高速潜航二百海里

大西洋:ニューヨーク沖



「なるほど。今日、私は生まれて初めて、潜水艦というものを理解するに至った」


「これまで私が自ら乗り組み、また運用してきたのは、ただの可潜艦でしかなかったようだ」


 海軍作戦部長に栄転したニミッツ元帥は、グロトンの秘密実験場を訪れた際、かような言葉を漏らしたとされる。

 何処ぞの重巡洋艦に対する揶揄にそっくりな言い回しであることからも分かる通り、その真偽に関してはかなり疑問符がつく。とはいえ彼が視察した最新鋭潜水艦の評価としては、何ひとつとして間違ったところはなかった。地中海戦線での英雄的な最期を遂げたる先代の名を受け継ぎ、合衆国海軍で6代目の『ノーチラス』と命名された彼女は、海中を16.7ノットで何十時間も駆け回るという、従来の常識を一挙に覆さんばかりの潜航能力を有していたのだから。


 海棲生物さながらのそれが、新開発の原子動力機関に由来することは、もはや記すべくもないだろう。

 原子爆弾の過早爆発という厄介な問題が浮上したが故、急遽陽の目を見ることとなった沸騰水型軽水炉。計画が始まった当初は核分裂燃料たるプルトニウムすら十分に存在しないというあり様だったが――半年以内で艦載可能なものを作り上げろという無茶苦茶に過ぎる要求に、ロス・ガン博士率いるプロジェクトチームは全力で応えた。結果、彼等は1か月前の6月5日に"ジャンク"と渾名したる実験炉を初臨界させ、度胸試し感覚で炉に近付いて急性放射線障害で死亡した作業員を5、6名ほど出しながら、100時間の連続運転に成功したのである。

 なおその時には既に『ノーチラス』側の準備は整っており、"ジャンク"は彼女の2つ目の心臓として即座に組み込まれた。無論のこと公試をさっさと済ませ、決戦兵器として積極活用するためである。


「実験艦を十分な運用試験もしないまま実戦投入するなんて……頭が沸騰しそうだ」


「生後間もない赤ん坊を戦場に出しますか、貴方? こんなの前代未聞の狂気の沙汰ですよ」


「これが如何なる事態を招いたとしても、技術者として責任を負いかねる」


 かような台詞とともに計画から脱落した人間も、当然ながら結構な数に上った。

 副責任者たる傲慢不遜のリッコーヴァー中佐は、税金泥棒だの技術者の恥晒しだのと彼等を面罵しまくったものだが、工学的には論外どころでないという感覚は、言うまでもなくガンも有していた。それでも今は世界大戦の真っ只中。革新的兵器を一刻も早く前線にという要望に応えたいという熱意と、不完全な代物を送り出して将兵に万が一のことがあってはという懸念を天秤にかけ――確かなる信念に基づき、前者を優先するべきとしてきたのである。


 そしてそうであるが故、ガンは今、『ノーチラス』の第二機関室にいるのだった。

 分厚い鉛の壁で隔てられた原子炉区画に据えられたる"ジャンク"。その設計に際しては最大限安全側に振ってきた心算ではあり、陸上での連続運転試験の結果も良好だったとはいえ、洋上公試で初めて出てくる不具合もあるだろう。恐らくは想定を超えてくるそれらに的確に対処し、最低限の運用ノウハウを蓄積することこそ、自分に課せられた死活的に重要な義務だと彼は確信していた。


「さて、そろそろ時間ですかね」


 ガンは腕時計を一瞥し、またリッコーヴァーと目配せする。

 直後、第二機関室の電話が鳴り、艦長のメルヴィル中佐が公試を始めると連絡してきた。運命の瞬間がやってきたのだ。


「さあ目を醒ませ、我等が祖国は侵略されているぞ」


 リッコーヴァーは唐突にそんなことを呟き、


「機関始動」


「了解。機関始動します」


 復唱。マサチューセッツ工科大学を出たばかりという機関士が、若干ぎこちない手つきでボタン群に手を伸ばした。

 この機構により、カドミウム製の制御棒が上下する。現在は全挿入状態にあるそれらのうち幾つかを、所定の位置まで降ろしていけば――その分だけ炉内の中性子数が増大し、"ジャンク"が臨界するという寸法だ。


 そうして警報音がジリリと鳴り響く中、ガンはあれこれメモしつつ、固唾を呑んで状況を見守った。

 事は自ら策定した手順書の通りに進んでいく。対数中性子計の針は徐々に動き始め……ある瞬間、それは一気に片側へと振れた。プルトニウムの核分裂反応によって放出された中性子が、また別のプルトニウム原子核を核分裂させるという連鎖的な反応が、遂に炉内で持続する状況に到達したのだ。


「臨界、今」


 炉心の青い輝きを脳裏に描きつつ、ガンは高らかに宣言した。

 続けて機関士達とともに、炉の温度や圧力、一次冷却水の循環流量などに細心の注意を払っていく。急増した中性子数にそれらも追随し、生じた膨大な水蒸気によって駆動し始めたタービンの振動が、艦体から肉体へと伝わってきた。まさに水を得た核燃料のように全身が熱を帯び、実際その通りの反応が持続しているという事実が、何より心地よくてたまらない。


