始動! 殊勲艦宣伝大戦略

東京:銀座



 誰であっても気分が浮かれてくると、「まあいいか」と大概なものを通してしまったりするものだ。

 無論、停戦発効記念で企画された諸々の作品の大部分は、従来の戦意高揚的な内容のものではあった。例えば昭和22年のキネマ旬報ベスト・テン第1位の栄冠に輝くこととなる東宝映画『軍艦大和』などは、敵味方を超越した海の男の物語と世界的に好評を博したりした。ただその一方で、正月気分の抜けない大本営海軍報道部員が、深酒の末に書き散らかしたと思えぬ逸物も案外あり……破廉恥が過ぎるだの卑猥こそ最大の魅力だのと殴り合いになったりするのだから情けない。


 まあそうした観点からすると、海軍を題材にした漫画などは、概ね真っ当な部類と言えるだろう。

 ともかくも今次大戦においては、数多くの殊勲艦が生まれた。ならば軍機に触れぬ程度に、それぞれの艦の詳細なる活躍を巻ごとにまとめ上げ、学童に親しみ易い形で頒布すればいいとなったのである。そうして集められた中には、少ないながらも女流作家の姿も見えたりする。国難にあっては絵もまた重要戦力。かような掛け声に集った者達で、後の少女誌の大御所がいたりするから、なかなか目の付けどころは良いということとなるのやもしれぬ。


「しかしヒナ、お前が栄えある『天鷹』の担当とは、俺も鼻が高いぞ」


 今は鳴門姓となった妹の日向子に、坂井戸造船少佐は上機嫌に言う。

 それから銀座千疋屋のフルーツポンチをパクリ。つい昨年まで質素倹約が求められていただけあって、果実の種類は少なくなっていたりはするが、流石は宮内庁御用達だけあって実に美味い。それに大東亜共栄圏が現実のものとなった今、南洋のマンゴーやらパパイヤやらが今後加わることは明白で、これまた新たな楽しみとなってくる。


「兄さん、出来レースですよあんなの」


 少しばかり間を置いて響いてきたのは、コロコロと屈託なく笑う声。


「私以上の適任がいるとしたら、それこそ高谷提督か陸奥艦長の奥様くらいでしょう。どちらも絵をお描きになるという話を伺ったことはありませんけどね」


「まあ、そうなるよな。俺もあの艦の改装を担当したし、ヒナに至っては言うまでもない」


「でも不思議ね」


 日向子はイチゴを摘みながらちょいと首を傾げ、


「うちの人も時折零していましたけど、『天鷹』って元々は鳴かず飛ばずの、ついでに少しガラの悪い艦だったのでしょう? それが突然、陸海軍合同部隊の旗艦に選ばれて、今ではテニアン島の原子爆弾を覆滅した救国の英雄なのだから正直びっくり。男子三日会わざれば刮目して見よ、ということなのかしらね」


「ヒナ、フネは軍艦だろうと駆逐艦だろうと女だぞ」


 坂井戸は軽やかに返した。

 それから少しばかり真剣な顔をし、果汁を吸って風味を増したバナナを食しながら、見聞きした範囲の逸話や噂話などを頭の中で整理する。諸々を総合した末の結論は、限りなく荒唐無稽と思えてならぬが、ともかくもそれを念頭に続ける。


「あと『天鷹』についてだが……どうもあの艦、まったく気付かぬうちに、敵の戦略を毎度のようにぶち壊して回っていたらしくてな。米戦艦を都合8隻も撃沈した『大和』なんかと比べると、確かに直接的な戦果についてはパッとしなかったとは言えるだろうが、彼女のなした独立遊撃的戦闘の影響は、原子爆弾奪取を省いてすら凄まじく大きいかもしれんそうだ」


