堂々凱旋! 海の粗忽者

浦賀水道:観音崎沖



「あーあ、もう夜も随分と更けてしまっているよ」


「内地の景色を拝んでやろうと思ったのに、真っ暗で何も見えやしねえなァ」


 乗組員達の何処か楽しげなる愚痴が、そこかしこに響き始める。

 航海が予定通りに進捗したのであれば、航空母艦『天鷹』はとっくに横須賀港の岸壁に停泊しているはずであった。とはいえ魚雷2発に航空ロケット弾多数を被弾し、挙句の果てにエセックス級の体当たりと接舷切込みまで食らってボロボロになった艦の機関が、まともに動作したらそれこそ奇跡であろう。であれば帰投が多少遅延するくらい、誤差のようなものと割り切るべきだった。


「だが……流石にこれは暗過ぎやせんか?」


 最後の一理の緊張が張り詰める艦橋にあって、高谷中将は違和感を覚えていた。

 目印となる観音崎灯台などは当然、眩い光を投射してはいるようだ。それでも市街の明かりなどは、何故かほとんど見えてこない。煌々たる文明の燈火が夜を祓い始める以前を、あるいは皇国開闢以前の宵闇を、ぼんやりと眺めているかの如き気分で、どうしてか物寂しさすら感じられる。


「単に灯火管制がまだ続いておるんではないかと」


 艦長の陸奥大佐は妙に浮ついていて、


「ラジオじゃ日本中、何処もかしこも大盛り上がりという話ですし、些かおかしな気もしますがね」


「いや、ここは油断は禁物です」


 今度は打井中佐の、相変わらず殺意全開な声が轟く。


「相手は停戦を臭わせながら原子爆弾を落としてくる、とんでもないチンピラ鬼畜ゴロツキアメ公だった訳です。無理に無理を重ねた片道作戦で、帝都への原子爆弾攻撃をやってこない可能性も皆無とは言えんはずです。であれば依然として警戒が必要、灯火管制がなされているとしたらそのためでしょう」


「烈号の方も成功した以上、流石に1発もありゃあせんとは思うがな」


 それに残っているなら、多分ドイツの何処かに落とすだろう。高谷は適当に考える。

 何しろテニアン島に運び込まれ、帝都に落とされるやもしれなかった原子爆弾を、第一強襲艦隊は見事奪取した訳である。僅か1発ではあるものの、爆心から半径数キロが一瞬にして壊滅する代物には違いない。加えてフラットヘッド黒鉛炉が爆発炎上したことにより、米国も当面は核分裂物質の生産が不可能となっているはずだから、これ以上の凶行を抑止するという意味では十分だろう。


 ただ思うに、自分達は軍人が軍人らしく戦えた最後の世代だったのかもしれぬ。

 まあ提督同士の斬り合いだの殴り合いだのという、些か時代錯誤過ぎる形態になったような気も確かにする。その一方でこれより先の戦争といったら、特に列強間のそれは、超重爆撃機で大威力兵器を投げ合うような代物になりかねない。ベルリンやサイパン島を瞬く間に焼け野原とした特大の劫火が、次は世界中のあちこちで上がるかもしれぬのだ。しかも今や原子物理学の権威に数えられるようになった義兄によると、原子爆弾の威力は今後も増大傾向の見込みとのことだから、もはや想像力のまったく及ばぬ領域にまで到達してしまいそうな気がした。

 そして科学進化の果てには、1発で国ひとつを消滅させる爆弾まで開発されるやもしれぬ。そんな世界が訪れでもしたら……天壌無窮の皇国すらも無事で済む保障はなく、ひび割れた窓の外に広がる暗闇が、やけに空恐ろしく感じられもした。


「まあいい、ともかくも……」


「えッ、ああッ!」


 舵を担ってる鳴門中佐の声が、あまりにも唐突に響いてきた。

 いったい何事か。少々悲観的な物思いに珍しく耽っていた高谷は、すぐさまその方を向き――朗らかで温かな驚嘆があちこちで木霊する中、すべてを理解するに至った。


 外の世界が、浦賀水道から東京湾にかけての一帯が、急速に明るみ始めたのだ。

 一家団欒の時を迎えているであろう住宅や、財布の紐が緩んだ顧客でごった返す飲食店。あるいは家路につかんとする人々を乗せた列車や、夜間操業を始めたばかりの製作所だろうか。ひとつひとつは季節外れの蛍の如き煌めきが、湾岸のあちこちで一斉に溢れ出し、明媚でやたと懐かしい夜景を作り上げていく。艦上から望める範囲に居を構える者は、『天鷹』乗組員のほんの一部に過ぎぬとしても、全身全霊をもって守り抜いた故郷の光に違いなかった。

 そして衣笠山の中腹辺りが、どうしてか眩くなり始める。生じた無数の輝点は次第に幾つかの文字を形成し、「オカエリナサイ」と、何よりの労いの言葉へと変わっていった。


「お、おおッ……」


 それを目にした者は皆、ただただ息を呑むばかり。

 万感の満ちた和やかなる沈黙が、随分と傷ついた『天鷹』を優しく包む。帰還の喜びは最高潮に達し、誰もが顔を綻ばせる。人語を解さぬはずの犬猫やチビ猿も、これまた実に嬉しそうな様子で、毒舌で鳴らしたるオウムなどですらも、今ばかりは余計な口を利いたりはしなかった。


