激烈! 宇宙大競争⑤

地球周回軌道:北米大陸上空



「アストロレンジャー1、聞こえておりますか? 聞こえておりましたら、まずはどうか落ち着いてください」


「ハマー、ありがとう。もう大丈夫だ」


 返事が届く訳ではないが、アスティア大佐は万感の籠った声で謝した。

 再び深く大きく呼吸し、呼びかけに耳を澄ませる。南太平洋の戦場でゼロの追撃を受け、パニックを起こしたかつてのグラント中尉に、落ち着けと叱責したことが思い出された。まさか20年もの歳月を経た後に、当の人物から同じことを言われるとは。それが何とも面白く、帰還の目途はまるで立っていないとはいえ、十分に従容と息絶えられそうな気がしてきた。


 ただ出来ることならば、ここで終わりたくはなかった。

 信頼できる仲間達とともに訓練に励み、また大いに笑ったりしながら、一緒に人類史上初の月面着陸を成し遂げたい――そう思えてならなくなったのだ。実際それは絵空事ではなく、ゴールドウォーター大統領の政権公約に盛り込まれていもする。また自分が軌道上に滞在しているのも、無重力閉鎖空間での生活が人体にどう影響するかを調査するためでもあった。であれば己が願望や生存欲求だけでなく、合衆国に住まう全員の未来のためにも、再び地上へと降り立たねばならぬのだ。

 そしてそのための手段は本当に存在しないのだろうか。アスティアはともかくも精神を鎮め、さっぱり手動へ移行してくれない操縦系統と対峙する。


「さっき奇跡が起きたのだ、もうひとつくらいおまけしてくれないか?」


 都合のいいことを口にしながら、頭に叩き込んだ切り替え手順を繰り返す。

 結果はやはり変わらない。軌道運動によって地上からの信号が届かなくなったが故か、暫くすると地上局からの呼びかけも途絶え、堪えようのない絶望感に打ちのめされそうにもなった。


 それでもここで死ぬ運命ではないと、神は言っているに違いない。

 加えてチームメイトからの呼びかけが、またも耳朶を叩いた。相変わらず雑音が酷いが、今度は紅一点のジョーこと空軍出身のグッドウィン大尉の声だ。テストパイロット資格とそれに見合う技量、最先端の電子機器に関する確かな知見を有する彼女は、マーキュリー宇宙船の開発にも深く関わっており……そこですべてが一線上に繋がった。


(こいつなら、どうだ?)


 アスティアは確信的な面持ちで、マニュアルに記されていない手順を実行する。

 原因は今のところ不明だが、手動操縦中にその通り動かすと、モードが強制変更されて非常に危険である。打ち上げの2週間ほど前に、グッドウィンはそんな報告を行っていて、時間がないので改修はなされていないはずだった。ならばかの不具合を利用すれば、今度は操縦系統を取り戻せるという寸法で、数秒して希望の光は灯った。


「おおッ……!」


 感無量。手動操縦モードを意味する光が、溢れ出た液滴に滲む。

 だがアスティアはすぐさま涙を拭い、これ以上ないくらいの恩寵を垂れ給うた神への感謝を述べた後、普段通り冷静沈着に操縦桿を手にした。計器類は正常、燃料残量は十分。何度かの噴射を慎重に実施して問題のないことを確認し、改めて幸運のほどを噛み締めた彼は、ただちに帰還計画を策定した。65分後に減速を開始し、ハワイ諸島沖の着水予定点へと向かうのだ。


「よし、クールに戻るとしよう。だからお前も、クールに頼むぞ」


 アスティアは両手に力を籠め、運命をともにしてきた機械に懇願した。

 本来であればマーキュリー宇宙船は、確実に大気圏再突入に耐えられるはずではあるが、既に船体はまったく正常な状態にはない。つまりは成層圏に達した辺りで流れ星になったり、自分がオーブンの中の七面鳥のように丸焼きになったりする可能性も十分ある訳で、それを回避し得るか否かは、現時点で分かったりはしないのだ。





コロラドスプリングス:北米防空司令部



「ああッ、マーキュリー宇宙船が減速を開始した模様!」


 当直士官の1人が変化に気付き、躊躇いなく大声を上げた。

 シャイアン山を丸ごと刳り貫いた大要塞の、広大で無味乾燥な司令室。その隅々にまで、あっという間に歓喜が拡散していく。既に軌道に乗ってしまったらしい鉤十字の原爆衛星を追跡し、また何時襲ってくるやもしれぬ大陸間弾道弾に備えていた者達にとって、それは何よりの清涼剤となったようだった。


「通信は回復したか?」


「依然として不通。しかしアスティア大佐の操作によるものと見て間違いありません」


「つまり大佐は無事なんだな、分かった」


 指揮官たるマコンネル空軍大将も喜色満面で、ともかくもほっと一息ついた。

 組織内で劣勢な戦闘機パイロット閥に属し、割合古典的な価値観の持ち主なる彼は、これで何とかなりそうだと思った。戦略爆撃機と原水爆があれば何でもできると信じている、ルメイ統合参謀本部長に代表されるゴロツキども。とにかく考えなしな彼等が大統領に無茶苦茶を吹き込んだが故、米独全面衝突の一歩手前という状況がある訳で、すべての発端となったマーキュリー宇宙船が無事と判明したならば、事態も打開されるに違いない。


