大逆転! 原子科学超兵器

ワシントンD.C.:ホワイトハウス



「何かないのかね、こう、一発で戦争に蹴りが付けられるようなのが」


 5月中旬。欧州における善後策を協議する葬式めいた会議の場で、トルーマン大統領は唐突にそんなことを呟いた。

 まったく小児的という他ない愚痴である。あらゆる製品は既存の科学的、工学的蓄積の上にしか存在せず、万能の兵器など存在し得ない。ましてや一発逆転の超兵器においてをや。通常であれば即座にそう反駁されたところだろう。


 だがこの時期のアメリカ合衆国は、まさにその超兵器を手にしようとしていた。

 総重量1万ポンド程度でありながら、TNT爆薬に換算して1万トン分の破壊力を有する原子爆弾が、間もなく完成する予定なのだ。6年前の連鎖的核分裂の発見以来、異常な速度で革新を遂げつつあった原子物理学。その軍事的利用を図るべく極秘裏に始まり、十数億ドルという国費を飲み込んできたマンハッタン計画が、遂にその成果を挙げ始めたのである。


 もっとも――トルーマンは原子物理学に明るい人間ではなく、マンハッタン計画については機密保持の観点から、副大統領時代の彼には名前すら開示されていなかった。更には大統領に就任した後も、引継ぎで忙しいからと報告書を読まずにいた。

 そのため陸海軍の長官達がその存在を示唆し、議論の俎上に乗せようとしても、


「いやいや、人を馬鹿にしているのかねスティムソン君。確かに私は何かないかと尋ねはしたが、そんな非現実的なものが存在し得ないことくらい小学生でも分かる」


「マンハッタン計画? いったい誰が前任者の妄想について話せと言ったのかね?」


「フォレスタル君も空想科学小説の読み過ぎだ。ここは現実の問題を議論する場のはずだ」


 といった具合にまったく取り合わぬ始末。

 そうして計画責任者のグローブス准将と幾人かの科学者が召喚され、原子爆弾に関する綿密なる説明を実施し……やっとのことトルーマンは諸々を理解したのである。なおその時も、何故もっと早く教えなかったのかと癇癪を起していたから、何処の国であっても宮仕えは大変だ。


「まあいい。つまるところ話は一気に簡単になった」


 コーヒーに角砂糖を放り込みつつ、トルーマンは大雑把に言う。


「この原子爆弾とやらを量産し、ドイツや日本、イタリヤにそれぞれ1ダースずつ落としてやれば、この戦争は我々の勝利で終わる。そういうことなのだろう?」


「大統領閣下、それだけの爆弾が揃うのは早くて再来年です」


 陸軍長官のスティムソンは困惑した表情で回答し、


「報告書の再確認になりますが……来月に最初のMark.1型爆弾が完成、2発目の完成は11月中を見込んでおります。Mark.3型は諸々の事情があって遅延気味であり、9月から10月にかけて爆発実験を実施。それによって設計に問題がないことを確認した上で、量産態勢に入る予定です。つまり今年中に実戦投入可能な爆弾は、最大でも3発しかありません」


「何とな。そんなに時間がかかるのかね」


「残念ながら。生産施設の増強を急いではおりますが、核分裂物質は今のところ、爆薬のようには生産できてはいない状況です。爆弾の生産スケジュールにつきましては、19ページをご覧ください」


「ふむ……」


 トルーマンは思い切り顔を顰め、改めて報告書へと目を通す。

 紙面にはスティムソンの説明にあった通りの内容が記されていた。特にMark.1型原子爆弾は高濃縮ウラニウムを用いるもので、その調達に信じ難いくらいの手間がかかるとのことだった。天然のウラニウムにごく僅かに含まれる核分裂性の同位体の濃度を、ほんの僅かに高める工程を何百回と繰り返し、更にそれを電磁加速器でもって再濃縮したりしてようやく使い物になるというから、気が遠くなりそうな話である。


 一方Mark.3型については、黒鉛炉なる施設を稼働させているだけで、自動的に核分裂物質のプルトニウムが生産されるとのこと。

 ただしこちらは爆縮装置という、スイカを均等に圧縮するような代物が必要で、その設計に時間がかかっているようだ。プルトニウム自体は既に出荷が始まっており、陸海軍の協定に基づき海軍に供給され、実験潜水艦の動力源としてに使われているとのことだが……爆弾と動力炉の違いがいまいち分からない。ただ何にせよ、こちらもすぐに状況が改善する訳ではなさそうだ。


「ううむ……如何な超爆弾とはいえ、3発では不十分という他ないな」


 トルーマンは気難しげに眼鏡のずれを直し、


「率直な話、戦争はもう1年と続けられなさそうな情勢ではないかね。それなのに、よくて片手の指くらいの超爆弾しか使えないのでは話にならんだろう。だいたいスティムソン君、君の所属しておる共和党は……」


