激烈! 宇宙大競争⑥

フィリピン海:南大東島南方沖



「何だこりゃあ、出鱈目に臭いッ!」


「うへェ、こいつはまるでヤケクソだ」


 航空母艦『天鷹』の収容された宇宙船。そのハッチがこじ開けられるなり、一同が思わず顔を顰める。

 鼻をひん曲げんばかりに臭い熱気が、奔流の如き勢いで放出されたためだ。宇宙空間での便の処理というのはなかなか難儀であった上、大気圏再突入に際して排便容器の中身が漏洩するという事故が起きた。しかも逆噴射の再始動がぎりぎりのタイミングであった関係で、狭い船内は異臭蒸気浴場も同然になってしまい、まさしくヤケクソだったのだ。


 ただ勇猛果敢なる米国人宇宙飛行士は、誰の助けを借りずに外へと這い出てきた。

 相当に憔悴し、見事なまでにふらついてはいた。また明らかに合衆国海軍のものでない軍艦に回収され、見慣れぬ顔立ちの乗組員に囲まれていることに、若干の戸惑いを覚えているようでもあった。それでも彼は気障な笑みを浮かべ、渾身の力を振り絞って姿勢を正し、ピシリと敬礼をしてきた。こりゃあ間違いなく自分の同類だ、打井少将はすぐに目星をつける。


「合衆国海軍航空宇宙分遣隊のフレッド・アスティア大佐です」


「帝国海軍第七戦隊司令官の……おい、大丈夫か?」


 名乗り終えるより早く、相手はバタンと倒れ込んでしまった。

 命にはまるで別状はないようだが、とにかく過酷な帰路だったのだろう。ラジオが報じていたところによると、マーキュリー宇宙船はドイツ軍の軌道兵器にやられ、何日も操縦不能に陥っていたとのこと。となれば想像に絶する孤独と絶望があったはずで、また着水後にそのまま遭難という可能性も十分あり得たのだから、たまげるしかない英雄である。


「まあいい、急ぎアスティア大佐を風呂に入れてさしあげろ」


 打井は大音声で命じ、


「宇宙に風呂はなかったろうし、偉大なる客人が糞まみれでは帝国海軍の名折れだからな」


「合点承知の助」


 まったく威勢のよい応答の後、救護の者どもがすぐさま対応を開始する。

 いずれにせよアスティア大佐には、まずはゆっくり休養してもらうしかない。軌道上でどのような事件が起こり如何にして生き延びたかなど、色々と詳細を伺ってみたくはあるが、すべては体力を取り戻してもらってからである。


 加えて自分達もこれから、相当に忙しくなることだろう。

 何しろ米国の技術の粋を結集した宇宙船とその操縦士を、偶然にも航空母艦『天鷹』が回収してしまったのだ。大至急那覇に帰投しろとの命令が既に届いていたりもするし、世界中の注目が集まるに違いない。米軍関係者やら国際ブンヤやらがわんさと押し寄せるだろうから、それらに帝国海軍の威厳を見せつけてやる必要もありそうだった。

 そして現状の訳の分からない対立が、これを機に収束に向かってほしいとも思った。敵愾心にかけては打井の右に出る者などそうはいないが、彼にしても意味の分からぬ絶滅的戦争を望んでいる訳ではない。


「その意味では……まったくゲルマンゴロツキども、本当に最悪なことをしてくれたもんだ」


「微妙にそこが気になるんですよね」


 悪辣なるドイツ人に対する憤りに、傍らの諏訪大佐が微妙な反応をする。

 軌道爆雷によって攻撃されていたのだとしたら、そもそも大気圏再突入自体が不可能だったのではないか。時折妙な詳しさを発揮する彼は、異臭を発しはするがおおよそ綺麗な形を保ったマーキュリー宇宙船を眺めながら所見を述べ、言われてみれば確かにそんな気もしてきた。


 とすればいったい何故、アスティア大佐はこんな目に遭ったのだろうか。

 打井は首を傾げて考え込み、さっぱり思いつかぬと放り投げた。本当の原因は豊予要塞の宇宙投射砲で、高度150キロで炸裂した砲弾の破片が奇跡的な確率でデブリとなってしまったのだが……それが判明するのは世紀が変わって10年ほどが経った後。まさかそんな顛末だったとは、現時点では夢にも思わぬに違いない。





