義烈奮戦! 原子兵器強襲艦隊⑱

ワシントンD.C.:ホワイトハウス



 合衆国の政治的中枢は、どうにか脳震盪を脱したというくらいの状態だった。

 つまりは指揮系統の再編が、ようやっと完了したということである。歯に衣着せずに評するならば、真珠湾攻撃直後が児戯に思えるほどの、信じ難く致命的な混乱振りとしか言えぬ。だがドイツ空軍の使用した神経化学兵器はあまりにも強力で、トルーマン大統領および多数の閣僚、高官が無差別殺傷された結果、誰が何に対して責任を負っており、如何なる権限を有しているかといった基本事項すら、まるで掌握できなくなってしまっていたのだ。


 またそれ故、まずは現状認識を合わせるところから始める必要があった。

 特に大統領を代行することとなったロバート・E・ハネガンという人物は、ほぼ名誉職で継承順位最下位に近い郵政長官からの繰り上がりである。当然、戦争指導や外交に関する情報は、まったくと言っていいほど聞かされていなかった。加えて指導者としては限りなく素人に近い彼を支えるは、これまた前任者の死亡あるいは職務遂行不能に伴って昇進した各省の長官達。となると内閣が軌道に乗り、まともな意思決定が可能となるまでにかかる時間は、気が遠くなるほど長くなりそうだった。

 そして悲報だけは本当に山ほどあり、しかも時々刻々と増え続けている。最悪の報せについて説明を受けている時、最低の報せが飛び込むなど、もはや日常茶飯事なのである。


「それで、その、何だ……つまるところ、どうしろと言うのだね?」


 ホワイトハウスの主にさせられたハネガンは、酷く陰鬱で憔悴した面持ちで尋ねる。

 彼の執務机には、一瞥もしたくないような報告書の山。一番上に置かれていたのは、ドイツ軍が捕虜の大量殺戮を開始した件に関するものだった。虐殺や拷問などの様子を収録したナチス印の"キチガイレコード"を、中立国経由で大量に送り付けられたことが思い出され、彼はそれを忌々しげに払い除ける。


「無論、どうするかを決めるべきは、言うまでもなく私なのだろうが……シェルブール橋頭堡が陥落しただの、太平洋艦隊は壊滅状態でテニアン島に逆上陸されただの、君達の話を総合すると、もうどうしようもないといった風にしか聞こえないのだが」


「実際、戦局は最悪で、我が軍は疑いようもなく苦戦しております」


 辛うじて惨劇を生き延びた陸軍参謀総長のマーシャル元帥は、激痛を堪えるような口調で告げる。


「今年いっぱいで生じた犠牲者は100万超とあまりにも大きく、かつ短期的に回復することが困難な状況です。大陸欧州への反攻はもはや絶望的、前回と同程度の戦力を揃えるだけで、再来年中旬までかかると予想され……かつ成功する見込みは前回を遥かに下回ると考えられます」


「元帥、いったい何の悪夢なんだね」


「それから大統領閣下、同盟国の動揺も非常に深刻です」


 苦虫を噛み潰したような面持ちで、これまた繰り上がりのグルー国務長官が言う。


「英国およびオーストラリアを除く英連邦諸国は、戦争を離脱する構えをあからさまに見せており……ストックホルムの大使館からも、近く独ソが停戦協定を締結する公算が著しく高いとの報告が寄せられております。下手をすれば大陸欧州反攻どころか連合国自体が空中分解し、旧大陸にあるすべての同盟国と権益を失いかねません」


「ああ、何もかもが無茶苦茶だ」


 ハネガンは頭を抱え、現実逃避気味に目を反らした。

 グニャリと曲がったような視界に飛び込んできたのは、東海岸の住人が挙って自主避難を始めているという内容の新聞記事。頭痛は余計に酷さを増し、もはや限界だろうと思い知る。禁忌の神経化学兵器を使用したドイツへの憎悪は、世論調査を見る限り凄まじい水準に達してはいるものの、それだけで戦争を継続することはできそうになかった。


「とはいえ諸君が、私に何を期待しているかくらいは理解できた。要するに恥を忍んで枢軸国との屈辱的停戦を実現し、最低最悪の指導者として合衆国の歴史に汚名を刻めと言いたいのだろう?」


「大統領閣下、なりません! なりませんぞ!」


 淀んだ空気の立ち込める執務室に、唐突に狂気的なる声色が轟いた。

 目を血走らせながら叫んだのは、先程遅れてやってきた陸軍航空軍のアーノルド元帥。半ば独立空軍となりつつある同組織の長なる彼は、寄せられる批難の視線をまったく意に介することなく、強烈なる自説を開陳し始める。


「陸海軍は確かに苦戦しているようですが、合衆国の勝利はその実、目の前にあります。敗北主義的で売国主義的なロクデナシの妄言に惑わされ、覇権を手にする好機を手放すようなことが……」


