驚天動地! 寿府国際武闘大会・下

ジュネーブ:万国宮殿



 混沌の巷というべきところにも、自然発生的に秩序が成り立ったりしたりもする。

 ある種、台風の目とでもいうべき箇所にて対峙するは、もちろんハイドリヒ総統と高谷代議士である。それぞれが輻射する気迫がバチバチと火花を散らし、今後未曽有の政治的武闘空間の只中に、不可侵の結界を形成しているかの如し。未だ倒れぬ益荒男は数おれど、両者の間に割り込まんとする輩は、やはり1人としていないようだった。


「タカヤとやら」


 眼前の荒武者を真剣に見据え、怜悧な口調で呼びかける。


「貴様は公共の電波にて、己が拳で勝負しろと猛っておったよな?」


「然り」


 付け焼刃なドイツ語だが明瞭なる応答。ハイドリヒはその瞬間、パッと模擬刀を手放した。


「おおッ!?」


「そ、総統閣下!?」


 びっくり仰天とばかりの声が、アナウンサーのそれを含め、周囲から幾つも飛んでくる。

 傍目にはまったく理解不能の行動と映るやもしれぬ。しかしこれは紛れもなく打算的行動で、つまるところ不利を打ち消さんという意図に基づくものだった。大ドイツ国総統としての執務の傍ら、身体的鍛錬を決して欠かすことのなかったハイドリヒは、それ故に相手の力量を推し量ることができており――すなわち剣術の腕前で言うならば、自分は想定以上に劣位かもしれぬと、初めて相見えた敵の一挙手一投足から悟ったのだ。


 であれば20㎝超の身長差が活きる、肉体での直接対決に持ち込むべし。

 もちろん相手あってのことであるから、最悪の場合はとことん不利となる。しかしこれは衆人環視の中で行われる個人同士の勝負であって、質と量の優越をもって一方的に叩きのめすのが理想の戦争ではない。ならば民族や国家の誇りにかけても、卑怯と取られる行いはできぬはずで……特に武士道とやらを重んじる連中の末裔ならば尚更だろう。

 そしてかの如き即断の正しさは、寸秒の後に見事証明された。齢八十の剣豪が握りたる得物もまた、カラッと乾いた音を立て、床面に転がったのである。


「ほう、やるではないか」


 ハイドリヒは獰猛に笑み、


「それでは、望み通り拳闘勝負といこう。アーリア人種の誇りにかけて、貴様を打ち砕いてくれよう」


「ほざけ。拳でもって成敗されるは貴様の方ぞ」


 互いに宣戦布告。それから数秒間、世界はシンと静まり返る。

 号砲となったのは、偶然にも紛れ込んだらしき、ガタンと何かが崩れる音。ハイドリヒはそれを合図に地面を蹴り、全身から動物的闘争の愉悦を発散させながら、一気呵成に距離を詰める。





「ううむ、相手にとって不足なしッ!」


 己が老体に鞭打つ高谷は、些か苦しげに呻いた。

 それから猛烈に繰り出される打撃を、機敏な運動と防御術でもって凌ぎつつ、どうにか反攻の機を伺っていく。無論のこと、その瞬間はなかなか見出せそうにない。何せ現総統とやらは6尺4寸ものゲルマン大入道。格闘において体格差とは決定的で、模擬刀をパッと手放される前に、さっさと斬りかかっていくべきだったかもしれぬ。


 だが後悔など先に立たぬし、抱いたところで戦局打開に資したりはしないのだ。

 加えてある程度は、事前に対策をしてもあった。停戦間際のハルゼー大将との一騎討ちや原子力航空戦艦『ミズーリ』艦上での国際交流試合、それから宇宙船回収記念の日米ボクシング大会での準決勝敗退の屈辱。そうした諸々の経験から、高谷は己が拳闘術を更新する必要性を痛感しており……今は屈強なドイツ人と相搏ちとなって伸びている五里守少将の伝手で、相対的小兵としての戦い方を会得してきたのである。


(ならばこそッ)


 今はひたすら堪え、後の先を狙うべし。

 高谷は確固たる闘志を滾らせ、空を切る一撃を叩き落とす。拳のぶつかる衝撃が骨を伝うが、歯を食いしばって耐えるのみ。ここで禁物なのは何より焦りで、極小時間の波紋式呼吸で心身を整える。


「ふむ、流石に一筋縄ではいかぬか」


「来いよハイドリヒ」


 わざと若干息を乱し、高谷はすかさず煽り立てる。


「御託なんて捨ててかかってこい」


「何と見え透いた挑発」


 嘲笑。しかし同時に、凄まじき殺意が迸った。

 ハイドリヒの肉弾が迫り、強烈無比なる正拳が放たれる。しかしそこに恐怖などあろうはずもない。真剣を用いたまことに致命的なる打突と比べれば、所詮は拳と割り切れるそれの軌跡を、僅かコンマ数秒のうちに読み取り……四半世紀前に亡くなった剣術師範の言葉を踏んで、点を線、線を面へと高めていく。


