南国の決戦前夜漫談
海南島:三亜港
「しかしまったく、随分と懐かしいところにやってきたな」
水無月半ばの麗らかな陽気の中、波止場の一角で釣り糸を垂れながら、高谷少将はぼんやりと呟く。
戦争が勃発する直前、同じようにエフ作業に興じていた記憶が、昨日のことのように思い出された。あれからほぼ3年半。途中、上海での食道楽勤務もあったりしたものの――航空母艦『天鷹』と札付きの部下とともに、東の北米沖から西のイタリヤに至るまで、各地の戦場を渡り歩いてきたものだ。
もっとも主力艦撃沈という宿願は、未だ果たせず仕舞いで、範囲を軍艦まで広げても戦果が皆無。
お陰で聯合艦隊内での評価は最底辺なままで、役立たずだの無駄飯食いだのという悪評が付きまとう。よろしくない呪術の類でも食らっているのではないかと、真剣に考えてしまいたくなるくらいだ。中には敵艦を沈めるばかりが能でもないと知ったような口を利く者もいるが、これは何の慰めにもならぬ放言だ。結局のところ皇国を勝利へと導くには、戦艦や空母を海の藻屑とする以外にないのである。
「日露戦役の後、米白色艦隊がやってきたのを覚えているな?」
「ズラリと勢揃いした戦艦が、砲門を皇居に向けている様を想像しろ。決戦に負けるとそれが現実になるのだ」
もう名前を忘れてしまったが、兵学校教官の振るっていた熱弁が脳裏に蘇る。
実際その通りだろう。他が完璧であったとしても、艦隊決戦で敗れたならば、何もかもが水泡に帰してしまう。最近は戦艦より空母かもしれないが、艦載機の射程が長く索敵も得意なので、余計に厄介極まりない。
(それ故、次こそは……)
高谷は内心の鬱屈を払い、闘志を滾らせ、ちょうど反応のあった釣竿を引き上げた。
ここで大物が釣れたならば、ようやく自分にも武運が巡ってくる。勝手にそう思い込み、腕に渾身の力を籠めたところ、海面から長靴が飛び出してきた。
「少将、なかなかの御手前で」
直後、聞き覚えのあり過ぎる声が響いてくる。
振り返ってみればヌケサクこと抜山主計少佐が、豪勢なエビ入りの籠を傍らに置いて敬礼していた。高谷も釣竿を放って返礼し、心底ウンザリといった顏を浮かべる。
「何だヌケサク、嫌味でも言いにきたのか?」
「いえ。次なる任務の見当がつきましたので、その報告に参りました」
「おおッ、本当か?」
高谷はすかさず目の色を変えた。
「相変わらずどうやって探りを入れておるのか分からんが……それで、具体的に何になりそうだ?」
「またも輸送のようです」
「おいおい、冗談だろう……?」
主力艦を沈める機会がまるでなさそうな回答に、例によってガックリ項垂れる。
ついでに詳しく聞いてみると、特殊回転体とかいう正体不明の筒状貨物と一緒に、新生中華民国軍の工兵部隊をパレンバンまで運ぶのが仕事というから最悪だ。そんなもの適当に客船か何かを徴傭してやらせておけと言いたいところであるし、それらの行儀の悪さは『天鷹』乗組員の比ですらないから、艦内が痰塗れになってしまいそうである。
加えてさっぱり読めぬのは、聯合艦隊司令長官たる豊田大将の意図するところ。
確かに忌々しき択捉島沖海戦では、遠藤中将のせいでアイオワ級戦艦を1隻沈め損なったとはいえ、全体としては結構な戦果が挙がった。だが真珠湾の米機動部隊は依然として強力無比で、何時マリアナ諸島に来寇するかも分からない。更には今年1月末に木曜島が陥落したのを皮切りに、豪州西北岸のダーウィンに米豪軍20万が集結しつつあるという。こちらはバンダ海方面を伺う構えで、敵は両作戦をもってニューギニア島を大包囲する狙いであるようだ。
そんな状況にもかかわらず、『天鷹』にはまともな任務が割り当てられない。大湊での騒動が未だ尾を引いているのかもしれないが……それにしたっておかしな話に違いない。
「まあ、その辺りの事情につきましては」
愚痴に相槌を打つなどしていた抜山は、唐突に聡い目をし始めた。
それから彼は毎度のようにノートを取り出し、高密度の文字列が記されたページを捲りまくる。
「実のところこの戦争はもう仕舞い、そんな観測まで出始めておりまして」
「何、ふざけるなよヌケサク!?」
高谷はクワッと目を見開き、