「おいそこのチンパン頭、これ以上戯けたことを抜かすな」


 マーシャルが額に青筋を立て、ホワイトハウス内で発するには品位に欠け過ぎた言葉で憤る。


「ここまで出鱈目なことになったのも、ベルリンと東京を吹き飛ばせば万事解決と、貴様等が支離滅裂な理屈を吹聴しまくったからだろうが。どう責任を取る心算だ、ええッ!?」


「はッ、これだから敗北主義者は手に終えん」


 アーノルドは鼻で笑い、


「大統領閣下、愚劣なる言動に惑わされてはなりません」


「そうは言うがな……」


「閣下、確かにドイツ軍による神経化学兵器の被害は甚大で、太平洋艦隊もやられてしまったかもしれません。しかし我が国には独占状態の原子爆弾があり、何千という重爆撃機を有する空軍があり、他国から容易に侵攻され得ぬ豊かな国土があるのですぞ」


 盛大に節をつけ、腕をカクカク回しながら、アーノルドは滔々と述べまくる。


「であれば敗北はあり得ません。それどころか間もなく本格量産に入る原子爆弾と対蹠地爆撃機B-36が組み合わされば、主要なる敵国の領土すべてを破壊可能となります。枢軸国などそれぞれ十数発の原子爆弾によって産業地帯と人口を完全に抹殺、国家そのものを消滅させてやればいいではありませんか。我々を舐め腐った英国やソ連が、連合国が離脱するというなら、ロンドンとモスクワにも原子爆弾をプレゼントしてやればいい。それで片付く程度の、極めて簡単な話ですぞ」


「ひとつだけ言いたいことがあります」


 グルーは猟奇殺人者を見るような面持ちで、


「元帥、はっきり言って、あなたはヒトラーやスターリンの同類だ」


「勝てるのだから勝てばいいと言っているに過ぎぬ。何故それが分からぬ?」


「まだ殺戮がしたいのかこの下種野郎がッ!」


「ああ? 戦争ってのは敵を徹底的に焼き払い、殺戮しまくることが必要な、非常にハードなものなんだよ。くだらない感傷を持ち込むから、勝てぬ戦にも勝てなくなるんだ。だいたい殺戮こそが我が国の義務だろうが。ワシントンD.C.とニューヨークで死傷した数万人もの市民を思い出せ、その仇を取らずに戦争を終えるようなことがあってたまるか馬鹿野郎」


「ああ、諸君、ちょいと静粛にしてくれないか」


 今まさに掴み合いになりそうな論争を、ハネガンはどうにか制止した。

 それから熱くて濃いコーヒーを口にし、半ば冷めたベイクドチーズのサンドイッチを頬張る。このところの過労が祟ってか、胃がズキズキと痛みはするが……それでも精神は多少落ち着いた気がした。


 加えて希望が完全に潰えた訳でもなさそうだと思えた。

 確かにアーノルドの主張は過激かもしれないが、原子爆弾の有効性はもはや疑いようがない。混乱状態の国内をどう立て直すかという、厄介極まりない難題はあるとはいえ、神経化学兵器を使用した野蛮なドイツの殲滅という大義名分があれば、有権者にもう暫くの辛抱を希うこともできそうだった。


「ちょっと考えてみたのだが、アーノルド元帥の発想は参考になりそうな気がする。実際、今のところ、我が国のみが原子爆弾を保有しているのは事実であるからして……」


「大統領閣下、とんでもない事態です!」


 名前は何だったか。血相を変えた補佐官が扉を破るように、執務室へと飛び込んできた。

 無茶苦茶な顔をしているから、ただごとではないと察することができた。無論、最近はただならぬことしか起きていないし、そうでなければ自分が大統領になってなどいないのだが……ハネガンはともかくも覚悟を決めて尋ねる。


「いったい何事だ?」


「に、日本軍がモンタナ州に出現したとのことです」


 補佐官は目を白黒させながら報告し、それを聞いた全員が数秒ほど硬直した。

 さっぱり意味が分からない。モンタナ州はまったく海と接しておらず、船舶での上陸など不可能。地理を理解していない小学生が作り出した、ちぐはぐな妄言だとしか思えない。


「君、とにかく落ち着きたまえ。幾ら最近、ろくでもないことばかり起きているとはいえ……」


「大統領閣下、これは紛れもない現実です。モンタナ州フラットヘッドの黒鉛炉付近に、日本軍空挺部隊が大型飛行艇多数でもって着陸、現在施設を巡って交戦中とのことです」


「ば、馬鹿なッ……」


 ハネガンはただ驚愕し、他の者達も二の句が継げなくなった。

 あまりの異常事態に猛烈な眩暈がし、思わず天井を仰ぎ見る。後進にとんでもない迷惑をかけることになるだろうが、今ここで心臓麻痺か何かで急死できたら、さぞかし幸福なのだろう。本来ならば大統領職に就けるはずもなかった人物は、朦朧とする意識の中、己が運命をぼんやりと呪った。

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