「そこッ!」


 高谷は遂に間隙を見出し、渾身の力を込めたる右腕を捻じ込む。

 金髪碧眼の偉丈夫にして大陸欧州を統べる指導者の、これ以上ないくらいの狼狽。それがありありと目に浮かび、ようやく潮目が変わったとの感触を得る。


 だが尋常ならざる違和感が怒涛となって襲ってきたのは、まさしくその瞬間だった。

 思い返すに、元々読めぬところがありはした。すなわち拳を交えたるハイドリヒの人柄が、ハルゼーなどと対峙した時とは違って、まるで垣間見えてこなかったのだ。あるいは自分のような古式ゆかしきバンカラとは、決定的に異質な生涯を送ってきたが故かもしれないが……渦巻く闇の如きものが眼前にあり、直後にそれが悍ましく具現化したのだ。


「あがッ!」


「ぐうッ!」


 大気張り詰めたる武闘会場に、悲鳴が連続して木霊する。

 すなわちハイドリヒが咄嗟の回避のため繰り出した手が、ちょうど高谷の目許にぶつかる形となったのだ。しかもそれを受けた高谷の反射的動作が、これまた偶然にハイドリヒの急所を打擲する形となってしまっていたのである。


 当然ながら、高谷は卑劣なる攻撃を受けたと認識した。

 そうして憤怒の籠った眼光で相手を見据えた彼は、卑劣漢がいったい何を逆上しているのかと、余計に激昂する。もちろん相手側の理解や態度もほぼ同様で……刹那の後、異口同音に雄叫びが飛んだ。


「野郎、ぶっ殺してやる!」





「ら、乱闘です。もはやこれは乱闘としか言いようがありません!」


 アナウンサーの狼狽し切った声に、事態を目撃した大勢が黙して肯く。

 大ドイツ国総統も出場する前代未聞の国際政治的武闘大会。その大目玉となった対決は、いきなりルール無用の残虐ファイトへと変貌した。もはや掴み合い殴り合いの大喧嘩といったところで、競技用のハンマーの如く政治的地位を放り投げたそれは、バトルロイヤル中であるはずの選手達すら硬直させる。


 良かった点があるとすれば、こんな調子で原水爆戦争に発展しなかったことだろうか。

 それからもう間もなく、試合終了のゴングが鳴るはずである。まあ時限を過ぎても延々と乱闘を続けていそうな気配も濃厚ではあるが……少なくとも今は、事態の経過を見守る他なさそうな雰囲気だ。


「ん、何だァ?」


 これまた唖然とするしかなかった打井海軍中将は、唐突に何かに気付く。

 未だ人並み外れた搭乗員上がりの動体視力は、渦中からポーンと弾け飛んだ物体を捉えたのだ。宙を舞って煌めくそれは、酷く重大なものであるようで、その正体を察するや、彼は途端に青褪める。


「げッ、いけねえッ!」


 打井は対象目掛けて駆け出した。

 弾け飛んだのは間違いなく、勝敗を決定するバッジである。どちらのものであったとしても、確保せねばならぬのは明白で……大変拙いことに、落下予測地点には先客の姿があった。


「あッ」


「そこまでッ! 試合終了、試合終了だァッ!」


 連続的なる鐘の音。白熱というか熱暴走した闘争は、曲がりなりにも決着した。

 やはりと言うべきか、高谷代議士とハイドリヒ総統の大抗争は容易に収まらぬ雰囲気だった。ただ前者のバッジは何時の間にか消失し、フクロウを名乗る仮面男爵の手に握られていたと判明するや、それどころでなくなったのだ。


 そして果たせるかな、この二度と開催されそうにない武闘大会は、英国勢の優勝に終わった。

 もちろんあまりにも漁夫の利的な勝利であったから、


「汚いな流石ブリテン汚い」


「最初からこれを狙っていたのでは」


 と評判は最悪で、ジュネーブを含めた世界のあちこちで場外乱闘が勃発したものだが……もしかすると起こっていたかもしれない原水爆戦争と比べれば、圧倒的なくらい文明的な結果に違いない。


 またそうした意味では、試合には負けた形となった高谷も、勝負には勝ったと言えるのかもしれぬ。

 奇跡的というか神の異常な気まぐれとしか評せないこの大会は、最後は政治家同士で殴り合いだという彼の主張に合致してはいたし、破滅的戦乱の気配が遠のいたという印象を、何となくではあれ世界に齎すことができたためだ。しかもそんな場に超大国の元首たるハイドリヒを呼び込み、とんでもない泥仕合によって、その評判を相当に失墜させることにも成功した。とすれば当人の感想はどうあれ、おおよそ万々歳といったところだろう。

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