インド洋放漫作戦①

シンガポール:重巡洋艦『鳥海』



 戦端が開かれると同時に実施された南方作戦は、予想以上の進捗を見せていた。

 東洋のジブラルタルとか難攻不落の城塞とか言われたシンガポールには日章旗が翻り、パレンバン油田やジャワ島など蘭印の大半を手中に収め、フィリピンの米比軍を追い詰めている。バターン半島の熱帯雨林にどうやら大軍が居残っているようだが、元々補給もありはしない連中だ。そのうち物資が尽きて病気と飢えでバターンと逝くだろう、などとしょうもない冗談を口にする参謀もあったが、実際その通りになって捕虜が大勢死んでしまうのだから悲劇と言う他ない。


 それはまあいいとして、航空母艦『天鷹』は戦局に結構な貢献をしていた。

 元が客船であるとしても、結構な規模の艦である。最大で60を超える数の艦載機を収容することもできる。そうした能力を駆使して飛行場の爆撃であるとか、上陸部隊の露払いであるとか、まあ様々な任務をやってのけた。南方作戦が順調に推移し、輸送船が沈められて兵が海に投げ出されるような例が存外に少なかったのも、彼女の存在が故と言えるかもしれない。

 もっとも諸々が片付いてくると、退屈な航空機輸送業務なんかを押し付けられる。高谷艦長としては不満であった。


「おお、今度はセイロン空襲ですか!」


 小沢長官に呼ばれた高谷は、説明を聞くや否や目を輝かせた。

 セイロンといえば英東洋艦隊の一大根拠地である。インド支配の牙城たる鬼ヶ島である。空母機動部隊でもってそこを第二の真珠湾に、英主力艦群の集団墓地にしようというのだから、興奮せずにいられる理由もないというものだ。


 だが落胆はその直後にやってきた。

 南雲中将の空母機動部隊に加わり、コロンボやトリンコマリーをボコボコにできるかと思いきや……配属は原顕三郎少将麾下の部隊で、命じられたのはセイロン島南方海域での通商破壊と哨戒を兼ねた任務である。高谷はガックリを項垂れた。


「我が航空隊は確かに問題児を多少抱えてはおりますが、腕では一航戦の『赤城』にだって劣るもんじゃありませんよ。なのに何故、またしても外されねばならんのですか?」


「だってなあ高谷大佐、『天鷹』じゃ機動部隊に追随できんだろ」


「うぐッ……しかしですね……」


 その後の言葉を上手く続けられなかった。

 鈍足の艦が混ざっていると足並みが乱れ、碌なことにならない。何の不運か『加賀』がパラオ沖で座礁してしまったから、南雲中将麾下の航空母艦はどれも30ノット超の速度が出る。一方で『天鷹』は元が客船で、経済速力での性能は良好ではあったが、最高速度は25ノットが限界だった。


「その、要するに邪魔という訳ですか?」


「おいおい、そうは言っておらんだろう」


 小沢の反応は言葉通りか微妙なところで、


「貴官のフネと『龍驤』でもって、機動部隊の両翼を固めるのだ。敵がセイロンに留まる、あるいは直接出向いてくるのなら話は簡単だが、別動隊がマダガスカル辺りから湧いてくるかもしれん。それに艦隊の背後を脅かされんよう睨みを利かせ、あるいは誘引を目論見、実際に敵が現れたら機動部隊主力と協同して撃滅するという任務だ。どうだ、重大さが分かったろう?」


「いや、それは重々承知の上ですが……」


「大西洋の米空母がひょっこりと出てくるかもしれん。荷が重い戦になるやもしれん。まあそういう訳だ、詳細は追って伝えるから、今のうちに腕を磨いておくのだ。不貞腐れてる暇はないぞ」


 といった具合に、高谷は『鳥海』を追い出されてしまった。

 初春にもかかわらず馬鹿みたいに暑いシンガポールのセレター軍港には、何とか鹵獲した『インドミタブル』が引っ張ってこられ、修理が始められようとしている。いずれ艦首に菊の御紋を輝かせた軍艦となり、戦雲渦巻く戦場へと赴いたりするのだろうが……その功あった我々の待遇がさっぱりなのは、どうしたことだろうかと訝る。

 敵航空母艦と一緒に分捕ったスコッチや葉巻を乗組員がどんちゃん騒ぎで消費し切ってしまい、ほんの僅かな残りしか僚艦に配分しなかったことを、未だに恨まれているのであろうか?


