超臨界! 日英原子物理交渉

アルバータ州:エドモントン近郊



 黒鉛炉破壊の功労者たる古渡博士は、それが盛大に爆発炎上したのを見届けた後、蛇の目の飛行艇に搭乗した。

 そうしてカナダ領内、恐らくエドモントン付近と思われる湖沼に降り立った。同乗したリンチ中佐に案内された先は、山脈の麓に広がる針葉樹林帯の一角にぽつねんと聳える、古めかしいヴィクトリア様式の洋館。雰囲気からして、怪異の類が潜んでいてもおかしくはなさそうだった。


 だがそこで待ち構えていたのは、その比でなく腹黒い魑魅魍魎であった。

 装いこそ紳士そのものではあるが、薄っすらとただならぬ陰影を全身に纏った彼等は、情報でもって大英帝国を支える者達に違いない。いったいどうした訳か、杏野大佐を名乗る特徴のない人物を始めとして、数人かの同胞の姿もある。だがどうあっても多勢に無勢で敵中孤立。穏便に事を済ませることに失敗したならば、自分はドザエモンか何かになり、行方不明として処理されるだけだろうと思われた。

 そして広々とした応接室にて隠密開催されていたのは、烈号の勘定作戦に他ならない。すなわち諸々の協力に対する対価の支払い交渉に、参考人として招致されたという訳である。


「ともかくも先の作戦においては、害毒がカナダへと広まらぬよう配慮いただきましたこと、心より感謝申し上げます」


 英側の代表たるホワイト准将が、慇懃な態度で謝意を表明する。

 無論、ポンプ施設破壊の件についてである。BBCカナダが"うっかり"報じてしまった通り、黒鉛炉より放出された放射性物質は主に米本土へと向かったが……爆破に当たって、噴煙が北へと流れぬ時間帯を選んだ結果であった。


「であれば……我々としてもある程度は譲歩せねば、紳士の名が廃るというもの。勘定にも色をつけさせていただきましたので、まずはこちらをご覧いただきたく」


「拝見させていただきます」


 まず杏野が手交された書類に目を通し……彼はほんの僅かな間、ピクリと身体を硬直させた。

 相当にやくざな展開であるようだった。例えば確保したプルトニウムの半分を通行料として差し出せといったような、強烈な要求が記されていたのではないか。古渡は様子を見ながら推察し、現実のそれは予想よりも過大だった。


「いやはや、まさかプルトニウムの6割7分とは」


 譲歩してこれかと言わんばかりに、杏野が肩を竦めてみせる。


「紳士の取引にしては、些か海賊的過ぎるように思えますな」


「いえいえ。良心的な取引だと確信しております」


 ホワイトは不気味に笑い、


「少なくとも原子爆弾1発分に相当する量を、日本本土へと持ち帰ることができるのですから。ああ、私としたことが、うっかり重要機密を漏洩してしまいましたな。折角なのでお伝えいたしますと、植民地人が製造した原子爆弾に用いられているプルトニウムは、概ね14ポンドほどです」


「ほう」


 少しばかりの沈黙。その間、古渡は専門的な内容について、頭の中で急ぎ検討する。

 発言を信じればの話ではあるが、最小臨界量の理論値として自分が導出した値に近かった。中性子反射材を上手く配置するなどすれば、実現不可能でもないかもしれないが……彼はそこで、前々から引っ掛かっていた問題を思い出す。


「しかしそうであるとするならば」


 杏野が再び口を開き、


「貴方がたは労せずして、2発分を手にするという訳ですかな?」


「これが恐ろしく危険な綱渡りであることは、十分に理解していただきたいと思っております。今次大戦終結の後には、アジアで平穏を享受できるであろう貴国とは異なり……我等が大英帝国は、国家社会主義などという世迷言と常軌を逸した人種理論を信じて止むことのないベヒモス的国家と、今後もドーバー海峡を挟んで対峙し続けなければなりません。しかもこうして東洋からの客人を招いていることからも明らかな通り、同盟を結んでいるはずの植民地人との関係も、まったく一筋縄ではいかなくなっている。となると帝国を維持するためには、どうしても第二のプロメテウスの火に頼らざるを得ない部分があるのですよ」


 ホワイトは物憂げな口調で言い、それからキュウリのサンドイッチを摘まんでみせる。

 実際、ブリタニア嬢の地政学的苦境が今後も続きそうであることは、もはや論を俟たぬほどだった。しかも烈号作戦における彼等が協力は、いずれ合衆国の察するところともなるだろう。となれば最悪の場合、呉越同舟ながら一時的に米独合作が成立、大英帝国解体戦争が勃発といった可能性まであるかもしれぬ――かような説明には、相当の説得力があった。


「一方で貴国はといえば、既にテニアン島での作戦も成功させ、曲がりなりにも原子爆弾による抑止の態勢を整えつつある。となれば我々に対する先行投資になるとも考えられませんかな? 元々、紳士の国と武士の国の間には共有できる利益が非常に多くあり、致命的な不一致は少ないのですから、結構な実入りが期待できるはずですよ」


「紳士資本主義の極意とばかりですな。しかし自分も宮仕えする身。このままではお上に切腹を申し付けられ、妻子を残したままこの世を去らなければならなくなります。無論、この交渉が決裂などしようものなら……」


