脅威! 青天の霹靂作戦⑯

マーシャル諸島:マジュロ環礁



 奇襲的なる空襲の後、火力支援部隊の猛烈なる艦砲射撃に晒された環礁。

 南洋の楽園であったはずのそこには、見るも無残な光景が広がっていた。滑走路はちょうど真上に浮かびたる月の表面が如き惨状を呈し、電探施設や高射砲陣地も悉く瓦礫の山と貸している。地積の限られた島嶼に1000トン超の航空爆弾や大口径砲弾が叩き込まれた訳だから、傍からみれば生き残った兵など1人としていないのではないかと思えたほどだ。


 それでもマジュロの守備隊の人的損耗は数%程度で、十分な戦闘力を維持し続けてもいた。

 巧みに擬装が施され、現地製珊瑚コンクリートと椰子の丸太で固められた防護陣地は、圧倒的火力によっても易々とは破壊されなかったのだ。頼みの中戦車や15㎝榴弾砲もまた、半数ほどが生き残ってすらいた。ならば米軍に一泡吹かせてやろう。孤立無援の難局にあれど、将兵は例外なく意気軒高だった。

 ただ中には、今まさに戦場となりそうな島を離れる者達もいる。彼等の目には後ろめたさが見て取れた。


「最後まで一緒に戦うことができず、申し訳ございません」


 笹本大尉は深々と頭を下げる。

 米海軍力の包囲下にある島より、搭乗員のみ避退と決まったためだ。


「まあ乗れる人数が限られてるんだから、まったく致し方ないよ」


 強がっている風でもなく、従容とした口調で整備隊長は返す。

 搭あっての整、整あっての搭。そんな建前通りでないところは多々あったとはいえ、命を預け、兄弟の如く過ごしてきた仲間だ。今になって色々と迷惑をかけたことが思い出され、心苦しいことこの上ない。


「それに僕等はメカニックだからね。やられた機体の機関砲を銃座に据えたり、航空爆弾を簡易ロケットにして戦ったりできるけど、パイロットは飛行機がなきゃ戦えない。パイロットに歩兵戦闘をやらせるなんて大馬鹿さ」


「頭では理解しております」


「なら、死に場所がちょっと違うってだけだろ」


 整備隊長はクスリと笑い、


「少し寂しくはなるが、まあじきに靖国で会えるさ」


「それが楽しみです」


「ああ、お互い手柄を立てて、あとで自慢し合おう……と、迎えが来たみたいじゃないか」


 南十字星輝く永遠不変の夜空。その低い辺りを整備隊長が指さした。

 現れたのは人員輸送用の二式大艇。敵火力支援が弾薬補給か何かのために環礁を離れた間隙を突いて飛来したそれは、まったく穏やかなる内海に危なげなく着水した。


「では、ご武運を」


 笹本はそう言って辞し、仲間の許へと戻っていく。

 残余の搭乗員を収容したる二式大艇は、大勢の帽振れで見送られながら帰路に就いた。途上、夜戦型F6Fの追撃を受けて移送中の2名を喪いはしたものの、どうにかトラックへと帰還した。


 米海兵隊の上陸と熾烈なる島嶼戦が開始されたのは、その翌々朝のことである。





オアフ島:太平洋艦隊司令部



「このところ飯が美味くて仕方ないし、昨晩はビフテキ2ポンドをレアで食べたよ」


 一時は病人の如く窶れ果てていたニミッツ長官は、記者達を前にそう言って健啖ぶりを示したという。

 すべてはハルゼーの大活躍が故だった。彼の率いる第38任務部隊は、多大なる困難が予想された横須賀奇襲作戦を見事成し遂げ、厄介極まりない日本機動部隊を半身不随にしたのである。しかも損傷艦を出しこそそれ、航空母艦を1隻として失わなかった。軽巡洋艦『ヴィックスバーグ』と駆逐艦3隻、数百もの航空機という損害は決して小さくはないが、合衆国の建艦能力を鑑みれば許容し得る範囲で、まさに猛将の面目躍如といったところである。


 一方でこのところの懸案であったのは、続けざまに発動されたマーシャル諸島攻略作戦。

 制空権と制海権の両方が備わり、楽勝と見られていたそれは、予想に反して難航していた。ウォッジェやマジュロといった環礁を一気呵成に陥落せしめんと攻め入った海兵第3師団は、現地守備隊の猛烈な反撃を受けて2000もの死者とそれに倍する負傷者を出した。死兵とは何より恐るべきものであるし、日本軍は本当に最後の一兵卒に至るまで戦意を保っているから本当に気が抜けない。当時指揮官であったガイガー中将は、後にそう述懐することとなる。

 ただそれでも、最終的な上陸戦闘の成功は疑いようがなかった。無血占領に成功した幾つかの島には既に飛行場が建設され始めているし、日本海軍の機動部隊が襲ってくる気配もなかったためである。


「これに加えて……『バンカーヒル』が助かりそうなのか」


「長官、その通りです」


 ソクラテスなどと呼ばれたる参謀長のマクモリス少将が、この上なく嬉しそうな顔で続ける。


「先程、どうにかジョンストン島に到着したとの報がありました。損傷の度合いが酷過ぎるようですので、復帰には相当の時間がかかるかもしれませんが、ともかくも彼女は生き残りました」