「まあ、あまり期待もされておらんのかな? その分、楽と言えば楽だがなァ」


 相変わらずのいい加減さを発揮しながら、高谷は艦へと戻っていく。


「畜生、また継子扱いかこん畜生が!」


「小沢長官のアホンダラ!」


 セイロン空襲の噂をしていた耳聡い航空隊の荒くれ達は、小沢長官の判断を聞くや否や怒り狂った。

 挙句、仲間外れを馬鹿にしてきた他所の航空隊と殴り合いの大喧嘩をおっ始め、海軍が接収した士官クラブや下士官クラブの幾つかを営業停止に追い込んでしまった。スコッチや葉巻を土産としないことより、こういう悪行の積み重ねが故に煙たがられているのだが、当人達には自覚がないから困りもの。





コロンボ:戦艦『ウォースパイト』



「やべえよ……やべえよ……」


 英国東洋艦隊司令長官たるジェームズ・サマヴィル中将の心の内を直截に描写すると、概ねそんな様相であった。

 確かに本国艦隊からの増援もあり、戦艦5隻に航空母艦3隻を中核とした艦隊が揃っている。一見すると大変な戦力で、ドイツやイタリヤの惰弱な水上艦隊なら鎧袖一触となる規模には違いない。


 だが迫りつつある相手が日本の機動部隊となると、話はまるで違ってくる。

 数百もの航空機を搭載した航空母艦が縦横無尽に駆け回り、目につくものを片端からぶち壊し、浮かぶもの皆沈めていくのだ。対峙するには現状の東洋艦隊をもってしても大変厳しいという他なく、沈まぬ陸上基地の航空戦力によってその衝撃力をいなそうにも、やってくるスピットファイアの数はあまりにも少ない。

 地中海やアフリカなど、何処の戦線も厳しいのは分かってはいるが――これでどうしろと言うのだろうか。


「艦隊を温存しつつ、機を見て臨機応変に反撃か。言うは易しの典型であるな」


 サマヴィルは紅茶を優雅に嗜みながら、祖国の置かれている戦局を案じた。

 実のところ日本の機動部隊が艦隊撃滅を目的に襲来し、一過性の嵐の如く去っていくという想定の上でしか、成立しない話だった。揚陸船団を伴い、セイロン島の制圧を目的としていた場合、全てが狂ってしまう。艦隊が無事であってもインド周辺の制海権は喪われ、ソ連支援のためイラン王国を轢き潰したのも無駄になり、悪ければ日独が地理的に握手してしまうかもしれない。

 かような戦略上の理由もあって、北海から航空母艦『ヴィクトリアス』を引っ張ってきたのではあるが、それでも戦力的に心許ない限り。なおアメリカにも増援を求めはしたらしいが、結局断られてしまったようだ。


「モースの奴めが愚かな失敗をしでかさなければ、もう少しはましであったでしょうな」


「全く。あんなところで艦を座礁させるとは」


 参謀長の愚痴っぽい物言いに、サマヴィルもまた歯軋りする。

 最悪の座礁事故を起こした『インドミタブル』は占領下のシンガポールにあり、日本本土に回航するための準備をしているらしい。その様子は『聯合艦隊、英新鋭空母ヲ鹵獲ス』なんて見出しとともに、スイスの通信社経由で世界中に拡散されてしまっており、チャーチル首相は「信じて送り出した新鋭空母が何とかかんとか」と呻いてまたも卒倒したという。

 それに沈められたなら1隻を補充すればいいが、分捕られたでは2隻を追加せねば釣り合いが取れない。しかもその2隻が戦列に加わるのは、早くて来年の後半だという。


「あのやくざな食中毒客船改装の空母を、今すぐこの手で沈めてやりたいところだ」


「司令長官、それなのですが……」


 何やら電文を手渡されていた通信参謀が挙手し、


「先程、ココス諸島北方沖を航行中の船団が空襲を受けました。航空機が1ダース半ほど来襲、貨物船1隻が被弾し航行不能、スループ艦1隻が撃沈された模様です。状況から見て敵空母に違いありません」


「うん、もうやってきおったのか?」


 作戦会議に集った将官佐官が声を揃えてどよめく中、サマヴィルはまず訝った。

 頭脳明晰なる連中が暗号や符牒を解析した結果、セイロン攻撃は一週間後の4月1日予定と判明している。トラヒック解析でもそれを裏付ける結果が出ているし、日本人にエイプリルフールの概念はなさそうだから、まあ間違いないだろうと思われた。


 とすれば――前段として小規模な艦隊を展開させ、こちらの出方を伺っているのではなかろうか。

 恐るべき機動部隊は蘭印はセレベス島沖からそう遠くないところを航行中であろうし、船団を襲った機数が20に満たぬらしいことから、敵は航空母艦1隻あるいは2隻といったところで、後者だとしても片方は小型だろう。


「少し前、あの忌まわしき改装空母が、シンガポールを出航したとの報があったな?」


「はい……ああ、まさか」


「そうだ、船団を襲ったのは奴に違いない。絶好の機会だ、奴を撃沈して驕れる日本軍の出鼻を挫いてやろうではないか」

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