「兄さん、それ本当ですの?」


「ああ。俄かには信じられんが、米英海軍があの艦を異様なほど嫌っているという情報があったのだそうだ。でもって頭のいい参謀が戦闘詳報を繋ぎ合わせ、丹念に敵味方の動きを追ってみたところ、ある意味でとんでもない強運艦なんじゃないかという仮説を立てるに至った。義号作戦で『天鷹』が旗艦に抜擢され、高谷中将が司令長官に任命されたのも、それが割合大きな理由らしい」


「うちの人、ちっともそんな話してくれませんでしたよ?」


「作戦については身内だろうと話さんだろう。それに当事者にも聯合艦隊のお偉方にもさっぱり自覚できぬほど、複雑怪奇な因果が絡んでいたようなのだよ」


 我ながら実に説得力に欠ける、半ば迷信めいた説明だ。坂井戸はそう思って苦笑い。

 知らずのうちに敵の計略に致命的な一撃を加え、大変なる混乱を誘発させることで、友軍の勝利に貢献し続けた。それが本当だとすると、参謀がいったい何のために存在するのか分からなくなりそうだが……実際にその通りなってしまったのだから仕方ないと、納得するしかないというのが実態であるようだった。


「まあこの辺りの事情については、連載を始めるに当たって、海軍から色々説明があるはずだよ。義兄さんにしても、戦争が片付いたのだから話せることも増えるだろうし。それを上手いことまとめて、ひとつの作品に仕立て上げるのがお前の仕事だって訳だ」


「となると普通の軍艦の話には絶対ならなさそうね」


「その意味では、面白おかしい漫画作品とするには適しているんじゃないか? 元が果てしなく破天荒な訳だからな。数百キロの作戦行動半径を有する艦載機が空を飛び交い、砲弾も数十キロを飛翔する時代にあって、艦上での白兵戦を二度もやるなんてもう前代未聞としか言いようがない」


 坂井戸は実に朗らかに笑い、ふと腕時計を一瞥する。


「と、あと少ししたら出発するとしよう。現地は混雑が予想されるから、関係者といえど時間に余裕を持っておかにゃならん」


「変なとこだけ、うちの人の真似をする必要もありませんものね」


 兄妹はそんな調子で美味なる果物を平らげ、会計を済ませて名店を出た。

 近隣の百貨店は早くも戦勝記念大特売をやっていて、めかしこんだ人々で溢れている。歴史が僅かでも違っていたら、原子爆弾による壊滅的破壊を被っていたかもしれぬ街並みを通り抜け、これまた賑やかなる新橋駅へと到着。京浜線に乗り込んだ彼等が向かう先は、横須賀駅に他ならなかった。


 その理由については、もはや記すべくもないだろう。

 父島での応急修理を終えた『天鷹』が、遂に内地へと帰投するのだ。列車は鮨詰めの満員状態となっていて、時折運行に支障が出たりもする。とはいえ皆揃って元ゴロツキの殊勲艦を一目見んとしていた訳だから、一般と比べれば格段の関わりを持つ人間としては、押し競饅頭の窮屈さすら誇らしく思えたりもした。

 そして混雑具合に流石に辟易とし出した辺りで、珍妙な発案が飛んできた。曰く、フネは女なのだから、軍艦のマスコットキャラクタなる乙女の漫画を描いたらどうかという代物だった。


「おいおい、春画じゃないんだぞ」


 飛躍的発想力に驚嘆しつつも、坂井戸はひとまず苦笑する。

 ただよくよく考えてもみれば、浮気癖で海外にまで名を馳せたる陸奥艦長が、似たようなことを常々口にしていた記憶があった。船霊信仰の一形態と考えることも不可能ではなさそうだし、案外おかしな話でもないのかもしれない。彼はそんな解釈を得て妹の発案を肯定評価した。そしてハチャメチャな少女に擬えられた『天鷹』の物語を描くとしたら、ほとんど冗談みたいなドタバタ展開になりそうだと想像し……人の波に揺られながら、思わずクスリと吹き出した。

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