「素晴らしい。奇跡という他なさそうだな」


 ニミッツは静かに神に感謝し、それから淹れたてのコーヒーで一服した。

 横須賀奇襲の支作戦として、また事前の航空撃滅を企図して行われたマーシャル空襲。それに際して航空母艦『バンカーヒル』は、凄まじく練度の高い敵雷撃機に襲撃され、魚雷3発を食らってしまった。エセックス級の設計上の許容限度を超えた損害で、放棄もやむなしかとなっていたのである。


 だが艦長のサイツ大佐は、的確なダメージコントロールで沈没を防いだ。

 そして絶対にフネを持ち帰る自信があるとミッチャー中将を説得し、速力3ノットに低下していた艦を10日ほどもかけて合衆国の島まで運んだのだ。途中で日本軍の航空機や潜水艦に襲われていたらひとたまりもなかっただろうが、神は彼に味方した。天は自ら助くる者を助くという言葉が、自ずと脳裏に浮かんでくる。

 加えて――時折ホワイトハウスに呼ばれるニミッツは、少しばかり政治を考え、結論を得た。


「なあソック、使徒や天使に準えるのはどうだろう?」


「出撃した空母がちょうど12隻だからでしょうか?」


「そうだよ。選挙ももうじきだから、かように宣伝したらどうかと大統領閣下に提案してみたらどうかと思ってな」





柱島泊地:戦艦『信濃』



「長官、何をボサッとしておられるんですか。増援を送らんとマーシャルは陥ちます!」


「沖に米機動部隊の残余が遊弋しとるんです、叩きのめす好機に違いないでしょう!」


 聯合艦隊司令部へと呼ばれるや、高谷少将は開口一番にそう叫んだ。

 元々型などありはしない方だが、今は型通りのやり取りなどやっている場合ではない。今も島嶼では守備隊が何倍もの敵を相手にぎりぎりの防戦を繰り広げている、早くしないと何もかもが手遅れになる。かような具合に大音声で捲し立て、主力艦を搔き集めて決戦を挑めとしきりに催促する。


 しかし聯合艦隊司令長官の古賀大将は、口を噤んだまま動かない。

 そうした態度に不審を抱いた高谷は、まさかと思いつつも詰め寄っていく。それでも打開される気配はさっぱりなく、遂には参謀長の福留少将が割って入ってきた。


「救援は、なしだ」


 福留は無表情に告げ、


「昨晩、マーシャル・ギルバート両諸島の放棄が正式に決まった。故に救援はなしだ」


「おい、何を馬鹿なことを言っておる……」


 高谷は目を大いに見開き、譫言のように言う。

 この場で虚偽の答弁がなされようがないことくらい、流石の彼とて知らぬ訳はない。それでも信じられなかった。来援を信じて孤軍奮闘しているであろう将兵を見捨て、彼等が赤誠を裏切るなどという発想を、脳味噌がきっぱり拒絶していたのだ。


 何しろ今次大戦にあって、帝国海軍は味方を見捨てぬと誇っていた。

 事実、ミッドウェーやウナラスカではすべての将兵を収容し、偶然の成り行きに近いらしいとはいえガダルカナルにも増援部隊と武器弾薬をきちんと送り届けた。なのにどうして、マーシャルに関しては一切艦隊を出さぬというのか。理解し難いことこの上なく、次第に苛立ちまで募ってくる。


「長官、もしや腰が抜けておるんじゃありますまいな!?」


「おい貴様、無礼も甚だしいぞ」


「無礼も糞もあるか馬鹿野郎。硫黄島沖で俺達が米機動部隊を引き付けてるとこを、航空隊で叩きのめしたんだろうが。ならニミッツの野郎は無理を押してマーシャル作戦をやってるに違いない、ここで叩き潰しておかねえでどうする」


「それについてだが……高谷少将、本当にすまん」


 古賀の沈痛な陳謝が唐突に響く。


「まったく不甲斐ない限りだし、今まで黙っておいて悪かったが、硫黄島では下手をやっちまったんだ」


「ええッ、どういうことです!?」


「大本営が撃沈と報じちまった米空母2隻だが……いずれもマーシャル沖で作戦中なのが確認された。端的に言って戦果の誤認、本土からの航空攻撃は何の成果も得られなかったんだよ」


「あ、ありますかそんなこと……」


 高谷は強烈な眩暈を覚え、その場に崩れ落ちそうになる。

 硫黄島沖で散っていった荒くれ搭乗員や『天鷹』の乗組員、それから顔を知らぬ軽巡洋艦『十勝』の艦長。彼等の鮮明なる記憶が次から次へと脳裏を過り、その度に視界が揺らいだ。無茶苦茶としか評せぬ迎撃命令を受け、満身創痍となりながら戦ったにもかかわらず、頼みの友軍は攻撃に失敗した。かようにあまりに残酷な現実が、彼の五臓六腑を貫いていた。


「あいつらは、いったい何のために死んでいったんだ」


 慟哭に似た言葉が漏れた。それに対する回答などあるはずもない。

 高谷は幽鬼の如くうらぶれ、戦艦『信濃』の司令長官公室を後にする。マジュロの守備隊より決別電が送られてきたのはそれから間もなく。玉砕なる耳慣れぬ語が、浮かれる世論に冷や水を浴びせるように響き出す。

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