激烈! 宇宙大競争④

フィリピン海:宮古島南東沖



「うぬう……チンピラゴロツキども、いったい何を始める心算だ」


「World War Ⅲ」


 第七航空戦隊の長になり遂せた打井少将の呻きに、癇に障る鳴き声が返ってきた。

 かつて航空母艦『天鷹』を動物運搬艦などと言わしめた猫や犬などは、流石に天寿を全うしてしまっていた。だがオウムだけは例外であるようで、とんでもない毒舌で鳴らしたる性悪鳥類のアッズ太郎は、未だ艦内の人間をからかって遊んでいるのだ。


 ただ本当に問題なのは、それがちっとも洒落にならぬところだろう。

 最近になって米独が、いきなり臨戦態勢に入ってしまっていた。しかも北大西洋に進出した原子力富嶽改が、電磁波情報などを収集したところによると、既に複数の原子爆弾が炸裂したとのこと。一応それらは戦術局面での使用に留まっていて、大戦末期のようにいきなり首都を蒸発させるような性質のものではないらしい。それでも何時、本格的な原水爆戦争が始まるか分かったものではなく、NHKラジオを流してみれば、防空法に基づく疎開準備命令が出た旨が報じられている始末である。


「チンピラゴロツキどもが勝手に戦端を開き、共倒れするのなら、勝手にしろと言いたいところだが……」


 司令官席の打井は大いに力み、紅茶入りのカップを握力で砕いてしまう。


「こちらまで巻き込む心算なら、早急に千切っては投げてやらねばならん」


「ちょっと心配のし過ぎだと思うんですよね」


 何時もの調子でそう言うのは、今や艦長の諏訪大佐である。

 影の薄さのお陰か、あるいはどこぞの超勇ましい人物を怒らせてしまったが故か、進級が遅れ気味ではあったようだが……持ち前の悠長な楽観主義は、こんなところでも健在なようだった。


「それより人工衛星の回収任務失敗を、上手く誤魔化せそうな雰囲気ではないかと」


「ありゃあ東大ゴロツキが計算を間違えたのが悪い」


 打井はばっさり切って捨て、"Crawfish"と囀るアッズ太郎を無視する。


「とはいえスッパ、随分と暢気だな? もはや火蓋が切って落とされる直前といった雰囲気に思えるぞ」


「それでも多分何とかなるんですよね。都市という都市を蒸発させ合う戦争なんて、誰の得にもなりませんし。仮に何とかならないとしたら……本当に手の打ちようがなくなるので、あまり考えない方がいいかと」


「なるほど、確かにそうかもしれん」


 妙な納得感を得た打井は、改めて紅茶を飲もうとし、先刻カップを破壊したのだったと苦笑した。

 ただ戦術部隊同士の原子戦であれば、今まさに大西洋で現在進行中という訳である。とすれば米軍の巡航誘導弾がいきなり飛んできて、戦隊が悉く蒸発といった可能性も考えられ……そうした懸念を証明するかのように、程なくして追加の命令が届いた。





ベルリン:総統官邸



「米英のいずれかが原子爆弾を使用したら、ソ連邦に対して先制攻撃を実施します」


 何を言っているのか理解し難いかもしれないが、ドイツの軍事戦略はこんな具合となっていた。

 まさにロシヤが動員を始めたらフランスを攻めるという、陸軍の英才たるシュリーフェン元帥が策定した作戦計画の如し。あるいはそれを原水爆戦争時代に合わせて修正すると、かような具合になるのかもしれない。無論、第一次世界大戦のあまりに苦い敗北があったように、危険性はあり過ぎるくらいだが……米英ソに取り囲まれた大陸欧州という国家の立地条件が、傍目にはどうかしたやり方を妥当なものとしてしまっているのだ。


 そしてまったく驚くべきことに、陸海軍部隊が既に準備を始めてしまっていた。

 意思決定と命令伝達で時間を取られ、敵に先手を取られると拙いという理由から、いざとなったらすべてが自動的に動くようになっていたのである。大西洋上での核爆発ともなれば、当然その条件を満たす。故にウクライナの弾道弾部隊は燃料注入を大急ぎで開始し、爆撃機も巡航誘導弾を搭載して次から次へと離陸していった。海軍の哨戒機が東地中海にとんでもない爆雷を躊躇いなく投下し、原子力潜水艦らしきを撃沈していったりもしたはずだが――とにかく想定されていた通りの事態となったのだから、彼等は人間らしい想像力をこれっぽっちも働かせることなく、機械の歯車のように行動したのだった。


「総統閣下、ご決断を」


 側近たるフェーゲライン親衛隊大将の声が、妙に空恐ろしく響く。

 総統大本営の大会議室には、画面に"NUR TON"とだけ記されたテレビジョン装置がずらりと並んでいる。本来であれば卓を囲むべき重鎮達が、特殊設計の秘話装置越しにしか話せぬほど、時間的余裕がない状況ということだ。


「もはや一刻の猶予もございません。忌まわしき米国人どもは、大西洋上で複数の原子爆弾を使用。また長距離爆撃機多数が各地の基地より離陸したとのことで、連中が原水爆戦争を企図しているのはもはや明確です。後顧の憂いを断つためにも、今すぐ対ソ先制攻撃を開始するべきかと」


「状況は把握している」


 正式に最高権力者となって3年目のヒムラー総統は、厳格なる思慮を臭わせる声色で言った。

 だがその実、彼の内心は滅茶苦茶になっていた。多少というか相当に我儘なところが出てきているとはいえ、消費財生産が盛んなフランスやイタリヤとの貿易が盛んになってきたお陰で、抑制されがちだった民間経済も活力を取り戻してきている。かように喜ばしい報告を受けた直後に、いきなり原水爆戦争を始める決断を求められたら、正気を保つだけでも困難に違いない。


