新米大統領誕生す!

ワシントンD.C.:ホワイトハウス



「先日、私は夢の中で神の啓示を受けました。真なる悪の根源たる東京に攻め入れと、大天使ミカエルは命じております」


「ベルリンのヒトラーは影武者であり、偽救世主アドルフ・ヒロヒトラー天皇は東京より諸国を操り、我が合衆国を陥れんと……しかし我々には、東洋に潜む悪魔を現代のバビロン諸共火と硫黄の池に投げ込むマンハッテン計画があるのです」


 エイプリルフールを翌日に控えた3月末日。正気を疑うしかない怪声明が、ラジオを通じて全米に届けられてしまった。

 まったく信じ難いことに、この中学生でも頭を抱えそうな重大放送事故は、大統領本人によって引き起こされたものだった。しかもルーズベルトはその後、最高機密についてペラペラと喋るという醜態を晒し、炉辺談話は急遽中断と相成った。脳卒中の後遺症が、最悪の形で出てしまったのは言うまでもない。


 結果、憲法の規定に基づき、顔面蒼白となった閣僚達は満場一致で職務遂行不能を宣言した。

 それまで政権への攻撃に余念がなかった共和党も、あまりに常軌を逸した事態にただ沈黙。上院の長老達が緊急会合を開き、速やかなる権限移行を条件として、この件に関しては追及せぬと決定したほどである。世界大戦真っ只中という状況で、指導者の健康問題で国政を混乱させる訳にはいかぬから、これはこれで賢明な判断だったと言えるだろう。


 そうしてワシントンD.C.において速やかなる合意形成がなされた後、


「私が合衆国大統領だ。誰かこの反逆者をひっ捕らえろ!」


「うわ何をするくぁwせdrtfgyふじこ」


 と絶叫するルーズベルトは車椅子ごと病院に搬送され、副大統領のハリー・S・トルーマンが急遽昇格する運びとなったのだ。

 ただ……彼は指導者としてはどうしようもなく新米で、前途多難といったところだった。特に欧州および太平洋の熾烈な戦況に関しては何も知らないに等しく、外交経験も皆無というあり様。そんな人物が老獪なるチャーチルやスターリンを相手とし、自我の肥大化し切った将軍達を御して戦争を遂行せねばならぬのだから、痴呆症でないことくらいしか救いがない。


「とはいえ……何だ、大統領職に就いて真っ先にこれかね」


 執務室の主となったトルーマンは、居心地は最悪と言わんばかりに唸る。

 机の上に置かれているのは、ブラッドレー大将の戦死を報せる書面。包囲下にあった第12軍集団をパリから脱出させるべく、エブルーなる街で陣頭指揮に当たっていたところ、大口径の敵弾に斃れたとのことだ。


 しかもその死は、まったく徒になりそうだから話にならない。

 パリとカーンの間には機甲師団複数を含む枢軸軍が陣取っており、あらん限りの航空支援を注ぎ込んで実施した開囲・脱出作戦はものの見事に失敗。1000機超の輸送機の損耗と引き換えに届けた弾薬燃料は、何万という将兵の生命とともに消失し……第12軍集団の降伏はもはや時間の問題ではないかと囁かれてすらいた。


「既に欧州戦線での犠牲者は、今年だけで30万以上とのことだが……30万だぞ、30万。陸軍将兵の1割超だ。しかも同数がパリで身動きが取れなくなっていると。将軍、いったい何をどうしたらこうなるのだね?」


「大統領閣下、誠に申し訳ございません」


 陸軍参謀総長のマーシャル元帥は平身低頭して詫びる。


「この件に関しましては、まったく申し開きの余地がございません。我々は敵の実力を見誤りました」


「まあ、そうなのだろうが……今後どうするのだ? 今重要なのはそれだ」


「至急、英本土で再編中の第17軍集団をノルマンディーに展開させ、再度の開囲作戦を実施する予定です」


 マーシャルは抜け殻の如き顔を僅かに歪め、


「とはいえシェルブールは占領したばかりで、港の修復は完了しておらず……成算は率直に言って五分五分。最悪の場合、第12軍集団に降伏の許可を与えざるを得なくなるやも」


「糞ッ、最悪の状況だ」


 トルーマンは目の奥に強烈な痛みをを覚え、吐き捨てた。

 酷い置き土産もあったもので、連鎖的に自分まで脳溢血に倒れそうだった。ルーズベルト大統領は合衆国を大恐慌の痛手から立ち直らせ、世界大戦という国難にあっても指導力を発揮してきた傑物に他ならず、それが故に尊敬してきたのだが……晩節の汚しぶりといったら、壁に汚物を擦り付けて笑う人格破産者の如しである。