「大統領閣下、そこは発想を転換してみるべきかと」


 よからぬ方向に話が進みそうになったが故か、新たに国務長官となったバーンズが割って入る。


「こうした場合、相手側指導者の視点に立ってみることが重要です。戦争も外交も、相手あってのものですから」


「ほう、詳しく説明してくれたまえ」


「はい。つまるところ重要なのは、原子爆弾の実戦投入がなされた場合、相手がドイツであれ日本であれ、確実に国中が大混乱に陥るというところです」


 バーンズは確信に満ち溢れた声で続け、


「何しろ戦争に間に合うはずのない大威力兵器が投入される訳ですから、混乱せぬ理由がありません。ええとスティムソン長官、この間は日本の黒鉛炉開発について報告いただきましたが、今のところ日独とも原子爆弾の早期実用化が可能との確証に至っていない……という認識に変化はございませんか?」


「認識の修正を要する情報は特に上がってきておりません」


「どうも。ともかくも大統領閣下、このように枢軸諸国にとって、未だ原子爆弾は空想科学の領域にあります。一方で我々は来月にもそれを実用化、量産化する訳ですから、真珠湾を遥かに上回る奇襲効果を齎すでしょう。加えて彼等からすれば、我々が原子爆弾を何発保有しているのかも分からぬのです」


「なるほど。確かにその通りかもしれん」


 トルーマンは深く納得し、物事はアインシュタインの理論のように相対的なのだとの所感を得た。

 実際、敵国の指導者の視点からすれば、対処方法などないようなものだった。原子爆弾搭載機の阻止に失敗した場合、都市や軍事拠点、あるいは艦隊が丸ごと1つ消滅する上、外見から非搭載機と区別することもできない。となれば飛来するすべての大型爆撃機を撃墜するという、非現実的な防空能力を得ぬ限り、常に大破壊の脅威に苛まれる。この状況で戦争を継続するなど、まったく無理な相談に違いない。


 加えて国内に蔓延する厭戦気分にしても、原子爆弾の存在が明らかとなれば、あっという間に吹き飛ぶだろう。

 戦争はあと1年しか続けられないという思考も即座にゴミ箱行きだ。最初の3発では枢軸国の戦意が折れない可能性もあるだろうが、それならばこちらの要求が通るまで、壊滅的打撃を与え続ければいいだけだ。大規模な地上戦や海戦も不要、少数の大型爆撃機を侵入させる以外は防御に徹するだけで大勝利が転がり落ちてくるのだから、戦争を中途半端なところで止めてしまう方が損と誰もが考え始めるはずである。

 そうしてトルーマンは甘ったるいコーヒーを飲み、希望的な結論へと至る。日独伊に原子爆弾を1ダースずつ落とすことはできなくても、生産された傍から投げつけていけばいずれ勝てる。やはり話は簡単になったのだ。


「とりあえず、話は分かった。欧州戦線は当面、ノルマンディーの維持のみに注力すればいいということだな? そのうち爆撃機がドイツの都市を蒸発させるようになるから、既に勝ちは決まったようなものだと」


「大統領閣下、まさにその通りです」


 バーンズが朗らかな面持ちで追従し、


「加えて原子爆弾の使用によって決定的な勝利を納め、驚異のうちに関連技術を独占してしまえば……世界の覇権は半永久的に我等が合衆国のものとなりましょう。そうなればいずれの国も、我々のやり方を取り入れざるを得なくなります」


「実に気宇壮大、だが十分あり得るな」


 そしてゆくゆくは地球連邦初代大統領だろうか。トルーマンは大いにほくそ笑む。

 更にはこちらを素人政治家と見くびって適当なことを抜かして回ったチャーチルやスターリンに対しても、原子爆弾は何よりの圧力となること請け合いだ。しかも今年に入って以来、マンハッタン計画に関する正確な情報は英国にすら渡していないとのこと。既に戦後を睨んで勝手に動き出している彼等もまた、腰を抜かすことになる――そう思うと心底楽しかった。


 なお一方のスティムソンは、どうにも怪訝そうな面持ちを浮かべてはいた。

 ただ別段、異論を唱えんとしている風でもなかった。あるいは自分が原子爆弾について保守的固定観念を抱き過ぎていたことに気付き、それ故に沈黙を守っているのかもしれない。


「なおその意味では」


 発言の機会を失し気味であったフォレスタル海軍長官が、ようやくのこと口を開く。


「太平洋戦線においては是が非でも、日本本土爆撃のための拠点を確保せねばなりませんな。つまりはマリアナ諸島を」


「うむ、それを達成しさえすればチェックメイトだ。ニミッツ君には頑張ってもらわんとな」


 トルーマンは少々嗜虐的に面持ちを浮かべ、明後日に着任予定の新海軍作戦部長のことを思い出す。

 クビを言い渡した翌日、盛大に飲んだくれた挙句に腹上死したキング元帥。その後任としてワシントンD.C.に赴任してくるのは、太平洋艦隊司令長官を長らく務めてきた、実直な人柄で知られる人物だった。

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