マーシャル闇討ち作戦①

マーシャル諸島:マジュロ環礁



「なあ、どうして俺等、こんなところにいるんだろな?」


「さあな。そんなことより晩飯のメニューでも考えてた方がいいぜ」


 アデレード近郊出身の兵隊達が、甲板上で暇を持て余しながら、そんなことを言い合う。

 日本軍が本土に上陸するのではという懸念から根こそぎ動員が決まり、総勢50万もの大兵力を擁するに至ったオーストラリア陸軍にあって、第1師団所属の彼等はまさに選りすぐりの精兵だ。舟艇で敵軍の待ち構えたる浜へと乗り込み、カンガルー狩りで鍛えた狙撃術で有色人種どもを撃ち殺しまくる――少なくともそのはずだった。


 だが友軍が木曜島奪還やアルー諸島侵攻で活躍し、武勇伝を作りまくっている中、第1師団はどうしてか動かなかった。

 理由は中隊長に聞いても分からない。ただひたすらに訓練ばかりが続き、流石に飽き飽きしてきたところでようやく乗船命令が出たと思ったら、今度は米軍が占領した太平洋の環礁に輸送船ごと留め置かれる始末。しかも滅多なことでは島へと上陸できないし、椰子の木くらいしかないようなところだから、まったく退屈極まりなかった。


「せめてなあ、娼館くらい作れっての」


 のっぽの兵隊がアメリカ煙草を燻らせながらぼやき、


「あるいはそれ専用の船とかな。何故ないんだ? このままでは性癖が変になっちまう」


「ティム、そういう話は止めろ。正直言って洒落にならん」


 赤ら顔の同輩が思い切り顔を顰めた。

 実際、神の摂理に背いた輩も、時折軍隊に紛れ込んでしまうものだ。先日の一件に関しては、小隊長が迅速に対応してくれたから事なきを得たが、まだそんなのが周囲にいるかと思うと夜も眠れなくなる。


「そういや」


 気まずさに耐えかねてか、のっぽは話題を変えた。


「あの船、何だろうな? 妙な雰囲気だ。あれこそ娼婦ボートだったりしないか?」


「しないだろ」


 指差された方を眺め、赤ら顔はうんざりする。

 ただ少しばかり具に見てみると、確かに違和感があると思えた。自分達が乗っているリバティ船と同型のようではあるが、アンテナが幾分多めに生えており、加えて薄気味悪い小奇麗さがある。とすれば間違いなく娼婦は乗っていないだろうが、興味が湧いてこなくもない。


(といっても……)


 どうせ何も分かりはしないし、分かったところで自分には関係ないだろう。

 ならばやはり、晩飯のメニューでも考えていた方がいい。赤ら顔はそう結論付け、黙々と煙草を楽しんだ。まさかそれが彼の人生に重篤な影響を与えるなど、この時点では想像の埒外だったに違いない。





サイパン島:ガラパン港



 2年ほども大工事を続けた甲斐あって、西太平洋随一の要塞島と化しつつあるサイパン。

 文月も終わろうとしている今、歴戦の雑役艦として名高い航空母艦『天鷹』は、同島西部のガラパン港沖に碇を降ろしていた。来るべき決戦に向けて重装備を運搬するためで、空襲警報が相応に頻発する中、屑鉄として隠密輸入されたらしいソ連邦製の戦車を特大の発動艇で荷揚げしたりしていた訳である。


 ただ作業を終え、護衛してきた輸送船が疎開者を乗せて内地への帰路に就く中、『天鷹』には待機命令が下った。

 もしや何らかの攻撃的作戦に組み込まれるのではないか。七航戦司令官でとかく好戦的な高谷少将は、当初そんな風に期待を膨らませたりしたのだが――考えてもみれば下段格納庫はすっからかんのまま。そのまま出撃したところで戦果など挙がりそうになく、大部分を大村に残置してきた666空も一向にやってこないので、どういうことなのかとヤキモキすることとなった。

 そうして3日ほどが無為に過ぎた頃、二式大艇がパラオ方面より飛来し、聯合艦隊司令部の参謀が作戦書を持ってきた。三上作夫なる頭の切れそうな元気者の中佐である。


「ともかく重要なのは、今ここで勝つことです」


 三上は拳を握って力説し、


「喩えそれが小さな勝利であれ、まず勝って主導権を手にすれば、自ずとその後の勝利も転がり込みます。それ故、この丹作戦を着実に実施、米軍にマーシャル諸島は安全ではないと分からせてやらねばなりません」