「おおッ、聞こえる、聞こえる……原子動力機関の鼓動が、聞こえる!」


 リッコーヴァーもまた感極まり、


「どうだ、"ジャンク"に異常はないか?」


「異常ありません。すべて正常です」


「よし……機関出力20%」


 新たな命令が発せられ、機関士がそれを受領。操作へと移った。

 当初のぎこちなさは若干薄れていた。しかし彼は十分以上の慎重さをもって、追加で幾つかの制御棒を引き抜いていく。またもう1人が炉内へと循環する一次冷却水流量を微調整し、急激な反応増加を抑制する。彼等が密なる連携によって"ジャンク"の出力は更に上昇。多少のぶれはあれど、概ね命じられた通りの出力値で平衡した。


 それから間もなく、一次冷却水の奔流によって唸りを上げるタービンが、艦の駆動系へと連結された。

 微速前進。『ノーチラス』はゆっくりと動き出し……彼女に乗り組む全員が、年齢や階級の区別なく歓喜に湧く。合衆国海軍はこの瞬間、原子動力艦という人類未踏の領域に、確かなる一歩を踏み出したのだ。


「本艦、原子動力航行中」


 かような内容の暗号電が打たれた後、『ノーチラス』は本格的な試験へと入っていく。

 原子炉の全力運転や緊急停止、最大戦速での潜航などを含む、本来であれば最低でも数か月はかけるべき内容だ。しかしガンとリッコーヴァーに感化された熱狂的技術者達と、殊の外優秀なことで知られる乗組員達は、戦時下の勢いのままに、それらを2週間でこなしてしまう心算だった。


 そして工学上の奇跡とでも言うべきか、あるいは"ジャンク"の設計の妙が故か、ほぼすべてが順調に進んでしまった。

 特に試験最終日、『ノーチラス』は深度150フィートでの潜航を12時間連続で実施し、一気に200海里を踏破するという信じ難い記録を打ち立てた。かくして彼女は従来兵装ではまったく太刀打ちできぬ圧倒的性能を示し――太平洋艦隊への配属が決定された。マリアナ沖にやってくるであろう日本海軍主力に単艦斬り込み、その捕捉撃滅をもって上陸作戦を支援するためであることは、もはや記すまでもないだろう。





福岡:九州帝国大学



 枢軸陣営の原子物理学界において一躍有名人となった浦教授もまた、新たな可能性に心を時めかせていた。

 彼が設計開発し、実物を臨界させてしまった黒鉛炉は、当然ながら艦載するにまったく向かない。しかし炉内で燃焼させた天然ウラニウムの残滓に、中性子照射によって誕生した核分裂性の新元素が相当量含まれていることが判明し――それを分離抽出すれば、非常に扱い易い動力機関が作れると気付いたのである。


「この仮称ニッポニウムを用いればだぞ、船舶も鉄道も圧倒的性能を出せるようになる」


 有頂天の浦は口角泡を飛ばしまくり、


「無論のこと兵器だって大きく変わる。例えば潜水艦などは、古臭いディーゼル機関と電池におさらばだ。原子動力なら酸素はいらんし、むしろ水を酸素と水素に分解するくらいだからな。まあともかくも20ノット、30ノットで100時間の水中航行とか、そういうのが常識となるに違いない。新時代はこの未来、世界中全部大革新だ」


「教授、発言がちとアカっぽいですよ」


 古渡助教授が微妙に苦言を呈し、


「研究の機密だ何だで、この辺は憲兵だらけですし」


「うん? 原子物理学と工学技術の話だぞ?」


 浦は思い切り首を傾げ、それから共産主義関係の不愉快な記憶を蘇らせる。

 マルクスだのレーニンだのに被れた阿呆が、内容を理解してもおらん癖に講義にやってきて変な盛り上がり方をするので、黒板消しを投げつけてやったことがあった。そうしたら翌日、研究室が盛大に荒らされており――思い出すだけでも腹立たしい。


「まあいい。古渡君、この仮称ニッポニウムの生成過程はどうかね?」


「やはりウラニウム235の核分裂によって生じた高速中性子が、減速して熱中性子となるまでの間に、ウラニウム238が共鳴吸収を起こし易い速度域があるものと予測されます」


 古渡は手書きの図を示しながら続け、


「そうして中性子を吸収し、ウラニウム239となった原子核が、二度のベータ崩壊を経て新元素となったと考えるのが妥当かと。この辺りは理研の大サイクロトロンを借りられれば、色々と捗るのですが」


「あいつらは天上天下唯我独尊なのがいかん」


「ははは。なおネプツニウム239の半減期は概ね2日半ほどと推定されます」


「うむ。それで臨界から暫くした後……」


 根津学生がすっ飛んできた。そう言おうとしたところ、当人が研究室の扉をバタンと開けて入ってきた。


「教授、大変でごわす!」


「うん? 今度はいったい何だね?」


「海軍の某という大佐から伝言でごわす。重大事案につき車を回す、すぐ乗れとのことでごわす」


「なッ……何だって!?」


 浦は困惑と戦慄を綯交ぜにしながら、いったい何事かと思案する。

 そして軍人サンの相当な慌てぶりから、戦争に関して拙いことが起きたのだろうと想像し……敵国たる米英がとんでもない科学国であることを改めて思い返した。


「まさか奴等……既に原子兵器や原子動力機関を実用化したとでもいうのか!?」

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