アパラチア山脈:秘密政府施設



 大宮殿を思わせる白亜のホテル。その地下に広がる大空間には、有事のホワイトハウスが置かれることとなっていた。

 極秘裏に工事が始まったのは、記録によれば1948年春のことだという。神経化学爆撃を受けて以来、ワシントンD.C.は国家中枢として脆弱と見做されるようになり、いざという時には政府や議会、最高裁判所などを分散疎開させるべしとの提言がなされた結果だった。またその直後、ドイツが核実験を成功させたこともあって計画は加速し、10年ほど前に第二次独ソ戦が始まりかけた時には、実際に首都機能を移す準備がなされていたとの噂すらあった。


 そうした事情もあって、ゴールドウォーター大統領はこちらに居を移していた。

 更に言うならば、傍目には誰だか分からなくなるほど彼は憔悴していた。鉤十字の弾道ミサイル潜水艦を捕捉するため、対潜機動部隊が今も北大西洋を駆け回り、原子爆雷を投げ込んだり原子魚雷を食らったりしている。ノルウェー海上空でも通常ならざる爆発が幾度となく発生していた。となれば何時、引き返し不能点を超えてしまうか分かったものでなく、しかも合衆国の最高責任者であるが故の苦悩など知ったことではないとばかりの高圧的口調で、将軍達はただちに大陸欧州諸国への先制攻撃を実施すべきと主張して憚らないのである。


「もはや1時間の猶予もないかもしれませんぞ!」


 両眼を血走らせながら、統合参謀本部長のルメイ大将が力説する。

 1時間前にも同じ台詞を吐いていなかっただろうか。ただ予断を許さぬ状況なのは間違いない事実で、それ故か彼の表情には気味の悪い歓喜が鏤められている。街角で「裁きの時は近い」などとやっている狂信者が、本当に終末の日を迎えてしまったかのような雰囲気を醸しているのだ。


「大統領、今すぐドイツへの全面的な原水爆攻撃を実施いたしましょう。そうすれば被害は1000万人で済みます」


「1000万人だとッ!?」


 ゴールドウォーターは思わず絶句し、


「ルメイ大将、君はそれがどういうものか分かっているのか!?」


「もちろんですとも!」


 ルメイは一切の躊躇なく、拳を握って力説する。

 それから彼の子飼いで情報局長のカークランド中将が、何処か他人事のような態度で補足説明を始めた。ドイツ全土の戦略目標に対する先制水爆攻撃を今すぐ実施すれば、おおよそそれらの8割5分を撃滅可能。撃ち漏らしや軌道上の原爆衛星、潜水艦から発射される弾道弾などはあるとしても、合衆国本土に降り注ぐのは20から30発程度に局限できるとのことだった。


「また我等が空軍は盤石の防空態勢を取っており、各都市の疎開状況などを鑑みますと、被害は更に小さくなるとも考えられます。実際我等が空軍は大戦中、ドイツの都市という都市に数千トンの焼夷弾を見舞って焼け野原にしまくりましたが、それでも奴等はしぶとく戦争を続けやがった。ならば偉大なる我が国にもそれと同じか、それ以上のことができるはずで、つまりは国家の再建は十分に可能ということです」


「畜生、簡単に言ってくれるな!?」


「大統領、ここで躊躇すれば犠牲は1億人、残る9000万人もナチ動物の餌食となるのですぞ! であれば今すぐ攻撃に移り、ナチどもを石器時代に戻してでも合衆国を防衛すべきではありませんか!」


「ううむッ……!」


 ゴールドウォーターは呻き声を上げ、歯をぎりぎりと軋ませる。

 元はユダヤ教徒であった一族の生まれであった彼は、民族断絶政策だの何だのを公然とやってのけるナチに対する怒りを人一倍有していた。また理屈では将軍達に分があるように思えてならず、決断の遅れから1億人が犠牲になる展開だけは絶対に避けねばならぬと理解してもいた。最悪共倒れとなるとしても、一方的にやられるよりは遥かにましな結果に違いない。


 だがいざ命令を発しようにも、言葉が喉を通ろうとしないのである。

 本当に撃つか撃たれるかの二択であるのか、まだ引き返す方法はあるのではないか。かような気の迷いが真に命取りとなり得ることは重々承知とはいえ、一歩踏み出せばニューヨークやシカゴがメガトン級水素爆弾の直撃で蒸発するのかと思うと、全身がガクガクと震えるのを抑えられなかった。ルメイなどは相変わらずの調子で「早く救世主になっていただきたい」と懇願してくるが、合衆国が無傷で済む作戦などあり得ない。

