激烈! 宇宙大競争②

鶴見半島:要塞地帯



 頭のネジが抜けた技術者なら間に合っている。かような言葉が、何処からか聞こえてきそうである。

 ところがトロント大学の最年少博士号取得者なるブル博士は、恐らくは頭のネジが1グロスくらい抜けている人物だった。更には研究資金さえ出してくれるならば誰にでも自分を売るという、ある意味では限りなく潔い性格の持ち主で、しかも専門とする弾道学の知見は本物だったから手に負えない。


 そんな人物が今、主導的な立場で携わっているのが、帝国海空軍合同の宇宙投射砲開発事業だった。

 基本的に秘密主義が徹底された軍組織のそれに、ポッと出の怪しい外国人が参画しているということ自体、相当に異例のことだろう。ただこの件は、実のところブルの発案だった。紆余曲折の末に超大和型戦艦の建造が中止されたという報道を耳聡く聞きつけた彼は、日本語をまともに喋れぬままシンガポール経由でやってきて、新主砲を転用して弾道弾迎撃可能な砲を作ると言い出したのだ。そして激化する一方の宇宙開発競争の煽りを受けてか、あるいは原水爆戦争の脅威の高まりが故か、それとも担当者がベルヌの空想科学小説を愛読していたからか……驚天動地の計画が承認されてしまったという訳である。


「ウーフフフ、巨大な砲身というのはそれだけで美しい……」


 組み上がった試製砲をウットリと眺めながら、ブルは少々不気味な歓喜を漏らす。

 天高く聳えるそれは、51㎝砲を大改造の末に連結させた正真正銘の化け物。これで初速2000メートル超の砲弾を打ち出し、宇宙空間にまで到達させてしまうのだ。


「しかも有事の際には、原子砲弾を撃ち出す。大気圏外で炸裂するウラニウムの花火、素敵だ……」


「博士、早く管制室へ」


 現地採用の助手が、癖のある英語で叫ぶ。


「間もなく射撃です。そこですと爆風でやられます」


「それも案外、乙なものかもしれない。耳が聞こえなくたって、弾撃つ響きは全身で感じられる」


「お願いですから、馬鹿言わないでくださいね!」


 呆れ果てたとばかりの言葉。流石に頃合いと思い、ブルも渋々それに従った。

 数分後、試射が開始された。目標はもう何日かした後に大気圏再突入するはずの日の丸人工衛星で、それを弾道弾に見立てて射撃するのだ。もちろん本当に命中しでもしたら、未だ動作しているはずの搭載機器がパーになってしまうが、残念ながら今回は原子砲弾を使用しないので、そうなる確率は天文学的に低かろう。


「電探2号、目標捕捉」


「軌道誤差修正始め」


 管制室に飛び交う号令。

 技術者達はまさにひとつの有機体となって、巨大で複雑なる機械を操作していく。電子計算機によって導出された諸元に合わせ、長大なる砲身は旋回していき……遂に決定的瞬間へと到達する。


「撃てッ!」


 猛烈なる轟音と地鳴りが、コンマ数秒もせぬうちに到来した。


「アアー、凄くいい……」


 ブルは恍惚とした笑みを浮かべ、ひたすらに身震いする。

 圧倒的速度を獲得し、成層圏の遥か彼方へと驀進していく砲弾。軌跡は電子的に追尾されているのみで、直接目視することは当然叶わない。それでも明晰なる脳裏には、人工衛星と軌道を交叉させんとするそれの威容がありありと描かれていて……直後、彼の股間は妙に生暖かくなった。





地球周回軌道:北太平洋上空



「おはよう、アストロレンジャー1。どうだ、よく眠れたか?」


「ドリームランド、こちらアストロレンジャー1。正直なところ奇天烈な気分だが、宇宙で眠った最初のアメリカ人が俺と思えば、どんな高級ベッドよりもいい具合だったと言うべきなんだろうな」


 6時間ほどの睡眠から目覚めた海軍航空隊のアスティア大佐は、地上管制局に向かって軽やかに笑いかける。

 率直に感想を言うなら、寝心地は最悪に近かった。宇宙服の窮屈さと無重力が故の奇妙な酔い、まともに摂取できぬ食事に逆流しかねない胃液。ついでにマーキュリー宇宙船の居住区画は公衆便所の個室のようなもので、誰もが何時かはと願っている地球周回軌道への旅は、まことに不快で過酷という他ない。


 それでも定時連絡を早々に済ませ、求められた実験をテキパキとこなしていく。

 例えばドライバーでネジを回すだけの単純な作業であっても、地上とは勝手が根本的に違う。となれば身の回りの何もかもが新発見という訳だ。それらを地道に蓄積していけば、いずれは居住性の良好な宇宙基地の建設に繋がり、そこでの研究を通じて科学文明の進歩も加速するだろう。あるいは地上で覇を競い合う国々に対して軍事的優位を保ち、合衆国本土を宇宙空間から防衛する能力を確保できるようになるかもしれないのだ。


「ともかく何事もクールにやっていくとしよう」


「アストロレンジャー1、よろしく頼むぞ」


 それから少しばかり間が置かれ、


「ライトスタッフスの皆も、君の活躍ぶりを見守ってくれているだろうさ」


「ああ」


 短く応答した後、アスティアもまた心中で祈りを捧げる。

 元々は予備チームの長という立場だった彼が、今まさに地球周回軌道上にあるのは、昨年のクリスマスに発生した連続爆弾テロの影響だ。ドイツ工作機関の関与が濃厚に疑われている、あまりにも痛ましく陰惨な事件により、先んじて有人宇宙飛行を成し遂げたグレンやシェパードといった英雄達が、あろうことか悉く死傷してしまったのである。