「だいたい対独戦をやるなら、超音速低空侵入が可能な戦闘爆撃機による奇襲的な精密原子爆撃に重点を置くべきであって……」


 マコンネルは例の如く独りごち、開陳した自説を打ち消すように咳払い。


「それで、マーキュリー宇宙船は何処に降りる?」


「現在計算中ですが恐らくハワイ諸島沖……あッ」


 航空宇宙局に出向中の少佐が息を呑む。

 逆噴射系に問題が生じていたのか、まったく不十分なところで減速が止まってしまったのだ。このままでは大気圏再突入時に燃え尽きてしまう。司令室の大画面に記された数値は残酷で、マコンネルを含めた誰もが神に懇願する。


 そうした祈りが天へと届いたのか、何分かした後に逆噴射が再開された。

 ただ今度は、大暴投とでもいうべき状況になっていた。着水予定点から6000キロほども離れた辺りに、マーキュリー宇宙船は降着する見込みなのである。





フィリピン海:南大東島南方沖



「駆逐艦『天津風』より緊急電ッ!」


「な、何だあッ!?」


 厳に警戒中であった航空母艦『天鷹』は、たちまちのうちに騒然となった。

 二時方向の成層圏上層より正体不明の飛翔体が、とんでもない速度で接近してきているというのだ。しかも空力減速を開始したそれは、艦隊をすっぽりと覆う半径15海里の円の何処かに落下する。艦対空誘導弾を主武装とする『天津風』の電子計算機が、大出力対空電探で得た諸元を基に、瞬時にそのような予測を弾き出したのだ。


「糞ッ、メリケンゴロツキどもの弾道弾かッ!」


 司令官にして闘志の塊のような打井少将も、流石にこの展開には度肝を抜かれた。

 急速に接近しつつあるそれが通常弾頭である可能性は、まったくないと彼は断じた。何故ならば半数必中界がキロメートル単位の弾道弾で、水上を激しく動き回る艦隊への攻撃を成功させるには、大威力兵器を搭載するしかないからだ。ついでに欧州方面では既に8発の原子爆弾が炸裂しており、何時太平洋に飛び火するか分からない状況でもあった。


「全艦、面舵一杯。耐核防御態勢」


 打井は間を置かず発令し、続けて対空戦闘を指示する。

 直掩機を飛ばす余裕もないこの局面では、防空艦なる『天津風』のみが頼り。もっとも最新鋭の十七式艦対空誘導弾にしても、射程はせいぜいが10海里程度で、目標の速度を考えれば射撃機会は良くて一度きり。また直進飛行するジェット攻撃機を何とか撃墜できるくらいの性能のそれで、秒速数キロの弾道弾を千切っては投げられるとは、正直これっぽっちも思えなかった。


 となれば狙いが大幅に反れるのを期待し、神仏祈願する他ないのかもしれぬ。

 そうした中、『天鷹』艦長にして長い付き合いの諏訪大佐が、不可解かつ真剣な表情をしているのが気になった。普段は存在感が薄く茫洋とした感を漂わせる男だが、停戦間際の伝説的海戦において示されたように、土壇場で知恵を発揮してくれたりもする。であれば今回は何か。暫しの後、彼は唐突に手を叩いた。


「少将、あれは弾道弾ではないかもしれません」


「何ッ?」


 まるで予想外の早口に、打井も目を丸くする。


「スッパ、どういうことだ?」


「索敵機が飛来していない以上、米軍が我々の位置を掴んでいるはずはありません。とすれば当てずっぽうで1発だけ撃ったということになり、軍事的にはまず考えられない展開かと。それに本当に我々の息の根を止める心算なら、弾頭が原水爆であったとしても、何発かまとめて撃ってくるはずです。弾道弾は基本、軌道修正が難しい兵器ですから」


「ふむ……とするとメリケンゴロツキどもは何を飛ばしてきたんだ?」


「Spaceship」


 からかい上手オウムのアッズ太郎は、こんな時にも茶々を入れてくる。

 だが考えてもみれば、1週間ちょっと前に米国が有人宇宙船を打ち上げており、ドイツ軍の軌道爆雷によって破壊されたという話になっていた。実のところそれが生存していて、どうにかこうにか大気圏再突入を敢行した末、偶然『天鷹』の上空に現れたのではないか。軍事的に説明困難な弾道弾攻撃より、その方がまだ辻褄が合いそうだった。


 そして仮説を証明するかのように、目標が予想以上に減速しているとの報が届いた。

 先刻まで真昼の流星のようだったそれを、程なくして見張り員が双眼鏡で捉え……落下傘が開かれているのが確認された。円錐と円柱を組み合わせたような形状をした、明らかに兵器ではなさそうな人工物が、対流圏上層からゆっくりと降りてくる。


「たまげたな」


 仰天と安堵の混ざった声が思わず漏れ、


「まさか本当に宇宙船だったとは。アッズ太郎よ、お前は超能力者か? 鳥類だけに」


「少将、それよりも」


「いかん。おい、撃ち方止めだ」


 打井はすぐさま命じ、麾下の艦に矛を収めさせる。

 どうした成り行きかはさっぱり分からぬが、地球周回軌道から客人がやってきたのだから、誤って撃墜などしてしまっては大問題。『天津風』艦長なる井之頭中佐も、その辺りは十分心得ていたようだった。


 そうして極度の緊張が絶大なる歓喜に変わって数分の後、星条旗を描いた宇宙船は無事着水した、

 無論、『天鷹』は現場へ急ぎ向かった。とにかく搭乗しているであろう英雄的米国人を収容し、宇宙空間での大冒険譚を聞いてみたくて仕方がない。

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