 そして精神を押し潰さんばかりの重圧の中、そもそもどうしてこんな事態になったのかとゴールドウォーターは思った。半ば忘れかけていたが、発端はマーキュリー宇宙船が攻撃されたが故で……その記憶が呼び出された直後、唐突に電話が鳴り響く。


「大統領閣下、朗報です!」


 誰かと思えば、国務長官のアンダーソンだった。


「先程、日本大使館経由で連絡がありました。フィリピン海北部で演習中だった日本海軍の航空母艦が、偶然にもアスティア大佐を保護したとのことで……つまり大佐は無事です、大気圏再突入に成功した模様ッ!」


「おおッ、本当かね!?」


 久方ぶりの、本当に蟠るところのない朗報に、ゴールドウォーターは破顔した。

 これを機に事態を好転させられるのではないか。別段根拠がある訳ではないが直感されたのだ。続けて尚も対独先制攻撃をと詰め寄ってくるルメイを殴り飛ばし、まったく希望的なる観測に縋りつく。





タウヌス山地:総統大本営



「ううむ、やはり邪悪な東洋の黒魔術的陰謀だったに違いない……」


 水素爆弾の直撃にも耐え得る大深度地下施設。その最深部に位置する薄暗い一室にて、ヒムラー総統は一人合点した。

 それから神器ともガラクタともつかぬ変テコな品々に囲まれたそこで、比較的短い瞑想を実施。アーリア神秘主義にインドやチベットの秘儀などをごちゃ混ぜにした、控えめに言ってもいかがわしい密儀である。


 とはいえヒムラーはその果てに、22万8000年前におわしたゲルマン神と一体化した心算になった。

 かくして精神を励起させ、神託を賜るべく意識を集中させる。低出力の原子爆弾が合計30発ほど炸裂し、暗雲ならぬ原子雲が大西洋を覆う中、日米首脳が電話会談を行ったとの情報が入ってきた。表向きは宇宙飛行士の奇跡的な帰還に関する件とのこと。だがそれは欺瞞だと彼の霊魂は囁いており、判断の妥当性を大いなる存在に問わんとしたのだ。


「偉大なる始祖の王よ、私めをお導きください」


「我が後裔なるハインリヒよ、心して聞くがよい」


 厳かなる声は、当然ながら本人の口許より漏れたものだった。

 客観的には滑稽な独り芝居の自演劇にしか見えず、実際それ以外の何物でもない。それでも世界屈指の軍事大国に君臨してしまった小物界の大物は、まったく身勝手かつ真剣に、大いなる存在の言葉を紡ぎ出す。


「アジアの呪詛に塗れた船が……混沌をもってそなたらを貶めんと、偽りの太陽の中で蠢いている。まずはかの船を海の藻屑に変え、しかる後に来る厳冬の時代を乗り越える備えをするのだ。持ち得る限りの知恵を注ぎ、民族の新たなる種を作り上げるのだ。さすればそなたらの千年王国は、常しえの理想郷となるであろう」


「ありがたきお言葉……」


 ヒムラーは己に憑依せし神に謝し、右手でもって鉤十字を切った。

 かくして彼なりの正気に戻った後、神託を解釈し始める。アジアの呪詛に塗れた船というのは、日本軍の暗躍を意味しているはずだった。米宇宙飛行士を救ったのは、名状し難き邪神が宿っているとされる航空母艦だというからこれは確実で、対日戦略の抜本的な見直しが必要に違いない。


(それから……)


 民族の新たなる種。預けられし概念を、ヒムラーは心中で反芻する。

 真っ先に浮かんできたのは、アーネンエルベ生命科学研究所の提唱する"運命"計画。アーリア人種の超人化と人的資源の完全最適配分、そして原水爆戦争に抗堪し得る社会を実現するため、最先端科学の力で民族そのものを人工進化させるという代物で……流石のナチ党においてもおおよそ異端として扱われていた。


 だが偉大なる始祖によって示された通り、それこそが未来へと至る道なのだ。

 ならば"運命"計画を推進するに当たって、憚りや躊躇いがあってはならぬ。ヒムラーは意志を固め、複雑怪奇な党内勢力図を脳裏に描き出す。そこに如何なる操作を行えば、期待する結果が得られるだろうか。かの如き考察をする彼の表情には、小心者に特有の活力が満ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る