一杯の珈琲を③

地球周回軌道:北太平洋上空



 戦端が開かれて十数分と経たぬうちに、とんでもない数の核爆発が確認された。

 爆心の大部分は、近代文明発祥の地たる欧州に集中していた。ドイツ本土より集中的に発射された弾道弾や巡航誘導弾が、対峙する列強諸国の要所を片っ端から蒸発させているのだ。少なくとも今のところは、攻撃は軍事目標に限定されているようではある。それでも現段階においてすら、数千万もの死傷者が発生しているものと予想され、これがほんの前哨戦に過ぎぬかと思うと、誰もが身震いせざるを得ないに違いない。


 ただ米空軍の軌道戦闘艦『コンステレーション』の乗組員に、他国民の心配をしている余裕などなかった。

 何故ならば核分裂性の戦禍が、彼等が故郷にも広がろうとしているからだ。開戦劈頭に数百もの大陸間弾道弾が一斉発射され、更には数多の部分軌道爆撃弾が、独軌道空母『マックス・インメルマン』その他の艦艇より分離されていた。そのうち何割かは、間違いなく北米大陸へと驀進中。当然、いずれもメガトン級水爆を複数搭載していると考えるべきで、軌道上での迎撃に失敗しようものなら、未曽有の地獄が顕現することとなるだろう。

 そして敵性人工衛星撃破の報告を受けながら、ハリウッド映画のような大団円は望み薄かもしれぬと、艦長たるクラークソン大佐は危惧する。敵第一波とはラブラドル半島上空で交戦できそうではあるが、来襲しつつあるのはそればかりでない。


「艦長、我々の反撃が始まりました」


 副長の平淡なる声が、ヘルメット内蔵の通信機より響いてきた。

 被害局限のため真空に近くなった戦闘指揮所。その中央に据えられたる大画面には、世界地図が映されていて、モンタナやネブラスカといった辺りに、幾つもの輝点が生じ始めていた。最新鋭の大陸間弾道弾たるLGM-118 ピースキーパーが、広大なる草原のど真ん中に設けられたるサイロより、次々と発射されているのだ。


「少なくともこれで、地上撃破は避けられたかと」


「うむ」


 クラークソンは機械的に肯く。

 サイロ勤務の将兵の運命が気にかかったが、現状のような状況において、余計な感情を差し挟むのは危険という他ない。あれこれ考え出しかねない内心を抑制すべき、彼は自らに言い聞かせ……少しばかりの閃きを得る。


「地上の仲間達が打ち上げてくれた弾道弾群の軌道に、最接近する敵艦はどれだ?」


「はい」


 ただちに計算が開始され、


「軌道巡航艦『シャルンホルスト』です。最接近距離、およそ500マイル」


「弾道弾迎撃するため、恐らく軌道変更してくるだろう。とすればここで先手を打った方がいい。砲術長、やれそうか?」


「機動爆雷攻撃が有効です」


 砲術長が落ち着いた声で言い、


「敵艦の予想軌道上に何発か配置してやりましょう。迎撃を試みるならばこちらの攻撃に遭い、そうでないならピースキーパーがそのまま飛んでいって自動的に迎撃失敗です」


「それでいこう。機動爆雷1番から4番、発射準備」


 クラークソンはすぐさま命じ、それから聡明なる艦隊司令部に連絡させる。

 遂に起こってしまった破滅的戦争が、いったいどれほどの惨禍を撒き散らした末に終結のするか、まったく分かったものではなかった。それでもドイツの新Z艦隊の一角を崩せれば、最終的に何百万あるいはそれ以上の命を救う結果となるに違いない。


「機動爆雷1番から4番、発射準備完了」


「よし、撃てッ」


 発令。それからコンマ数秒の後、軽微な震動が艦体を駆け抜けた。

 機動爆雷が切り離されたのだ。それらは巧みに燃料を噴射しながら軌道を修正し、漆黒の宇宙空間を奔走していく。攻撃の成否が判明するのは十数分後だが、少なくとも徒な結果にはならぬだろうと誰もが確信した。


 そうしてハドソン湾上空に差し掛かった辺りで、『コンステレーション』は照準用レーダーを稼働させた。

 数千キロの彼方すら見通すそれでもって、秒速6キロで北米大陸へと迫りつつある大陸間弾道弾を捕捉し、ブリリアント・ペブルスと呼称されたる迎撃弾に、必要なデータを入力するためだ。ただそうしたところ、艦の近傍数十キロを掠める軌道を描く未確認の物体が報告され……諸々の確認を試みるより前に、不可解な衝撃が襲ってきた。


「な、何だッ!?」


「被害報告ッ!」


 クラークソンは叫び、同時にしてやられたと直感した。

 実際、彼とほぼ同じ思惑から、ドイツ空軍は『コンステレーション』に向け機動爆雷を投じていた。しかもそれは実戦配備が始まって間もないステルス仕様の原子励起ガンマ線レーザー型で、発見が酷く遅れていたことから、彼女は強烈無比なる光線を浴びることとなってしまったのだ。


