかも編隊戦闘がやたらと上手い。艦爆や艦攻を護衛するはずだった零戦は、既に散り散りになってしまっていて、相当に悪い戦況だった。


(こいつら、やりおるッ)


 零戦隊を率いる久我山大尉。彼は歯を食いしばり、上方からの殺気に満ちた一撃を躱す。

 愛機のすぐ脇をF6Fが轟音を立てて駆け抜け、下方へとグーンと抜けていく。彼はまず後方を一瞥した。


(六時よしッ)


 安全確認の後に操縦桿を一気に倒し、動力降下で追撃にかかる。

 F6Fは猛烈な勢いを保ったまま右旋回に入っていき、久我山も必死に追い縋る。根元がコンクリートで固められているかの如く重い操縦桿に、こなくそと渾身の力を籠めていく。それでもこの速度域では敵に分があるようで、機影は僅かずつ小さくなっていた。


「ぬうッ、ここまでか」


 旋回を僅かずつ緩め、苦しげな息を吐き出した。

 続けざまに周辺を捜索し、低空を進む味方機を発見する。その後方にはやはりF6F、叩くべきゴロツキはこれだと久我山は断じた。


 だがそこで注意散漫な瞬間が生じてしまった。

 標的とは別のF6Fが突然目の前に現れ、急速にその機影が大きくなった。彼我の距離に反比例するように時間が間延びし、まさかと目を剥く敵パイロットの顔が鮮明に映った。恐らく相手からは、自分も同様に見えていることだろう。お互い回避など間に合わぬと悟っているのだ。


(ああ、俺はここまでなんだな)


 走馬灯の類は特になく、久我山は最期にぼんやりとそう思った。

 刹那、零戦とF6Fが正面より衝突。空に生きたる2名が揃って散華した。客観的に評するならば、それは米海軍にとって有利な結果と言えるだろう。





 爆装零戦を駆る秋元中尉もまた、目の前の戦局に慄然としていた。

 満を持して『天鷹』を飛び立ったはずの攻撃隊は、四方八方より飛び掛かってくる米軍機の大群に四分五裂。味方が何処を飛んでいるのかも、また何機が残っているのかも、まるで分からなくなってしまっていた。


 それでも後に続くを信じ、硝煙弾雨の中を僚機とともに緩降下していく。

 愛機に懸吊されたるは25番爆弾、もって狙うべきは眼前のクリーブランド級巡洋艦。両用砲と高角砲を合わせて24門も背負った、飛行機の天敵とでも言うべき艨艟だ。これを無力化して初めて、敵空母への血路が啓けるのである。


「行くぞ野郎ども」


 届くはずもない声をもって威勢を上げ、射爆照準器で敵艦を捉えた。

 苛烈を極めた対空射撃に愛機は揺さぶられ、時折機体に激震が走ったりもする。それでも三舵の手応えから、未だ飛行に支障はないと分かった。40㎜の野太い光弾、それよりはか細いがシャワーのように撃ち上げられる連弾。致死的な驟雨だが、臆したらその時が最期だ。


「よし……宜候、宜候」


 秋元は発声でもって精神を冷却しつつ、僅かに針路を修整し、


「それッ、食らえ」


 と短く叫んで機銃の引き金を絞る。

 見舞った弾丸は敵艦に当たって火花を散らし、それを認識すると同時に25番爆弾を投下した。


(いけるな)


 秋元は確信を得、そのまま海面ぎりぎりの低空飛行に移る。

 離脱時に敵弾を雨霰と浴びせられ、撃墜される者はかなり多い。自分がそうならぬためにも、今度は戦闘機として味方を支援するためにも、ここが肝心だと頑張っていく。


 そうして堪えること数十秒。安全圏に達したと判断し、秋元は愛機の機首を上げた。

 同時に戦果はどうだったかと後を振り返り、見事敵巡洋艦に黒煙を上げさしめたのを確認した。『天鷹』配属なくらいだから人格に難あれど、まったく見事な腕前だ。


(だが、おい、何だよこれは……)


 目の当たりにした酷薄なる現実に、秋元は強かに打ちのめされた。

 敵艦に狙いを定めるより前、忌々しい敵戦闘機に小隊のカモ番がやられたのは覚えていたが――彼に追従して緩降下爆撃を実施したはずの2機が、何処にも見当たらなくなっていたのである。

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