天下泰平盆休み

佐賀県田代町:集落



 未だ大兵力を睨み合わせたままの欧州諸国と違って、帝国陸海軍の復員は急速に進捗した。

 ついこの間まで激烈に交戦していた米英に余計な色気を抱かせぬよう、最低限の師団や艦隊、航空隊を維持する必要はあったのも事実である。それでも350万まで膨れ上がった兵力は急速に縮小し、7月の初頭には元の4割を切るくらいの規模となっていた。召集された将兵は次々と生業や学業に復帰し、未だ占領地に残置されたままとなっている連中も、半ば土木建築事業者となって現地のインフラ整備に従事するなどしていた。


 そうした中では、星や桜を煌かせたる高級将校も、片っ端から首切りに遭いまくっているのだった。

 戦時の大盤振る舞いで矢継ぎ早に昇進しまくった佐官将官の数に比して、なになに長とかなになに参謀とかいった役職が、急速に減少しているが故の現象に他ならない。そのため結構な額の退職金と引き換えに予備役編入を仰せつかる者が続出し、人事局への殴り込み事案すら発生したくらいだが……ともかくも和平の配当を受け取る方向へと、世の中は全力疾走し始めており、誰もが時流に順応することを求められていたのである。


「かような世相を鑑みるに……自分が未だ現役というのも不思議なものだ」


 帰省中の高谷中将は、まったく暢気なことを言い始める。

 それから卓上に並ぶ"バンカラ提督饅頭"をパクリ。大変に商魂逞しい地元の菓子屋が操業再開と同時にでっち上げ、是非に是非にと送って寄越した代物で……ごく普通に甘い味だった。いったい何を真似てか、1箱に1個だけ激辛なのが混ざっているらしいが、それには当たらなかったようである。


「もっとも退屈な仕事ばかりで辟易してはおるがな。というより、仕事らしい仕事が航空揚陸作戦の教本作りくらいしかない。それ以外は陸海軍のお偉方が怒鳴り合う会議室でひたすらじっとしておったり、通信社や新聞社から来る野次馬根性全開の困った奴等の相手をさせられたりと、性に合わぬこと甚だしい。おまけに郷里に戻ったら戻ったで、とんだ大騒ぎになるから面倒だ」


「それでも陛下にお目通り叶ったのでしょう?」


 糟糠の妻なる則子の、呆れたとばかりの台詞が飛んでくる。


「日本男児に生まれて、これ以上望むべくもないくらいの名誉じゃありませんか。私としても誇らしい限りですし、下手なことばかり言っていると、他所で余計な恨みを買ってしまいますよ」


「いやまあ、それもそうかもしれんがな」


 酷く緊張した記憶を蘇らせながら、高谷はポリポリと頭を掻く。

 成功裡に終わった義烈両作戦に関連し、今後の原子爆弾の発展および将来生起し得る原子戦争についてどう考えるかという、青天の霹靂が如き御下問があったのだ。かくの如き大威力兵器を何百と投射し相互に人口産業の抹殺を図る戦争は、もはや戦争とすら呼べぬ世界的大殺戮に容易に発展するが故、ワシントン軍縮条約を範とする爆弾数制限条約などを列国間で締結し、もって破滅的事態の回避に務めることが肝心と存じます……とか何とか脳味噌を真っ白にしながら奉答したものだが、何処かで口を滑らせてしまわなかったかと、今でも時折冷や汗を覚えることすらあった。


 とはいえ何であれ、過ぎたことを後からあれこれ悩んでも致し方あるまい。

 実際、参内の数日ほど後に東條首相と靖国神社を参拝した際も、別段小言を零されたりはしなかった。まあ帝都再開発に国土強靭化、産業分散協調といった話題が出た辺りからして、有事の際に被害局限を図る方策についてまで頭が回っていなかったのは事実かもしれない。とはいえ何週間か前、停戦が破れたとしても原子・化学・生物兵器の使用を自粛するという内容で、独伊と米英が一応の合意を得たという外電も流れていたから、あながち滅茶苦茶なことを奏してしまった訳ではないと思いたいところである。


「それはそうと芳一」


 則子は傍らに座す、べらんめえな風体の長男に視線をやり、


「あんたちっとはお天道様に顔向けできる仕事をしとるんだろうね?」


「いや母さん、既に関東軍のお墨付きを得とりますからね」


 満洲を彷徨っていた挙句、久方ぶりに生家へと戻ってきた芳一は、そう言って身分証を見せびらかせた。

 関東軍稀元素調査班の嘱託調査員というと、なかなか大層な事業に携わっているかのように見える。とはいえ当たるも八卦当たらぬも八卦の勢いで、その辺の山師に適当に配った肩書というのが実態ではなかろうか。何しろこいつは野蛮人な上に生まれついての法螺吹きで、以前にもただの荒れ地を石炭埋蔵量豊富な夢の土地と称して某企業に売り出した前科があり……と昔の所業を省みていたら、これがなかなか自信ありげな口振りで北満新油田について語り出す。