 当然ながら乗組員は皆、等しく青褪めることとなった。

 対レーザー複合装甲の有効性が遺憾なく発揮されたからか、人的被害は皆無。しかし電子装備は深刻な打撃を受けており、特に艦外に展張させていたレーダー類は全滅と報告された。絶望的という他ない状況だった。


「だが……まだだ、まだ終わらんよ!」


 クラークソンは声を振り絞り、邪を祓わんばかりに宣う。

 そして思考をフル回転させ、故国に迫る脅威を撃滅するための方法を模索していく。シャイアン山の艦隊司令部との通信が回復したとの連絡が齎されたのは直後で、彼はたちまちそこに光明を見出した。艦のセントラルコンピュータと発射機構はまだ無事なのだから、地上局から何がしかの方法でデータを送ってもらい、それでもって迎撃弾を撃つまでだ。





地球周回軌道:インド洋上空



 宇宙空間での戦闘というのは、やはり先手必勝なのだろう。

 事実、ドイツが誇る新Z艦隊は、13隻の軌道艦艇のうち2隻が蒸発、1隻が戦闘不能となったに過ぎぬ。一方で米英のそれはほぼ半壊と呼ぶべき惨状を呈しており、帝国空軍も軌道巡航艦『霧島』、『愛宕』を相次いで喪失。更にその姉妹艦たる『足柄』も、機雷衛星より放たれた核爆発成形侵徹弾多数を浴びて大破というあり様で、あらゆる神州の護りは消え失せたかに見えた。


 だが未だ、希望は潰えてなどいなかった。

 少なくとも『足柄』の乗組員達は皆、皇国危急の時にあっても意気軒高。兵装のほぼすべてが使用不能で、原子炉が破損して冷却不能に陥っていても尚、戦闘を継続しようとしていた。ただ旺盛なる戦意を有していても、持ち場がなければどうにもならぬ。艦長の三浦大佐は余剰人員を片っ端から、泣きつかれようが構わず脱出艇に詰め込み、退艦させるよう命じていた。


「艦長、脱出艇切離し準備完了しました」


「分離」


 三浦は即座に命じ、すぐさま実行に移された。

 微小なる震動。士官であれ下士官兵であれ、おおよそ若いのから順に搭乗させた脱出艇は、たちまち減速を開始した。艦と運命をともにできぬと知った者達の慟哭は、赤誠に満ちたる訴えは、未だに脳裏に焼き付いている。しかしこれで良いのだと、彼は心からの敬礼を送りながら自身に言って聞かせた。


「そうだ。この戦争がどうなるかはまだ分からんが、その後には戦災復興という長い長い戦いが待っておるはずだ。あいつらの持ち場は、そちらであった方がいい」


「まったくです」


 副長の同意が、最小限の人員のみを残した発令所に木霊する。

 三浦は声なく肯いた後、改めて戦況と対峙する。世界は既に地獄も同然だった。死傷者は既に億の単位に達したと予想され、主たる戦場から遠く離れたはずのアジアにおいても、20発超の核爆発が確認されていた。軌道空母『天鷹』の艦載機と地対空誘導弾からなる迎撃網を秒速7キロで擦り抜けたる弾頭が、満洲や華北に設けられていた空軍基地や早期警戒電探をクレーターに変え、新義州の原子力施設群を飴細工のように溶かし、更には北海道は日高の大陸間弾道弾基地を吹き飛ばしたのだ。


 だが遥かに恐るべきものが、群れをなして南インド洋上空を飛翔していた。

 座視すれば大東亜一帯を地獄に変えてしまうであろう、囮弾を含めて数百にもなる部分軌道爆撃弾だ。それぞれが当然のようにメガトン級水爆を複数搭載していて、絶対に撃墜せねばならぬのは言うまでもない。そしてこの目標を達成する上で不可欠なのが、数分前にそれらを分離し、またその盾となっている独軌道戦艦『ビスマルク』の撃破だった。『足柄』に残った40余名の乗組員は、文字通り艦そのものをぶつけてでも、新Z艦隊で最強と目されたる艨艟を倒す心算でいた。


「航宙長、敵艦の軌道は変わらずか?」


「はい。依然、本艦との交叉軌道に乗ったままです」


「では予定通り、直前まで死んだふりだ」


 苛烈なる世界の中、三浦は不敵に笑む。

 一般に海戦は双方が望まねば起こらぬというが、宇宙ではその傾向はより一層強まる。恐らく『ビスマルク』は水爆攻撃を成功させるため、『足柄』の撃破を目論んでいて、こちらはそれを阻止する構えであったため、最接近距離が数十キロとなるような軌道を双方が描くこととなったのだ。


 ただ『足柄』はそれ以前に触雷大破し、見るも無残な姿となってしまった。

 更には脱出艇すべてを用い、乗組員の大半を地球へと降下させていた。とすれば向こうからは総員退艦済みの、無力化された目標と見えているに違いなく、ドイツ人の艦長もまた、当初想定していた戦闘は起き得ぬと考えているはずだ。『ビスマルク』が細かな軌道修正を一切行っていないのも、その証左かと思われ……付け入る隙はそこにこそあった。