 それも健康問題が表面化したのに前後して、本当に致命的な過ちを犯してしまった。

 パリを断固死守し、輸送機での補給で友軍の到着まで耐え忍べと命令して暫くした後、突然に第12軍集団をパリから脱出させろと言い出したのだ。朝令暮改の二転三転、つまるところ支離滅裂。その結果が先の、あるいはこれから先の惨劇に繋がったかと思うと、あまりにも胸が苦しい。何もかも投げ出して、ただ走り出したくなってしまう。


「だいたいだ、将軍」


 陸軍トップたる者の抜け殻の如き顔を見据え、トルーマンは尋ねる。


「シェルブールの港を確保せず、マルベリー人工港もまともに直っておらん状況で、何故パリ解放なんて先走り過ぎた真似をしたんだね? こういうのは後知恵と言うのかもしれんが、補給を大事にせねばならんのは素人でも分かるし、どう考えても順序が違う。もう少し腰を据え、じっくりと戦っていたら、こんな無様を晒さずに済んだはずだろう」


「もはや何を申し上げても、愚かな自己弁明にしかなりませんが……」


 マーシャルは激痛に悶えるかのような声をひり出し、


「自分はその通り主張いたしました」


「うん、そうなのかね?」


「はい。実のところ、欧州遠征軍のアイゼンハワー元帥も同じ意見でした。ただどこぞの能無しポパイ野郎と頭が不自由なフランスのドゴールめが……パリを解放すれば何もかもがさらりと片付くと吹き込みまして。その結果がこれです」


「誰だね、そのポパイ野郎というのは」


「海軍作戦部長のキング元帥です。既にお会いになられましたでしょうか? あの野郎、とんでもない傲慢不遜のクソ野郎に違いありません。しかも陸のことは素人の癖に適当な法螺吹きやがってからに」


 突然吹っ切れたようにマーシャルは雑言を連ね、梅毒にかかって死ねばいいなどと放言。

 それからサンフランシスコを襲った最悪の爆発事件についても、歴戦の提督たるハルゼーに責任を押し付けようとするなど、とにもかくにもロクデナシだと付け加える。


「かようにあやつめは……」


 マーシャルはその辺りでようやく正気を取り戻し、


「大統領閣下、失礼いたしました」


「将軍、今の話は本当なのかね?」


 陸海軍の人事状況は予想以上に厄介だ。そう実感しつつ、トルーマンは尋ねた。

 前任者が如何なる意図でそうしていたのかは不明だが、相当の問題児が海軍に潜り込んでいたのではないか。太平洋の作戦が思うように進捗していないのも、そのせいかもしれないと直感する。


「記録などはあるだろうかな? 会議の議事録とか、そういう類のものだ」


「はい。間違いなくございますが……」


「分かった。キングは更迭しよう」


 トルーマンは実にあっさりと決断した。


「無論、詳細をきちんと調べてからだが……将軍、君の主張が事実であれば、そんなのが合衆国海軍におり、元帥なんて地位にあること自体がどうかしている。クビにするのが一番だ」


「え、ええと……大統領閣下、自分はその」


「将軍、どうかしたかね? 君こそさっき相当な悪口を言っておったではないか。いやまったく同感だ。私はそれなりに愛妻家で、いい歳して自分の娘より若い女に執着する倫理観の欠如した痴れ者は嫌いなのだよ。それが軍の作戦を台無しにするなら尚更な」


 若干奇妙な態度に首を傾げつつ、トルーマンは滔々と述べる。

 それから時計を一瞥した。とにもかくにも大統領という職業は多忙で、引継ぎを終えた時点で倒れてしまいそうなくらい、予定がびっしりと詰まっている。副大統領として選挙戦に打って出た時から一応の覚悟は持っておいたが、まさかこれほどとは。そんなことを思いつつ、彼は微妙な表情のマーシャルを下がらせた。


 そしてつかの間の休憩。コーヒーの芳醇な香りで疲労を和らげながら、トルーマンは執務机の一角にふと目をやる。

 ちょこんとそこに鎮座していたのは、古代生物学をやっている大学時代の旧友が記念に送ってきた、首長恐竜を象った木工細工。この種の恐竜はコロラド産のブラキオサウルスしか知らないので、適当にブラキーと名付けたのだが、眺めていると妙に気分が落ち着いてくるから不思議である。


「まあ……これで問題あるまいな」


 当然、ブラキーは何も答えない。

 運命は未だ神のみぞ知るところで、合衆国や世界の行く末もまた、漠とした闇に包まれているばかり。それでも国を背負って立たねばならぬのが、指導者というものに違いない。

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