突撃! 解散総選挙

宗像町:演説会場



「旧弊を打破した新経済観念こそが日本を真の国民国家たらしめ、今を時めく大東亜共栄圏の礎となった」


 大日本政治会系列の文物に目を通したならば、往々にしてこんな記述が目についたりする。

 軍人なんぞに何が分かるかといった当時の批難とは裏腹に、基本的には正しい内容と言えそうであった。中央銀行が発券する通貨は金兌換義務を有するべきであり、故に通貨供給量は国の金保有量に連動させねばならぬという金本位制度。金融の権威たる学者や財政通を自ら称する政治家、実事業家などが揃いも揃ってそれを妄信し、理論に実体を合わせんばかりの倒行逆施によってかえって諸国万民を大混乱に陥れていた頃、次なる総力戦に堪え得る高度国防国家を目標として研究を重ねていた陸軍中堅将校達は、生産される総付加価値に立脚した管理通貨という新概念に着目していたのである。


 またそうした先見性が遺憾なく発揮されたがため、先の大戦の勝利があったと考えられるやもしれぬ。

 例えば昭和15年の工業生産高は、10年前の2.5倍ほどとなる272億円にまで増大している。無論のこと成長分の結構な割合が、支那事変勃発を契機とする軍需好況に支えられたものではあった。ただ当然ながらそれは、戦略上重要な分野には十分以上の予算を躊躇なく投じるという政府の決断的姿勢を否定する内容ではなく、また突沸的需要増が民間企業の創意工夫と経営努力、設備投資の呼び水となったとも分析でき……かようにして振興された産業が4年以上も続いた大東亜戦争を下支えしたというのも、疑いようもない事実と認識されるべきであった。


 もちろん一部の人士からは、


「戦中は財政破綻寸前で、大変に拙い状態だったのではないか」


「茶を1杯飲むのに、大八車いっぱいの札束が必要になるかもしれなかった」


 といった反論が、実質預金があっという間に目減りした恨み節を伴って、未だになされたりしている。

 ただ上記の如き主張をするのは、没落した金満家や元不在地主などおおよそ通貨供給量を制約することで利益を得ていた者達で、ここでいう財政破綻というのも、つまるところはインフレーション亢進の意味だった。とすれば元々それでもって農村救済や財閥勢力の抑制などを目論んでいた政策当局者からすれば、多少性急ではあるが願ったり叶ったりの結果でしかなく、資産額がおおよそ負の数値となっていた小作や労働者にとっては、賃金の高騰と相俟って、事実上の徳政令として機能した側面すらあった。橋本某という幾らか頭の狂った元陸軍の代議士が、社稷を思う心が皆無の連中にはいい薬と一刀両断して拍手喝采を浴びたのも、こういった事情を踏まえれば容易に理解できるだろう。


 そして戦時体制が故の社会構造的地殻変動を経た後に、大東亜景気の幕が開けた訳である。

 蓋を開けて出てきたのは、民需生産へと戻った工場群が10億の民草の需要を賄うべく終日操業し、賃金上昇で羽振りのよくなった労働者が精力的に消費活動に勤しんだりする高度産業国家。それも世界五列強の一角としてアジアに円決済圏を築き、共栄圏内の交通と貿易を大いに活性化させた上での繁栄ともなれば、デモクラシーが足らぬ云々と文句を並べる輩もそう多くなるはずもない。大政翼賛会の流れを組む大日本政治会が、独裁だ幕府だと謗られながらも国会議事堂に堂々君臨できているのには、それ相応の理由と有権者の支持があるということだった。



「とはいえ皆様、ちょいとここらで更なる改造が必要になってきてはおりませんでしょうか?」


 黒山の人だかりを前にそう訴えるのは、本当に衆議院議員選挙に出てしまった高谷退役中将。

 なお所属は大日本政治界より分裂した改造倶楽部。鶏口となるも牛後となるなかれとかいう適当な理由で、好き好んでそれほど大きくない政党に属してしまった彼だが……実のところを言うと、綱領を真面目に読んですらいなかった。まあ目を通したら理解できるのかというと、これまた怪しいから仕方ない。


 ただ大東亜戦争の英雄に数えられていたりはするから、知名度だけは抜群にあった。

 それ故、地元佐賀での当選は確実だからと、あちこちに応援に行くことにもなった。同じく初出馬の候補を金沢で盛り上げたと思ったら、明くる日は下関の魚市場で演台に立ち、それから連絡船に乗って釜山に赴いたりといった具合。何とも忙しい限りだが、大戦中は常時そんなだっただろうと思い返し、原爆推進宇宙艦構想を絶賛してくれた仲間のために粉骨砕身するのである