 かような背景が故の後ろめたさというのは、未だ心中で燻っている部分もあった。

 ただ志半ばで脱落を余儀なくされた者達に対し、自分がしてやれることがあるとすれば、やはりそれは彼等が夢を継承し、己が手でもって成就させること以外の何かではないだろう。であれば今はひらすら着実に、己が任務を果たしていくべし。個々の名誉というのも否定し切れるものでもなかろうが、これはアメリカ航空宇宙局の一大事業であるのだから、重要なのはすべての国民にとっての成果を作ることに違いない。


(そうだ。誰もがチームの一員なんだ)


 アスティアはかの如く意思を再確認する。

 そしてまだ辛うじて見えるはずの祖国の姿を、宇宙船の窓より望まんとし……身体を幾らか動かしたところで、激烈なる震動に見舞われた。


「ぐあッ……」


「アストロレンジャー1、どうした? 何があった?」


 地上管制局からの呼びかけが、薄ぼんやりと聴覚に響く。

 普段の冷静沈着なアスティアであったら、何があったか迅速かつ的確に報告したに違いない。しかし彼はこの時、壁面に頭を強かに打ち付けていた。結果、不可抗力の脳震盪に見舞われ、初動対応に失敗してしまったのだ。


 ただ問題がそれだけだったならば、さほど影響はなかったかもしれぬ。

 本当に致命傷となったのは、程なくして地上管制局との通信機能までもが喪われてしまったことで……マーキュリー宇宙船はたちまち軌道上で孤立無援に陥った。率直に言って状況は絶望的。しかもそれが予期せぬところに波及してしまうのだから、まったくもってろくでもない。





ワシントンD.C.:ホワイトハウス



「糞ッ、マーキュリー宇宙船が音信不通だと!?」


 第37代合衆国大統領の任期2年目を迎えたばかりのゴールドウォーターは、強烈なる眩暈と頭痛を禁じ得なかった。

 前任者の頃から酷くなる一方の国内治安や"分離"政策を巡るヒスパニックの暴動、1962年最大の課題の1つに数えられるテロ対策など、著しく面倒な国内問題に対処してきた矢先のことだった。たまには宇宙飛行士が地球を何周もして帰還したという、誰にとっても嬉しくありそうなニュースが聞けるだろう。そう信じてコーヒーを飲んでいたら、いきなり最悪の報告が投げ込まれたのである。


「トム、これはいったいどういうことだね? 飛行士のアスティア大佐はどうなった?」


「残念ながら大統領、安否は不明です。現時点で判明しているのは、事故直後にアスティア大佐の生体情報の送信がなされていたことと、マーキュリー宇宙船が未だ地球周回軌道上にあることだけです」


 暗澹たる表情を浮かべながら説明するは、アメリカ航空宇宙局長官のグレナンだ。


「また原因につきましては目下調査中です。ただこれまでに収集された情報を総合しますと、逆噴射系の事故という可能性が一番高いのではないかと。何らかの理由で爆発があった場合、通信系統が異常を来すとも考えられ……」


「いいや、恐らく異なりますな」


 統合参謀本部長たるルメイ大将の、些か傲慢不遜な声が割り込む。


「ドイツ人、これはドイツ人の仕業でしょう。あのナチ動物どもは、我々の軌道開発事業を徹頭徹尾妨害し、もって自由世界の破壊と世界征服を実現しようと目論んでおるのです。奴等がこれまでに打ち上げた衛星の中には、軌道爆雷と思しきものが混ざっておるのですから、領空を侵犯したとか難癖をつけて、そいつを使ってきたに違いありません」


「大将、確かに軌道爆雷らしき衛星があるのは事実です。しかしそれが起動したという根拠はありませんよ」


 グレナンは冷や汗を浮かべながら反駁し、


「加えてカーマン・ラインより上は領空と認めないと、彼等も宣言していたと記憶しています」


「チョビ髭と不愉快な仲間達が言葉通りに動くなら、オーストリアとズデーテンでドイツの拡張は止まっているはずじゃないのかね? あいつらの約束なんざ、獣が吼えているのと何ら変わらんだろうが」


 ルメイが吐き捨てる。酷い言いようだが、まあ事実だからしょうがない。

 そうしてあれこれ論じているうちに、確かにナチどもの仕業なのではないかと、ゴールドウォーターも思い始めた。何せ国家社会主義系民兵に凶悪なプラスチック爆弾を提供し、大勢の市民を躊躇なく殺害させるような外道どもである。かつては公然と神経化学兵器を散布してきたことを鑑みれば、国際道義を踏み躙るようなやり方で合衆国の宇宙開発を妨害してきたとしても、正直なところ何の不思議も感じられなかった。


 それからアルプス近傍の弾道ミサイル基地群も、このところ妙に活性化しつつあるとのことだった。

 であれば何らかの悪意的行動を、ドイツ軍は目論んでいるのかもしれない。無論、お互いの都市を潰し合うような原水爆戦争となる可能性は、流石にほとんどないだろう。とはいえリンツで隠居しているはずのヒトラー元総統が、人生の最後に北欧神話的なそれを引き起こすべく画策しており、その小手調べが今回の事件ということも考えられ……少なくとも無為無策なままでいるのは危険だという結論に至ってきた。


「よし、分かった。全部隊の警戒態勢を引き上げよう」


 数秒ほどの瞑目。その後にゴールドウォーターは決断し、続けてもう1つ指示を出す。


「それからクレタ島打ち上げ基地を破壊する特殊作戦を大至急立案し、可及的速やかに実行させろ。我々は絶対に、やられたままでいる心算はないのだからな」

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