「うむ。まさに勝てば負けないだな」


 煙草を荒っぽく吹かし、高谷はまずウンウンと唸ってみせた。


「とはいえ……何だ、これは?」


「と申されますと?」


「目指す勝利がチンケ過ぎる。確かにマリアナ沖で一大決戦をやるに当たって、マーシャルが策源地となるのは間違いあるまい。だがそれなら米機動部隊がやってきたところを狙うべきだ、その方がいいに決まっている」


 高谷はあからさまな功名心でもって、聯合艦隊の態度を消極性と糾弾する。

 丹作戦というのは要するに、銀河陸爆を用いた奇襲である。具体的にはトラックに集結中の521空を中核とする50機の攻撃隊を編成、ポナペに一旦着陸させて補給を行い、『天鷹』を中核とする機動部隊と合同でマジュロ環礁を夜間空襲するという内容だ。それだけを見たならば、結構な内容と思うかもしれない。


 とはいえ最大の問題は、真珠湾の米機動部隊が移動してこないうちに発動するというところである。

 当然それでは戦果は挙がらぬ。精々が輸送船や駆逐艦、よくて護衛空母がいいところで、それではさっぱり自慢にならぬ。警戒を強要して疲弊を誘う、日本海海戦の勝利があったのもバルチック艦隊将兵がバテていたからだというが、アメ公だってヤンキー魂を燃やして頑張ってくるに違いない。

 その辺りを喧しく問い詰めていくと、三上は些か困ったような顔をし、機密めいた内容を話し始めた。


「どうもですね……作戦が一定以上の規模になると、途端に情報が漏洩するという傾向があるようでして」


「いや、真珠湾では上手くやれたのだろう?」


「少将、流石にそれは古過ぎるかと」


 呆れたとばかりの言葉。まあ確かに、不適切な例過ぎたかもしれない。

 だが三上の分析が事実なら、択捉島沖海戦などはどうなのだろう? 戦艦を伴った空母機動部隊同士が、真夜中にバッタリ出くわして砲戦になってしまったが――まあ考えてもよく分からない。戦は分からぬことだらけだ。


「まあそういう訳でして、下手に数を出すとバレて返り討ちに遭うやもしれません。故に本作戦は少数精鋭で実施します」


「ふむ、なるほど」


「それから何故、機動部隊を直接叩かぬかというところですが、その困難さは高谷少将こそよくご存知かと。停泊中といえど空母の何隻かは警戒任務に就いておるでしょうし、このところの米軍は、どうも電探を搭載した駆逐艦でもって厳な早期警戒網を構築しとるようですので」


「う、ううむ……」


 硫黄島沖での大苦戦が、ありありと脳裏に蘇ってくる。

 赫々たる大和魂でもって断じて行えば、鬼畜米英もこれを避く。声を大にしてそう主張したいところではあるが、バンカラを通り越した無鉄砲ではやはり話になるまい。


 とすればやはり、頭のいい連中に従う他ないのだろうか。

 確かにここで勝ちを拾い、もって大戦略的な主導権を確保するという目標を達成するには、実際これ以上の手はなさそうだ。主力艦撃沈の機会に恵まれなさそうなのは業腹だが、またの機会に取っておけばいい。恐らく次は天下分け目の決戦、流石に『天鷹』のみ不参加とはならぬはずである。


「まあ、分かった」


 高谷は不承不承肯き、


「何だか上手いこと言いくるめられておる気がするが、これが最善と信じて全力を尽くそう」


「はい。重ね重ね、よろしくお願いいたします」


 三上は深々と謝し、それから何か気付いたような顔をした。


「なお豊田長官が言っておられたのですが、この作戦が無事成功した暁には、中将昇進もあり得ると」


「今、本作戦の意義を痛感した。万難を排してマーシャル諸島を空襲し、皇国を勝利に導こうではないか」


 高谷はあっという間に態度を翻した。まったく現金なものである。

 そうして三上はそそくさと『天鷹』を退艦し、迷物のエビ天や新開発の洋辛子餃子を一口も味わうことなく、二式大艇でまた何処かへと飛んでいく。20世紀最大の艦隊決戦とされるマリアナ沖海戦、その前哨戦とされる丹作戦は、かくして急速に熱を帯び始めた。


 なお豊田長官が云々というところは、実をいうと口から出任せに近かった。

 今次大戦が無事に片付いたならば、恩賞人事であれも中将に進級かもしれん。そのようなぼやきが漏れていたのを、三上が素晴らしく曲解しただけである。

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