「常に生産能力を上回る通貨を供給し、もって各種産業を活性化していく。巨富の退蔵が損となるよう物価を調整し、もって経済の好循環を実現していく。日政会の基本改造方針はまことに結構でございます。これが故に貧農問題も解決に向かい、美味くもない麦飯が銀シャリに変わった訳でございますから、原則には異存は一切ございません。ただせっかく麦飯が銀シャリに変わったのですから、次はきちんとここに鯖の味噌煮や卵焼き、わかめの味噌汁や蜜柑を追加していくべきだと考えておるのです」


「おおッ」


 野良仕事を終えて集まった者達が、まさに涎を垂らしながらどっと沸いた。

 その様子を楽しみながら、高谷は朗々と説いていく。喋っているのは何となく把握しているだけの内容だが、近年この辺りは近郊農業化が進んでいるようだから、馳走になった昼飯をネタにするのがいいのである。


「しかしながら日政会は、未だに白米の生産量だけを増やせばいいという脳味噌でいる。主食たるコメが最重要なのは論を俟たぬとしても、そればかり注意がいっていては駄目で、他の分野でも似たようなやり方が横行している。電力や水道のように製品数が1個しかない産業や、鉄鋼や化学のようにあまり製品数の多くない、そして事業を営むのに莫大な初期投資を要する産業であれば、このような数量主義が正しいと言えます。一方で食堂の献立が1種類しかない、饅頭屋に饅頭が1品しかないといった事態は避けるのが得策でありましょう。すなわち製品数の多い産業は参入した業者に自由競争させ、製品数の少ない産業は指令経済的に統制する。これはまさに寺門君の著書の受け売りでございまして……ええと寺門君、これで合ってますかね?」


「はい。まさにその通りです」


 人懐こい表情をした新進気鋭の寺門候補が、バトンをきっちり受け取った。

 海軍一等兵として大東亜戦争を戦い、除隊した後に貿易会社で働きながら政治経済学部へと進学、大なる研究功績を残した逸材だ。かつては女形の格好をして、大勢を前にしょうもない歌を吟じていた気もするが……男子三日会わざれば刮目して見よという言葉の通りであった。


 もっとも少しばかり、専門的過ぎるところが玉に瑕かもしれぬ。

 寺門は指令経済的なやり方を、最近商工省が進めんとしている自動車産業統合を例に挙げて批判する。とはいえ聴衆の反応は今ひとつ。確かに乗用車の売り上げは毎年伸びてはいるものの、宗像ではまだまだ本田技研のオートバイや大阪発動機の三輪車が精々。であれば単一企業が同じ型式のものを大量生産すれば安くつくと思えてしまうのが道理で、あと10年くらい経済成長が続けば様々な乗用車を選ぶ余裕が生じてくるのだと、高谷は機敏に補足した。


「まあともかくそういった訳でございまして、ただ前動続行するのではなく、改造すべきところは改造する。改造をまた改造する。非効率的な事業はより効率的な事業へと転換し、道理に欠ける統制は廃止する。そうした改造精神こそが最重要でありまして、そのための確固たる論理的基盤を有する寺門君を国政に送り出してこそ、将来に向けた飛躍的発展が約束されるのであります。ここ宗像の町を大いに改造し、ひいては日本、大東亜を改造するためにも、寺門君をよろしくお願いいたします」


「皆様、寺門通信に清き一票をお願いいたします」


 拍手喝采。若き候補者は深々と首を垂れ、聴衆に謝した。

 応援演説の反応としてはなかなかではなかろうか。1人100票くらい入れたいとか言い出す若いのもいて、大変に愉快な気分になってきた。


 もっとも集まった者の中には、天邪鬼なのもいたりする訳である。

 非効率的なものを転換するとか言っているが、原爆推進宇宙艦など実際にやったら、その最右翼になってしまうのではないか。やたらと聡い聴覚がかような呟きを聞きつけるや、たちまち顔面が真っ赤になった。


「おい誰だ、原爆推進を馬鹿にしやがる戯けは!」


 メガトン級の憤怒を炸裂させ、高谷は万雷の如く怒鳴った。

 あまりに直情的で考えなしな行動に、一帯はたちまち騒然となる。しかも本当に三日月刀で斬りかからんばかりで、慌てて止めに入った運動員が次々と蹴飛ばされるという前代未聞の事態に発展。最終的に発言者の陳謝でもって場は収まったものの、報道のカメラにばっちり映されてしまった。


 なお選挙結果について言うならば、かような大醜聞がありながら、高谷は中選挙区でトップ当選してしまった。

 まさに改造倶楽部が主張していたような理由で、大日本政治会が有権者に飽きられていた面があり、時流の大波に乗れてはいたのだった。ただ寺門候補はこの件があってか苦戦を強いられ、開票から1日経った後にようやく名前に花がついた。流石にそれが身に沁みたのか、糟糠の妻に心底呆れられたのが堪えたのか……かの問題児も相当に反省し、「七十有五而不怒」という馬鹿げた書道を、初登院の前にしたとのことである。

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