 そうして時間は刻一刻と過ぎていき、三浦は椅子に身体をしっかり固定させた後、美味そうに宇宙用コーヒーなど飲んで見せる。末期の水にしては酷い味とも思ったが、徐々にそれは勝利の美酒に近付いていくようだった。


「艦長ッ!」


「よし、奴に本艦をぶつける。緊急加速はじめ」


 敢然たる発令。直後、この世のものとも思えぬ衝撃が、1万5000トンの艦体を揺さぶった。

 艦体後方で核爆発が起きていた。規模は通常よりも遥かに大きかった。軌道艦艇は緊急時、推進用原子爆弾の出力制限を解除し、もって大加速することが可能となっている。今回はそれを最大まで高めた形だった。特殊合金製の反射板は膨大なプラズマによって融解し始め、衝撃吸収機構すらも破損していくが、そんなことなど一切構わずに、『足柄』は10G加速で一気呵成に突撃した。


 それに対して『ビスマルク』は、大慌てで、しかし手順通りの行動に出たようだった。

 元々が秒速7キロ台で交叉する訳であるから、滅多なことでは衝突など起こらない。更には軌道を微修正するための原子熱ロケットエンジンを、『足柄』は傍目にも分かり易い形で喪失していた。であれば幾らか加速あるいは減速をしてやれば、回避はほぼ確実に成功するという訳で……かような常識的判断を敵が下したことで、遂に光明が見えた。


(どうだ『足柄』よ、俺等の逆転勝ちだぞ)


 圧倒的加速度によって意識が遠のく前に、三浦は会心の笑みを浮かべた。

 直後、40余名の勇者達は、眩過ぎる光の中に消えた。『足柄』に搭載されていたすべての原水爆が、時を同じくして起爆したのだ。何処までも勇ましき軌道巡航艦は、瞬く間に木っ端微塵になり、それによって生じた巨大なる爆散球が、『ビスマルク』と部分軌道爆撃弾の幾らかを包み込んだ。





「総員聞け。たった今、『足柄』の挺身攻撃により、敵艦は撃破された」


 緊急原爆加速でもって長楕円軌道へと避退した軌道空母『天鷹』より、何よりの朗報が齎された。

 出撃した艦載機乗り達は皆、その壮絶なる最期に感極まる。部分軌道爆撃弾迎撃の任務を遂行するに当たって、何よりの障害となっていた『ビスマルク』が、半身不随であったはずの『足柄』と相搏つ形となったのだ。


「目標を新たに割り振る。すべてが水爆弾頭と予想されるそれらの弾着は、1発たりとも許容できない。各員一層奮戦努力し、大気圏突入前に悉く撃墜、皇国と共栄圏を防衛せよ」


「了解」


 四〇式複座軌道戦闘機を駆る本庄少佐は、ただちに転送されてきた情報を凝視する。

 彼の率いる小隊に割り振られたのは、インドシナの何処かを狙っているであろう弾頭群。『天照』基地より帰還した後、東亜観光社の割引旅行で訪れた、ハノイの雑多で活気に満ちた街並みが脳裏を過る。アジア同胞のためにも絶対に阻止せねばならぬと、ともかく意気込みを滾らせた。


 ただ冷徹無比なる宇宙空間では、個々の士気はあまり影響を及ぼさぬと、本庄は頭の片隅で理解してもいた。

 恐るべき『ビスマルク』は撃破されたとはいえ、彼女はあまりにも多くの部分軌道爆撃弾を分離していた。『天鷹』より緊急発艦した64機の艦載機に、それぞれ8発ずつ搭載されている迎撃弾。それらが奇跡的に全弾命中を成し遂げたとしても、敵弾の幾らかは擦り抜けていってしまうに違いない。


「軌道遷移開始」


 今回も組むこととなった菊原大尉の報告が、後部座席より到来した。

 当然ながら、機体は自動操縦。機首がゆっくりと旋回し、エンジンが間欠的に動作し始める。


「少佐、地上にも地対空誘導弾部隊がいますよね」


「ああ、そうだな」


 本庄は咄嗟に肯き、


「全員が一致団結して事に当たれば、被害は最小限にできるはずだ」


「はい。兵装最終確認よし、間もなく投弾点」


「敵弾を見事討ち取ってやろう」


 己が精神を落ち着かせんとばかりの声色で、本庄もまた現実と対峙する。

 程なくして投弾。矢継ぎ早に切り離されていった四一式迎撃弾改二は、数秒ほどの後にロケットモーターに点火し、猛烈に加速していった。それでいて十分な運動能力を残したそれらは、既に減速を開始していた部分軌道爆撃弾の群れに、上から覆い被さるような形で襲い掛かる。


 かくして高度150キロ前後の宇宙空間に、連続的に閃光が走った。

 膨大なる核分裂エネルギーによって指向性輻射された硬X線が、破滅的野望を抱いて飛翔する恐るべき兵器を、片っ端から爆散させていく。それでもやはり、すべてを撃墜してめでたしめでたしとはならず……未だ健在なる何十発かが、大気圏へ突入して赤熱し始める。

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海の粗忽者 ~強襲空母『天鷹』奮戦記~ 青井孔雀 @aoi_kujaku

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