義烈奮戦! 原子兵器強襲艦隊⑤

太平洋:サイパン島東方沖



「おっとり可愛いのが『リットリオ』嬢。是非とも嫁に貰いたい」


「でも一番素敵なのが『インペロ』嬢。イタリヤ最高の駄女神様」


 日中苛烈を極めた大海原に、陸奥大佐が聞いたら満悦しそうな唄が響き渡る。

 イタリヤ海軍が誇る新鋭戦艦『インペロ』の、底抜けに陽気なことで知られる乗組員達。夕餉を終えて士気を高揚させた彼等が、大音量の艦内放送に合わせて歌唱しているのだ。


「主に地中海を作戦海域とする艨艟が、何故こんなところを遊弋しているのか」


 かような疑問の声も聞こえてきそうではあるが、それはムッソリーニ統領の高度な政治判断が故だった。

 地中海の米英海軍の戦力低下を見越した彼は、愛人のクララと事に及んでいたちょうどその時、アジア方面への介入を思いついたのだ。つまり太平洋艦隊を編成し、ちょっと戦ってくるだけで、共栄圏に幾らかの権益が得られる。かような助平根性の下、戦艦と重巡洋艦、なけなしの油槽艦を含む10隻ほどが送り込まれたという顛末だ


 とはいえ実のところそれは、激戦海域に突入しろという意味ではなかっただろう。

 ただマダガスカル沖の英雄だからと、独特な命令解釈をする性癖のパロナ中将が司令長官に任命されてしまっていた。しかも参謀長は、諸悪の根源たるマラゾッキ大佐。こうなるともう止めようがあるはずもなく、第10根拠地隊の今村少将の心配を他所に、マリアナ沖に到達してしまったのである。

 なお市井を脅かしている米国の原子爆弾については……多分ドイツに向くだろうと、ムッソリーニを含めた大部分のイタリヤ人達は、何とも適当に楽観視していた。


「さて、この辺に何かいい獲物は」


「長官、この艦の水上レーダーが捉えましたぞ」


 まったく絶好のタイミングで、マラゾッキ大佐が報告する。


「十字方向、距離30に反応多数。いずれも15ノット程度でこちらへ向かってきているとのこと。恐らく揚陸船団でしょう。昼間のうちに日本軍が激烈な空襲で相当数を沈めたようですから、這う這うの体で逃げてきたのではないかと」


「とすると戦艦はおらんかな?」


 パロナは若干残念そうで、


「とはいえこちらは10隻もないし、逃げてきたところを棍棒で叩くに限る」


「日本の哲学剣士、宮本雅史の書にある通りですね」


「うむ。それと今ちょいと思ったのだが、あいつらもしや、こちらを味方と勘違いしておったりせんか?」


 パロナの言葉に、司令長官公室に集まった参謀達がハッとなる。

 そうして暫しの観測の後、それは確証へと変わった。かくしてイタリヤ太平洋艦隊は合流を装っての接近を開始し、ようやく増援が現れたと安堵し切っていた第57任務部隊第2群は、ここで予想だにしなかった惨劇に見舞われることとなる。





ワシントンD.C.:オブザーバトリー・サークル1番地



 海軍天文台の敷地内に聳える、提督の家という名で呼ばれる海軍作戦部長公邸。

 ドイツ空軍機がワシントンD.C.上空に出現して以来、不眠不休で事態に対処し続けてきたニミッツ元帥は、久方ぶりに自分のベッドで眠ることができていた。空中散布された戦慄の神経ガスは加水分解され切ったようだが、混乱はまったくと言っていいほど収束していない。そのため休んでいられるのも精々が4時間ほどでしかないが、今はそれが宝石よりも貴重だった。


 ただ問題があるとすれば、50分と経たずに叩き起こされる破目になったことだろう。

 秘書は緊急連絡だと言ってきた。脳天を突き刺すような頭痛を堪え、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、ニミッツは即座に起き上がる。就寝中に電話がかかってきたのだから、相当にろくでもないことが起きたに違いない。淹れてあったコーヒーをがぶ飲みした後、覚悟を決めて受話器を取った彼は、予想を遥かに上回る報告を投げつけられ、思わず耳を疑った。


「ああ、リッチ、今何と言った?」


「作戦部長、第5艦隊は壊滅しました」


 副部長のエドワーズ中将が、本当に消え入るような声で告げる。

 数秒間の沈黙。あまりにも重苦しいそれを経た後、彼はどうにか説明を再開した。


「第58任務部隊は主力艦のすべて含む30隻超を喪失。オルデンドルフ中将の第56任務部隊も護衛空母9隻、戦艦1隻が撃沈され、また第5艦隊旗艦『インディアナポリス』も潜水艦の雷撃によって喪われました。それ以外の艦船の被害も甚大で……」


「おい、冗談は止せ。そんな馬鹿な話があるはずがなかろう」


「作戦部長、自爆機です」


 エドワーズの声が悲痛に歪み、


「何百という自爆機を、大型爆弾を抱いたまま艦艇に突っ込んでくる自爆機を、日本軍は投入してきたんです。それで航空母艦が軒並みやられました」


「ば、馬鹿なッ……」


 ニミッツは後頭部を強かに殴られたかのような衝撃を受けた。

 神の摂理に悉く背いた悪魔的な世界が、何時の間にやら出来上がっていた。あるいはワシントンD.C.の惨状が物語るように、とっくに狂ってしまっていたのかもしれない。病的なまでの悍ましさに頭痛が加速し、呼吸が苦しくなり……その一方、ひたすらに怒鳴り散らしたい衝動にも駆られた。