「なお第五航空艦隊は先程、ノルウェー海上の米対潜機動部隊を撃滅いたしました」


 無味乾燥な報告が酷薄にも追加され、


「対潜空母を中核とするそれらを破砕したことにより、海軍の弾道弾潜水艦部隊が大西洋へと進出可能となりました。最悪の場合であっても、確実に米東海岸は灰燼に期するでしょう。総統閣下、ご安心ください」


「うむ……」


 ヒムラーは厳かに肯き、しかし何処に安心できる要素があるのかと思う。

 酷く重苦しく、また切迫した沈黙が流れる。四肢は何時の間にやら震えていて、不幸中の幸いはフェーゲライン以外に見られずに済んだことくらい。自分の与り知らぬうちに、世の中に存在するすべてが絶滅的戦争を目指し、暴走機関車の如く走り出してしまっている。かような恐るべき懸念が、最高指導者の胸中を支配していたのだ。


 20世紀最大の偉人と讃えられし先代か、権力の絶頂を前に趣味の格闘技大会で頓死してしまったゲーリング国家元帥であったならば、あるいは違ったかもしれぬ。

 ただ陰湿なる権謀術数の末に総統の座を手にしたヒムラーは、大陸欧州においてひとつの民族を丸ごと消滅させた張本人ではありはしたが、表立っての闘争を得意とする性質ではなかった。またあまり良い意味でなく小市民的なところがある彼は、かつてベルリンを原子爆弾で焼いた米国への怒りはあれど、原水爆戦争を経た後に来る千年王国を脳裏に思い描くことができずにいた。それ故、苦節の果てに築かれた大帝国の現状維持という誘惑に抗し切れず……酷く逃避的な思考に身を任せてしまった。

 そうした果てに頭の片隅からまろび出てきたのは、思いついた当人すら苦笑を覚えるほど根拠薄弱なる論で、しかしそれは随分と滑らかに口唇から発せられた。


「もしかすると……我等が帝国と米ソとを相打たせ、漁夫の利を得んとする輩がいるかもしれん」


「総統閣下、いったい何を?」


「分からんかね?」


 ヒムラーは勝手に背水の陣を敷き、それでも厳めしく意味ありげに続ける。


「旧弊にしがみ付くことしか能のない貴族趣味者か、それとも東洋の忌むべき黄色人種かが、邪悪極まりない陰謀を働いているかもしれぬのだ。即応体制を保つのは当然として、そちらに妙な動きがないか探る必要もあるのではないかね?」





地球周回軌道:北米大陸上空



 偉大なる祖国は眼下に広がり、実のところ大変な騒ぎになっていたが、アスティア大佐は孤立無援なままだった。

 原因不明の事故に見舞われて以来、マーキュリー宇宙船の通信能力は回復せず……マグドネル社の技術者に無理を言って備えてもらった操縦系も、どうしてかまったく手動操縦に切り替わらなかった。長期間の滞在を前提としていたが故、今のところは酸素や水、食糧などに不足はない。それでも限界は刻一刻と迫ってきていて、彼の普段の冷静さは見る影もなくなってしまっていた。


「糞ッ、拳銃を持ってくるべきだったかな」


 打ちひしがれたような自嘲が、何時の間にか口許より漏れる。

 予備の宇宙船などないのだから、救援を望むべくもない。もしかしたらドイツ人の先達が1人くらいいるのかもしれないが、恐らく自分は地球人類で初めて軌道上で生命を終えた者となるのだろう。


 無論のことロケットへ勇躍乗り込む前に、諸々の覚悟は決めていた。

 それでも宇宙空間での死というのが、これほどまでに残酷なものだとは、露ほども想像できていなかった。棺桶と同じくらい窮屈な空間に閉じ込められ、まともに身動きも取れぬまま、ただ緩慢な終末が訪れるのを待たねばならぬ。かつて戦闘機乗りとして若き血潮を滾らせていた頃に身近だったのは、華々しい大空中戦の末に訪れる壮絶なる散華で、どうして自分はマリアナ沖の死闘を生き延びてしまったのかと、肺を締め付けるような悔恨が満ちる。

 そして窓より望める地球は、言葉にできぬほど青く美しく……もはやそこには帰還し得ぬ。難破船の船乗りのように、最期の瞬間まで日誌を書くのも魅力的だが、宇宙船は長くとも2か月で大気圏に突入してしまうから、誰かに読まれることはない。


「ならば、せめて……」


 誰かの声が聞きたいものだ。アスティアは切に願った。

 もっとも祈りが届く可能性は、天文学的なくらい低そうだった。これまで地上局との交信回復に何十回と挑み、それから各地のラジオを受信できぬか試みてみたものの、いずれも成功してはいないのだ。


 ただ気まぐれなる神は案外、木星付近にいたりするのかもしれない。

 あるいは柄になく船体を殴打したのが、偶然アンテナ回路に良好なる影響を与えたのだろうか。ともかくもマーキュリー宇宙船が地球を更にもう1周したところで、雑音ばかりが流れてきていた受信器に、耳に慣れた声色が混じり始めた。


「アス……ンジャー1、聞こえ……こちら……」


「ま、まさか」


 アスティアは真っ先に己が正気を疑ったが、決して幻聴の類ではなかった。

 自ずと涙腺が緩み、目許が大いに潤む。響いてきたのは疑いようもなく、海軍航空隊時代からの縁なグラント中佐の声。それだけでも十分以上に奇跡的ではあったが、天佑神助はそれだけに留まらなかった。

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