「それでは手柄が挙げられん、最後の最後まで戦果なしで戦を終えられるか!」
「その、自分に言われましても」
抜山は瓢箪ナマズが如き態度でもって、上官の憤怒をぬるりと躱した。
「実際、米英による欧州反攻はほぼ潰えましたし、パリがあの様となると……そろそろ休戦という話にもなるかと。燃え盛る炎のようだった米国世論も、今年に入って急速にそちらに傾いているようですし、英国に至っては講和の打診案が流れてきております。共栄圏はほぼ認めるがビルマは完全中立、マレーと香港の権益はある程度残せ、セイロンとニューギニアからは退いてボース一味への支援は打ち切れ……とか何とか」
「うん? 音を上げとる癖に随分と条件を付けてくるな?」
「満洲国と南京政府の承認が当然入っておりますから、十分以上に元は取れておるかと。加えて我が国としても……」
抜山は更にノートをパラパラと捲り、数値がやたら細かく記入された表に目を通す。
「流石にそろそろ、経済が拙いことになってきております。何せ国家総動員法が施行されてから7年以上も経っておりますから」
「国民総生産は戦争しとる間に3割伸びたとか新聞に書いてあったぞ?」
「何から何まで軍需ですし、それ以上に物価上昇が酷いことになっておるかと。それから少将、我が国は今後、大東亜十億の民草に責任を負わねばなりません。特に新たに独立した共栄圏諸国などは産業が脆弱というか、元が欧米の植民地主義のお陰で商品作物ばかり育てておったりしたところに今次大戦の混乱が加わった訳で……何処そこで物価が10倍、100倍になったとかそういう話まであります。ならば将来に亘って手を携えるべき彼等のためにも、そろそろ戦争を終わらせねばならぬかと」
「なるほど。とすると次の任務は……共栄圏の宣伝も兼ねておるんか」
高谷は適当にぼやき、抜山が案外と心の籠った声でご明察と追従する。
若干忘れかけてはいたが、『天鷹』は元々満洲国の客船『文珠』だ。それが現地の道路開発か何かを担当するであろう中華民国軍の工兵を、スマトラ島はパレンバンまで輸送する訳だから、何となく大東亜省的な思惑が絡んでそうな話ではあった。
とはいえ――航空母艦は航空母艦として活躍し、敵艦撃沈の栄誉に輝くべきであろう。
加えて米国はその歴史を見れば一目瞭然なように、とにかく西漸を国是としている。モンロー主義を標榜しながら、アジア方面は別だと言って憚らぬくらいだから、大東亜共栄圏なんて絶対に面白くないだろう。となれば今次大戦を仕舞いにするとしても、欧州戦線で大負けした分を太平洋で取り戻してからだと、やはり最後の艦隊決戦を企図してくるのではなかろうか――かような思考に基づき追及すると、確かにそれも考えられるとの回答で、だったら最初からそう主張しろと言いたくなる。
「ただその場合でも、時期は早くとも9月以降ということになるかと」
抜山は自信満々に分析し、
「航空部隊や地上兵力を移動させるには相応の時間がかかりますし……海軍作戦部長のキング元帥が突然更迭され、その後任として太平洋艦隊司令長官のニミッツ元帥が本国に召還されるなど、人事面でのごたつきも見られます。加えて米英首脳会談でバレンツ海作戦の実施やインド洋の安定化を約束したとかで、太平洋に海軍力を集中させられぬ環境を自ら作ってしまっているというのが実態の模様で。有り体に言うと、同盟国に引き摺られていると」
「なるほど、新米大統領は新米の大統領か。漢字にすると一緒だな」
しょうもない冗談を口にし、高谷はケラケラと笑う。
抜山の言うことは常にそれっぽく聞こえるが、案外と当てにならぬという経験則があった。とすれば来るべき艦隊決戦も、新米大統領のお陰で予想より早く生起するかもしれず、その時が待ち遠しくて仕方がない。
「まあともかく、今度こそ大物を仕留めてやる」
高谷は天に向かって決意を表し、勢いのままに釣竿を投げた。
例によってそれは、ここで大物がかかったならばという非科学的な願掛けで……暫くした後、彼は渾身の力でもって、自転車の残骸を釣り上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます