孤軍奮闘大英帝国

シェトランド諸島∶空軍基地



 午前1時過ぎ。滑走路を轟然と駆け抜けていったのは、英国空軍が誇る超音速戦闘機ライトニングの編隊だった。

 2基のジェットエンジンを上下に並べるという特異な形状をしたそれらは、力強い排気炎を煌めかせながら、逆向きの流星が如く闇夜を駆けていく。上昇率は毎秒200メートル超。離陸から1分と経たずに成層圏へと躍り出、円卓の騎士さながらに、大英帝国の空を侵犯せんとする敵に備える。


「ガラハッド01、こちらキャッスル。目標情報を伝達」


 管制官の凛とした声が、受信器より響いてくる。


「目標方位50、距離45海里、針路220、速力480ノット、高度5万5000フィート。これより誘導する」


「ガラハッド01、了解」


 間もなく会敵。一番機を駆るローランド大尉は気を引き締め、操縦桿を握る手に力を込めた。

 作戦全体を統括するは、世界に先駆けて導入された半自動化迎撃管制組織。神経化学爆撃の如き惨劇を繰り返さぬため米英共同で開発され、現に英本土要塞の要として機能しているそれは、早期警戒レーダー網から得られた情報を最新鋭の電子計算機でもって解析し、敵性と判定した機体の諸元を瞬時に算定する。ライトニングに的確なる緊急出撃が命じられたのも、機械に支援された人間の迅速なる意思決定があったが故。その重要性を最も理解しているうちの1人である彼は、スカパフロー近郊に設けられた地上管制局からの指示に従い、会敵点に向けて愛機を旋回させていく。


 そうして後方へと回り込み、機載のAI.23空対空レーダーを起動する。

 未だ目視確認には程遠いものの、顕著な反応がすぐスコープ上に表れた。恐らくはノルウェー辺りから飛翔してきたのは、やはりハインケルの新型高高度偵察機で、電子的に捕捉されたことを察してか、ただちに加速を開始したようだった。それでこの場は凌げるだろうと、ドイツ人のパイロットは考えているのだろう。確かに半年前まで搭乗していたジャベリンでの出撃であったならば、そうした試みは成功したかもしれない。


(だが……)


 今回は最新鋭機が相手であるから、そうは問屋が卸さぬ。ローランドはスロットルを吹かしつつ意気込んだ。

 そして雷霆の如き轟音を響かせながら、一気呵成に音速の壁を突破。射精にも似た快感を全身で味わいながら、距離を急速に詰めていく。暫しの後、ロックオンを意味する高周波が耳朶を叩いた。


「キャッスル、こちらガラハッド01。目標を射程に捉えた」


「ガラハッド01、降伏を勧告せよ」


「ガラハッド01、了解」


 ローランドは命令を受領。指定の周波数で勧告を実施。

 案の定というべきか、応答は一切なされない。それどころか、高高度偵察機は降下に入ったようだった。


「ガラハッド01、攻撃を許可」


「了解。攻撃する」


 再び高周波に耳を澄ませながら、愛機を緩降下させていく。

 そうして必中距離にまで迫り、新装備たる空対空ミサイルを発射。ファイアストリークと命名されたそれは、愛称の通り一筋の炎となって闇夜を切り裂き……10秒ほどの後、大熱源たるターボジェットエンジンの近傍で炸裂。長大なる左翼を根本付近から圧し折られ、鉄十字の高高度偵察機は燃え盛る残骸となって闇夜に散った。


「目標、撃墜」


「よくやった、ガラハッド01」


 慰労の声が鼓膜を叩く。

 とはいえこれで任務完了とはいくまい。ドイツ人のやり口からして、他にも侵入機があるかもしれないのだ。実際、管制官は暫くした後、若干済まなそうな音吐で戦闘哨戒の継続を要請してきた。鉄壁の防空能力を悍ましきナチどもに示し、ろくでもない冒険主義的軍事行動を抑止するには、間違いなくそれが必要だった。


(もっとも……)


 ローランドは三舵を滑らかに操りつつ、己が任務について少しばかりの疑念を抱く。

 防空戦闘で赫々たる勝利を挙げたとしても、ドーバー海峡の対岸には多数の長距離原子砲が秘匿されている。またアルプス山脈の麓には、迎撃が事実上不可能な弾道ミサイルが並んでいるとの噂だ。容易にそれらを使わせぬよう、ジブラルタル級航空母艦やらヴァルカン爆撃機やらが常時待機している訳だが――本当に拙い事態となったら、英本土要塞もどれほど堅牢か分からない。





ケント州:別荘



 アルビオンの奇跡。後の世にそう呼ばれる順風満帆の経済成長に、1950年代半ばの英国は沸いていた。

 一般的にそれは、第二次世界大戦後の過酷なる国際情勢と、相対的に割安であり続けた対ドル為替に起因するとされる。大陸欧州諸国が軒並み国家社会主義化し、アングロ同盟主軸の"自由世界"との経済関係が決定的なまでに断絶した中にあって、一部ではエアストリップ・ワンとすら俗称された英本土の要塞化と産業力強化が喫緊の地政学的課題となっていた。結果、未だ相応の活況を呈する軍需産業と合わさる形で、電子や航空、自動車といった先端分野に国内外への投資が集中。米国を含む新大陸への輸出および未だ維持し続けている植民地との取引において、大きな優位を得るに至ったのだ。


 ただその大元を辿っていくと、12年ほど前に行き着くのかもしれない。

 つまりは悪魔と手を携えてすら打倒し得なかった冒涜的なドイツと対峙しつつ、大英帝国を存立させ続けるという、戦時宰相チャーチル一世一代の決断だった。未だ戦争状態にあるという理由で首相の座に居座り続け、戦時立法を根拠として強引な政策を推進するなど、国内においては彼に対する批判も根強い。またオーストラリアの荒くれ師団をインドに送り込んで独立運動を叩き潰し、南アフリカのボーア人に対して神経化学兵器を使用するなど、グレートブリテン島以外ではヒトラーやスターリンの同類と糾弾されたりもしている。それでも暴力的な時代にはそれに相応しい人物が必要と、気位の高い紳士達は認めていたようだった。

 そしてその影響力と胆力は、表向きは引退した今も衰えてはいない。秘密情報部の長官として祖国と女王に奉仕しているホワイト少将は、キツネ狩りに合わせてチャートウェルの別荘を訪れる度、そう思わざるを得なかった。


「それで、あの輩どもの様子はどうだね?」


 例によって優雅にバハマ葉巻を吹かしながら、流石にしわがれた声でチャーチルが尋ねてくる。

 何を指しているかについては、もはや記すまでもないだろう。半世紀以上生きているらしいオウムのチャーリーの、「ナチの非嫡出子」といった罵詈雑言の通りである。


「ベルリンでクーデター騒ぎがあって以来、暫くは内輪揉めに勤しむ。ブルガリヤやセルビヤの件が蟻の一穴となり、枢軸同盟が動揺する可能性がある。そんな分析だと思ったが」


「はい、閣下。疑いようもなく、以前そう申し上げました」


「うむ。だがバルカン半島での動乱はすぐに……酸鼻を極めるようなやり方で鎮圧されてしまった。加えて挑発行為が以前にも増しているなど、波風がやたらと立っているとばかりの報が、最近は方々から伝わってくるような気がするな」


「誠に遺憾ながら」


 ホワイトは恭しくも苦々しげな口調で応じ、


「ドイツ人達は混乱から立ち直りつつある。そう考えざるを得ない状況です。ヒトラー総統が再来年の誕生日に完全引退すると宣言したのを契機に、党内での権力闘争が加速するという見込みもあり、我々も諸々の画策を実施いたしましたが……権力移行は予想以上に順調なようで、十分な成果が上がったとは言い難い状況です」


「さもありなん」


 チャーチルは僅かに嘆息し、紫煙を吹き出す。


「色々と想像するに……彼等は我々とはまるで異なる常識に基づいて、厄介なるゲームをやっている。あるいはやっているゲームのルール自体が、我々のそれとは違っていたりするのだろうな」


「はい、閣下。そのことを皆、肝に銘じてはおります」


 ホワイトはすぐさま応じ、幾らかの釈明を始める。

 実際ナチ党内に蔓延っている価値観や思考形態といったものは、少し前までの欧州諸国に遍在したそれから決定的なまでに乖離してしまっており、国家社会主義という異質なる一党独裁体制を構成している党員達も、大英帝国の教養溢れる紳士達とはおおよそ属する社会階層の異なる者達ばかり。対してこちらに接触してくる反ナチ派などは、伝統的な世界観の持ち主である場合が大半としか言いようがない。故に従来的な手法を用いたドイツの将来予測は、ほぼ間違いなく錯誤する――それがここ最近になって、秘密情報部が遅まきながらも導き出した結論だった。


 無論、だからといって分析努力を放棄するという訳ではない。

 それでも八方塞がりという雰囲気は確かにあった。結局のところ、人生の隅々にまで根を張っている常識は思っている以上に強固で、それに反する道理を無意識的に拒絶してしまいがちなのだろう。例えば管理通貨という概念はようやっと市民権を得てきているが、世界恐慌の暗雲がソ連邦以外のすべての国を覆っていた時期はまだ、金の裏付けのない通貨を危険極まりないものと見做す者が大勢いた。それどころか現在の植民地人のように、どうしてか自由意志でもって枷を自らの足にはめ、慢性的な不況に呻吟するといった事例すら現にあるのだ。

 なおこの件に関して言うなら、高名なる経済学者がドイツに倣えと主張していたほどで、ホワイトはそれを思い出して表情を若干曇らせる。とはいえ一部の予測に反し、かの国がハイパーインフレで瓦解しそうな兆候は見られない。


「ともかくもかような観点から申し上げますと……」


「怪物が都合よく突然死するような展開は、短中期的には期待し難い。そんなところだろうかな」


 渋面を浮かべつつ、それでいて何処か楽しげな声色でチャーチルは続ける。


「とはいえ、悍ましき怪物を野放しにしておく訳にはいかない。すぐには打倒し得ぬとしても、将来的な勝利に向けて手を打っていかねばならない」


「はい、閣下。そのためのお知恵を拝借できれば幸いです」


「なるほど。であれば……押して駄目なら引いてみろ、という諺がこの場合は適切かもしれないな」


 そんな言葉とともに机上に置かれたのは、幾つかの科学論文。

 まったく予想外のそれは、大腸菌などに寄生感染するバクテリオファージに関するもの。近年かの微生物を用いた実験で、生物学上の大発見があった。チャーチルはそう前置きし、眼光を研ぎ澄ませて続けた。


「ドイツ人は実際科学的で、ドイツの科学力は依然として脅威と言う他ないが……彼等はこのところ不自然な科学も嗜み、更には政治の領域にはんだ付けしてすらいる。ならばこうした運動を、敢えて隠密裏に後押ししてみてはどうかね? すなわちナチズムを現行のそれが児戯と思えるほどに異常かつ狂気的な理論に転換させ、誰ひとりとしてついていけなくしてしまうのだよ」

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