「加えて軍事機密に属する内容ですからあまり迂闊なことは言えませんがね、叔父さんの事業に関連する特殊元素の鉱脈を、外蒙で探し当てたりもしましたよ」


「うん、要するにウラニウムだな?」


 皇居参内の際の話題に微妙に関連してきたようだが、高谷は若干驚きながら相槌を打った。


「本当なら大したもんだ。原子爆弾というのは1発で半径数キロが吹っ飛ぶ恐ろしい兵器に違いないが、無闇に使わんとしても持っておかんと、折角の共栄圏があっという間に欧米列強の草刈り場に逆戻りしちまう。それから義兄が言うには、原子爆弾製造のための黒鉛炉で発電もできるというから、まさに未来を啓く燃料だ。また嘘八百だったら承知せんぞ?」


「きっと今回は大丈夫ですよ」


 横から庇い立てしたのは次男坊の浩二で、


「そうでなきゃ兄さんが内地まで戻ってきたりしないでしょうから」


「なるほど、それもそうだな。でもってお前の方はどうなんだ?」


 高谷は大いに笑い、少しばかり話題を変える。

 渡欧した先で激烈なる電波戦争を目の当たりにしたとかで、浩二は有志とともに新会社を立ち上げ、日本の電子産業を一層強力なものにすると張り切っている。特に最近、頭のネジが相当に抜け落ちているが頭脳明晰な技術者が仲間に加わったとのこと。何でも始終爬虫人類が云々と言っているキワモノで、妙に耳に覚えがある妄言と思って詳しく聞いてみると、佃少佐の弟だというからびっくりだった。


「まあしかし、芳一も浩二も御国に貢献する仕事をしておるようで何よりだ」


 親として感無量といった具合に高谷は肯き、


「どちらも海兵や陸士に進んでくれんかったのが、ちと惜しくもあるが……今後の世界情勢を鑑みるに、むしろ商戦こそが重要となってくるであろうから、そちらは孫の代に期待するとしよう。その意味では芳一、お前もそろそろ身を固めねえか」


「まあもうじきですって。ところで父さん、そろそろ時間ですよ」


「おっと、いかんいかん。ラジオを点けてくれ」


 真っ先に浩二が反応し、すぐさま周波数が合わせられた。

 今のところ一般には、大本営の重大発表があると知らされているだけである。だがそれは恐らくは、"日本初の原子爆弾"が得撫島の特設実験場にて炸裂したというものとなるはずだった。


 無論、上手くいかなかった場合には、まったく別の内容に差し替えられるのやもしれぬ。

 とはいえインド洋は英領チャゴス諸島での実験が成功裡に終わったことからして、失敗の可能性は相当に低いだろう。諸々の事情を知る高谷はそのように推測する。そうして恩賜の煙草をゆっくりと吸い、いったい何事だろうと予想し合う息子達を暫く眺めているうちに、『敵は幾万』の前奏が流れ始めた。


「大本営報道部、8月15日午前10時発表。帝国陸海軍は本日午前6時、原子爆弾実験に成功せり」


「お、おおッ!」


 若干興奮気味なアナウンサーの声に、驚嘆の音吐が合わさった。

 実際その瞬間、日本中のあちこちで万歳が唱和され始めていた。米国が原子爆弾を用いての再戦を仕掛けてくるという懸念が大幅に遠のき、また大東亜十億の曙の訪れが原子物理学的にも証明されたことを、誰もが童心に帰ったかのように喜んだのだ。津々浦々の商店は原爆記念大売出しを急遽開始し、人々の気分が驚くほど高揚していたが故か、昭和22年6月下旬の生まれの赤子が妙なくらい増えるという椿事まで出来することとなる。


 もっとも肝心かなめのプルトニウムが、今や放射性廃墟と化しているらしいフラットヘッド施設の産であることを把握していると、些か微妙な気分になるかもしれぬ。

 それでも推定20キロトンの大爆発を見せつけられれば、最大級の対外的抑止力となることは明白。皇国や共栄圏を尚も侵さんとする不逞の輩がいたとしても、これでは戦争にならぬと意気消沈するに違いない。また大湊に建設中の大型黒鉛炉が稼働を開始したならば、今度こそ純国産の原子爆弾が完成する訳である。とすれば準備万端整うまでの時間稼ぎとしては、これでも十分だろうと考えられ、お祭り気分に浸るのを躊躇う理由もなさそうだった。


「まあ、これで帝国も安泰だ」


 高谷はそう結論付け、己が商売に邁進せいと改めて芳一と浩二を激励する。

 一方の自分はといえば、これから過去の遺物となっていくのだろう。だが戦中の獅子奮迅が新たなる世を招来せしめたのだと考えれば、それもまた愉しと言えそうだった。加えて航空母艦『天鷹』の艦上で一度ならず決闘などやった経験からするに、果てしなく時代錯誤な現象は、今後また起きるやもしれぬのだ。

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