 杏野の視線が一瞬反れ、応接室の一角に佇むリンチへと向く。

 古巣に戻った彼は、本物の殺気を静かに放射していて――これまでに垣間見せてくれた様々な側面のすべてが、まるで嘘のようにも思われる。


「我々は空挺ともども、カナダの何処かで草生す屍となるのでしょうが。とはいえその場合、プルトニウムの回収も困難となりましょうな。あるいは足を滑らせて沼に落としてしまうような事故が、どうしてか発生してしまうかもしれない」


「ふゥむ」


 互恵の原則からするとそれは避けたい。ホワイトは大袈裟な態度で意思表示した。

 それからティーカップに手を伸ばし、茶葉を追い求めた結果として七つの海を支配した者達の末裔であることを誇示しながら、未だ熱を持った中身を優雅に啜る。直後、彼はシェークスピア喜劇の俳優が如き表情を浮かべた。


「ああ、少しばかり失念していたことがありました。我々が提供する予定の"添え物"について、説明がまだでしたね」


「……伺いましょうか」


「そちらの聡明なる博士に、こちらを。酷く専門的な内容です」


 かくして追加で書類が手渡され、すぐさま古渡の許へと回ってきた。

 彼は一礼してその解読に取り掛かり、激烈なる衝撃を受けた。原子爆弾に関する内容だと、明確に理解できたのだ。数値や方程式、グラフの幾つかが実に巧妙に黒塗りされていて、これに目を通しただけで再現するのは不可能であるとしても……混合爆薬を用いた爆縮設計に関するものと見て、まず間違いはなさそうだった。


 すなわち爆発の衝撃波をある一点に集中させ、もってプルトニウムを圧縮して超臨界状態を作り出すというものだ。

 どうやってても除去できぬ放射性同位体の問題から、単純に2つの塊を衝突させる方式はプルトニウム型原子爆弾では採用できない。しかし米国は間違いなくそれでサイパン島やベルリンを吹き飛ばしたのであり――急ぎ編成された帝大と理化学研究所の合同調査班が、上記のような爆縮手法が用いられたものと結論付けていた。しかしそれを実現する上で求められる計算があまりにも複雑、というより従来の燃焼理論では扱い切れぬようなものと判明し、綺羅星の如き頭脳を集めてもなお、解を得られるまで恐らく5年程度はかかると見積もられていたのだ。

 一方で英国側は、恐らくその解を有している。マンハッタン計画とやらが米英の共同事業であったことを踏まえれば、まったく不思議な話ではなかった。そしてそれと引き換えであれば、プルトニウムの3分の2を引き渡すというのも、確かに良心的な取引かもしれない。


「博士、どうだね?」


 切りのいいところで、杏野が慎重な面持ちで尋ねかけてきた。


「果たしてこれにどれほどの値打ちがあるか、国益に資するものであるかどうか、参考人たる貴君の判断にすべてがかかっている」


「黒塗りのないそれであれば、万金に値する内容です」


 一切の躊躇なく古渡は断じ、


「率直に申し上げまして、残念ながら我が帝国の科学力では、この域に到達するまでに幾らかの時間がかかります。また停戦がなったとしても、米国が捲土重来を期して原子爆弾を改めて量産、何年かした後に各国を恫喝して回るという事態が考えられ……最悪の場合、我が帝国は鹵獲した1発のウラニウム型原子爆弾のみで立ち向かわねばならなくなるやもしれません。しかしここに記された技術があれば、その時までに恐らくは5、6発程度を用意できます。プルトニウム型原子爆弾が製造可能となる上、ウラニウム型原子爆弾にしても、1発当たりに必要となるウラニウムの量を恐らく半分未満にまで低減できるためです」


「確かかね?」


「はい。天地神明に誓って」


「なるほど、貴国もなかなかの人材をお持ちのようだ」


 ちょうど一服し終えたホワイトが、愉快そうに相好を崩して言う。


「交換こそが社会を成り立たせる基本原理である、高名なる経済学者のアダム・スミスの言葉です。例えば綿織物は、綿花を栽培する農民と織機を操る工員がいなければ成り立たない。それと同じ事でしょう。貴国はモンタナから回収したプルトニウムを、我々は原子爆弾の設計図を差し出し、双方とも原子爆弾を獲得する。ああ、我等が大英帝国の威信にかけて、設計図の数字を弄るような小細工はしないと、念のためここで明言しておきます」


「それでは……これで取引成立といたしましょう」


 杏野とホワイトは時を同じくして起立し、固く握手を交わす。

 かくして交渉は大筋合意に到達、日英両国は昭和21年8月の同時核実験へと向かっていく。また自分の役割をどうにか果たし終えた古渡は、安堵の息をゆっくりと吐き出した。そうして見てみれば、先程まで存分に殺気を放っていたリンチもまた、ニコリと人懐こい笑みを浮かべていた。


 ただ大艇隊の秋津中佐が言っていたように、原子物理学を巡る列強間の競争は、これからも延々と続くのだ。

 天佑神助と言うべきか、義烈両作戦は成功裡に終わりそうではあった。だが元はと言えば、自分達科学者が遅れを取っていたからこそサイパン島やベルリンが吹き飛び、乾坤一擲の作戦に国運と大勢の将兵の命を賭さねばならなくなったのだ。となれば決して手放しで喜ぶべきではない。そう痛感した彼は、研究開発の水準を一刻も早く米英並とすることをもって、祖国への責任を果たさねばならぬと決意した。

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