「遂に、遂に還ってこれたんですね」


「その通り。第一強襲艦隊旗艦『天鷹』、堂々の凱旋だ」


 高谷は感慨深げに肯き、投錨すべき辺りを改めて眺めた。

 次から次へと打ち上がるは色鮮やかなる花火。まったく予想だにしなかった歓待ぶりに、感極まって涙ぐむ者が続出といった具合だったが……実のところ、気を緩めるにはまだ早い。


「おい、野郎ども」


 高谷は念を押すべく呼びかけ、


「今更言うまでもないことと思うが、港に着いて艦を降り……それから諸々の面倒事を済ませるまでが作戦だ。帰投直前に事故を起こしたとあっては末代までの恥となるから、ここが正念場と思えよ」


「合点承知の助」


 乗組員達は揃って威勢よく応じ、それぞれ気合を入れて仕上げに臨む。

 彼等が機敏なる動きを眺めながら、高谷は航海は無事終わるだろうと確信する。素行不良や乱暴狼藉が目立つが故、継子扱いされることも多々ありはしたものの……開戦劈頭のマレー作戦から乾坤一擲の義烈作戦に至るまで、何十という任務を遂行してきたのだ。であれば技量は聯合艦隊でも指折りのはずで、栄光に照らされたる最後の数海里を、『天鷹』はまったく危なげなく進んでいった。


 そうして横須賀の街並みが露わとなってくるにつれ、いい加減ながら実際的に思える楽観が湧いてくる。

 諸々の厄介事はあるにしても、案外どうにかなったりするものなのだ。今後の戦争が大きく様変わりするとしても、世の中には遥かに頭のいい人間が大勢いるのだから、自分が抱くような懸念くらい当然考えていることだろう。とすれば心配など無用。まあ本当に駄目な時は駄目なのかもしれないし、原子爆弾に神経化学兵器が飛び交った欧州戦線などを見るに甘過ぎる見通しという気もするとはいえ、あまりに兵器の威力が上がり過ぎた結果、ひと頃流行った世界統一運動なんかが盛り上がるやもしれぬ。

 加えてあれこれ難しい理屈を捏ねたところで、世の中はなるようにしかならぬだろう。であれば今は水兵達を家に戻してやれそうなことを、また祖国の無事な姿を拝めたことを、ただ天に感謝していさえすればいいはずだった。


「それと……これまで本当に世話になったな、『天鷹』よ」


 もはや無二の戦友と呼ぶ他ない客船改装航空母艦。数奇なるその魂魄に向け、高谷は心からの謝意を表する。


「貴様のお陰で、本当にいい戦をすることができた。今次大戦はこれにて一区切りとなりそうではあるが、未来がどう転がるかは分からぬ故、これからもよろしく頼むぞ」


『こちらこそ』


 脳裏に響いた頼もしき返答は、恐らくは幻聴の類だったのだろう。

 それでも問題などあるはずもない。航海はつつがなく完了し、錨も無事降ろされた。煌びやかな横須賀軍港の岸壁にずらりと並んでいたのは、聯合艦隊司令長官たる豊田大将を始めとする海軍の重鎮達。そうした錚々たる面子の只中に真っ先に飛び込んでしまった猫のインド丸の、にゃおという無垢な鳴き声に誘われながら、乗組員達は祖国の土を踏み締める。鳴り止まぬ喝采と目が眩まんばかりのフラッシュの浴びせられた彼等が、かつては鼻つまみ者や問題児といった枠で括られていた連中だったとは、まるで想像できぬような光景だった。




 かくして数奇なる改装航空母艦の戦争は、巡洋艦以上を1隻も撃沈できぬまま終わった。

 複雑怪奇なる因果関係を理解する前の提督達のように、あるいは当事者であり続けた高谷自身がそうであったように、人の目につき易い手柄ばかりを追ったならば、確かに鳴かず飛ばずの艦という評価にもなろう。だが本当にそれは、有力なる敵艦を沈める機会に恵まれなかったというだけの話に過ぎなかった。原子爆弾の奪取すら成功させた『天鷹』が、『大和』と双璧をなす殊勲艦であることは、もはや疑いようもなく……その奇想天外なる行動に散々煮え湯を飲まされた連合国軍の将兵にとってみれば、彼女は最後の最後まで疫病神そのものだった。


 そして何より面白いのは、『天鷹』の挙げたる戦果の全容が、容易く解明できぬものであることだろう。

 実際、極まりなく気紛れな彼女の功績を正確に把握するには、想像以上の努力が必要となるようだった。それでも人間が生来持ち合わせる好奇心は、何時の日か神ならざる史学者達をして真実へと到達せしめるはずであり……その時に如何なる伝説が生まれるかは、未だまったくもって分からない。

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