「ともかくも作戦部長、自分も信じたくはありませんが、第5艦隊壊滅は残念ながら事実です。あ、それからたった今追加の悲報が入りました。サイパン島東方沖で退避中だった第57任務部隊第2群が、有力な敵水上艦隊の襲撃を受けて壊滅……」


「嘘だそんなこと!」


 何が引き金となってか、ニミッツは反射的に絶叫した。

 それからまったく唐突に、死活的に重要な何かがプツリと切れてしまった。眩暈が一気に増した後、視界は真っ暗となり……同時に全身が崩れ落ちていくのを感じた。床面に受話器が衝突する鈍い音、酷く聞き取り難くなったエドワーズの声、それから秘書の甲高い悲鳴。いずれも急速に遠のき、すぐに何も聞こえなくなった。


 そして救急車が到着した時には既に、信じ難い苦境の中で合衆国海軍を支えてきた英傑は、半ば過去の存在となっていた。

 この時代には過労死や過労障害といった概念自体がなかったが、あからさまなまでにそれが原因の脳溢血で、彼は倒れてしまったのだ。しかも緊急入院したベセスダ海軍病院の特別室で、支離滅裂な発言しか垂れ流さなくなったルーズベルト元大統領と鉢合わせすることとなるのだから、まったく運命は残酷という他ない。





アッツ島:航空基地



「第四航空艦隊の決死隊が遂にやったぞ。空母十数隻を一挙に沈めたらしい」


「生還を期さぬ体当たり攻撃だそうだ。こりゃあ俺達も負けてられんな」


 ラジオが伝える神風特別攻撃。その空前絶後の大戦果に、誰も彼もが沸き返る。

 数百機の突入をもって米機動部隊を壊滅させたのを皮切りに、陸海軍は稼動機のすべてを投じた航空総攻撃を実施。9月のマリアナ沖に匹敵する大打撃を与えて水陸両用艦隊を撤退に追い込んだ上、サイパンとテニアンの飛行場を猛襲して航空機多数を破壊したとのこと。ついでに何故か太平洋にいるイタリヤ艦隊が、揚陸船団1個を壊滅させたらしく……ともかくも義号作戦成功の公算は一挙に高まった、誰もがそう実感したところだった。


 しかし同時に気にかかるのは、自分達の任務が何時開始されるかである。

 米本土のフラットヘッド黒鉛炉を長距離空挺でもって制圧し、原子爆弾の製造能力を根元から断つ。テニアン島強襲に勝るとも劣らぬ戦略的重要性を帯びた烈号作戦は、本来であれば今日始まる予定であった。しかし冬のアリューシャン特有の天候不順の影響もあって、発動が延期されてしまっており、決死の益荒男どもは切歯扼腕するばかりだったのだ。


「ですが、勝負は時の運」


 微妙に癖のある日本語は、英国海軍のリンチ中佐のものだった。

 焦燥感が満ち溢れた士官室にて、妙に美味そうな葉巻をプカプカとやっていた彼は、心頭滅却したような口調で続ける。


「発動が遅れることで、かえって良い結果となることだってあり得るでしょう。米本土の航空戦力の大部分は東海岸防衛のため移動しておるはずですし、マーシャルや真珠湾の艦隊もこれでマリアナ沖へと急行せざるを得ない。となれば北太平洋はガラ空きですよ。素通りできるやもしれません」


「貴官はなかなか楽観的だな」


 陸軍第1空挺集団の長なる塚田少将がニマリと笑い、


「とはいえ情報と二枚舌に定評ある貴国の介添えもあって、本作戦は十分秘匿されておるか」


「この期に及んでは、もはや形振り構う余裕もありませんので」


 リンチも少々痛ましげな口調で返した。

 故郷たるコーンウォールはさほどの被害を受けなかったようだが、グレートブリテン島は激烈な神経化学爆撃に晒された。ヒトラー総統の戦略的判断とやらが故か、攻撃目標は米第8空軍の基地に限定されたとはいえ、それですら市井に数万の死者とその1桁上の負傷者が生じたというから凄まじい。


 そしてこれ以上の戦争継続は、確実に大英帝国の完全崩壊に結び付く。

 であれば今は多少の煮え湯を飲むとしても、早急に停戦を実現し、態勢を立て直す必要があった。自分が東洋人達の作戦に協力しているのも、ほぼ国益のためである。なお残りの動機については、婚姻に絡むやたらと個人的な事情であるのだが……ともかく上手く事を進められれば、損をするのは頭のどうかした植民地人だけとなるはずだった。


「まあ何にせよ、天候については神に祈るしかないでしょう」


「貴官はなかなか達観したところがあるな」


「収容所に随分と長い間いたもので。それから話を戻しますと、明後日はちょうどクリスマス。聖夜ばかりはと兵隊達も休みたがるでしょうし、もしかすれば輸送機がサンタクロースの橇と誤認されるかも」


 リンチは些か無理のある冗談を口にし、気晴らしに乾布摩擦でもしようなどと言い出す。

 とはいえカナダ太平洋岸の防空網は、万全の罷業態勢を整えているはずだった。しかもそこへと飛び込むのが、期せずしてその日となってしまうのだから、世の中数奇なこともあるものである。

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