東方領の悪疫瘴癘

オデッサ近郊:農村地帯



「迅速かつ徹底的に村落を消毒するのだ。急げ急げ、汚物は消毒だ!」


「疫病はここで食い止めねばならん、一切の躊躇なく焼き払えッ!」


 まったく末法的な掛け声の下、武装親衛隊の将兵が装甲車輛より降りていく。

 その中でもひときわ目立つのが、大掛かりな火炎放射器を携えた焼却班の連中だ。既に炭酸ガス処分済みのロボトミー農奴と入れ替わるようにやってきた彼等は、みすぼらしい限りのあばら屋を、もう片っ端から燃やしていった。もちろんその中には、女子供などが居住している訳ではあるが……部隊の標語にある通り、寛容さは弱さの証。劈くような悲鳴が響こうが、鋼鉄の意志でもって無視し、黙々と任務を遂行していった。


 かくも酸鼻を極める措置は、既に広範囲に疫病が蔓延しているが故のものだ。

 これが不衛生なところから自然発生したものなのか、あるいは日英の生物兵器なのかは未だ不明。ただ党の人種政策に基づき未開化された、教育程度と医療水準の著しく低いスラブ集落において、病原菌は当然のように猖獗を極めた。そのため通常の対策ではもはや手遅れで……総統官邸より東方生存圏を死守するよう厳命された大管区指導者が、かねてからの持論であった浄化漂白政策を、全身全霊で実施し始めてしまったという訳である。


「おい、そっちに1匹逃げたぞ。撃ち殺せ」


「了解」


 銃声と断末魔。一帯は少しばかり静かになった。

 情け容赦ない殺戮の現場に蔓延するは、バーベキュー会場と公衆便所をごちゃ混ぜにしたような異臭。ノルトラント師団に配属されてまだまだ間もないラーケ少尉は、防護服越しにも嗅覚を刺激してくるそれを知覚し、胃袋の中身を戻してしまいそうになった。


「少尉殿、慣れてくだせえよ」


 デーン人の軍曹が、乾いた口調で請うた。


「仕事だからやらんといけねえ。そうとだけ思って、余計なことを考えんことです」


「ああ」


 ラーケは肯き、ともかく己が感情を抑制する。

 そうして曲がりなりにも士官として、与えられた任務を遂行させていく。感染源とされた鈍間どもの悲鳴は、時間経過とともに小さくなっていき、焼けたる木材のバチバチと爆ぜる音ばかりが響いてきた。


「しっかし、どうするんすかね」


 軍曹が出し抜けに呟いた。


「消毒しなきゃならねえのは事実としても、この調子じゃ農奴もいなくなっちまいそうですわ。とかく汚らしい連中すから、最終的にはその方がええんかもですが」


「まあ、機械化でもするんじゃないか」


 ラーケはぼんやりと応じ、傍らに小柄な骸が転がっているのに気付く。

 これこそ徹底的に機械化してほしいものだ、彼は眉を顰めながら思った。処分対象の収穫から処置済み死体の生産までが一貫した、人間が介在する余地を極力低減した機構。それに類する装備が歩兵部隊の末端にまであれば、将兵の精神的負担もかなり小さくできるに違いない。





ア・コルーニャ:港湾地区



 何万という船舶にまつわる人々。その羽振りは、並べて良好なようだった。

 埠頭に程近いバルに立ち寄ってみれば、港湾労働者らしき荒くれ達が、これまた景気よく酒を呷っている。アルコールで上機嫌になった彼等が交わしているのは、サッカー博打で幾ら儲けただの何処の店の女がいいだのといった、上品とは言い難い自慢話。ただ注意深く耳を傾けていると、夜間手当増額団交が通らなければストだ何だという、相応に興味深い内容が出てきたりもした。


 カウンター席に座した牧島大尉は、そうした諸々の情報を脳味噌に叩き込んでいく。

 それから果肉入りのワインをやり、澄んだ味わいに舌鼓を鳴らした。"七支"機関の一員として関与した対独報復工作の影響は、3000キロほども離れた都市にまで及んでいると見える。天壌無窮の皇国のため、身分を偽って海外を彷徨っている彼にとり、これ以上の朗報はなかなかないもので――残念なことといったら、故郷の酒で乾杯といかぬことくらいだろう。

 そして新たにアンチョビ鰯とアボカドのつまみを注文しようとしたところで、誰かが近付いてくる気配を感じた。ただの観光客であれば恐怖を覚えたかもしれないが、この場合は鴨が葱を背負ってきたようなものだった。


「なあお前さん、見かけねえ顏だよな?」


 騒いでいる一団の頭目と思しきが、怪訝な相で尋ねてくる。


「見たところ日本人か中国人か……分からねえが、こんなとこに何しに来た? 会社側のスパイとかじゃあるめえな?」


「一介のさらりまんだよ、警戒しないでほしいな」


 牧島はにこやかに笑い、「皆に1杯」とペセタ紙幣を店主に渡す。

 かように経費精算可能な気前の良さを見せつけた後、彼は表向きの身の上話をし始める。すなわち自分の勤めている商社が、この地域に投資をする計画を立てているから、その下調べをしているとの説明だ。そうなれば求人が増えるから、労働者は売り手市場になって賃金も上がり易いとも付け加える。


「といっても旦那、最近増えとるんは積み替えばっかですぜ」


 酔っ払った若いのが言い、


「パナマ産の小麦を、別の貨物船にわざわざ載せるんだ。賃金出るからいいけどよ」


「サンチョお前、相変わらず学がねえな」


 先程の頭目が呆れ果てる。


「パナマに小麦が輸出するほどあるかよ。ありゃアメ公のだ。アメ公がパナマ船籍の傭船で小麦を運んで、うちの国の業者が、恐らくドイツかどっかに運んでるんだ」


「へえ、何でまた?」


「知らんのか? ウクライナでやっべえ病気が流行って、小麦が生産できねえのよ。でもって米独は未だに和平を結んでねえから、輸入はこうやって誤魔化すしかねえって寸法で……まあ俺等にとってはありがたい話だけどな。国産の小麦と競合する訳ではねえから、百姓さん等が困るとかもねえし」


「なるほど、流石にお詳しい」


 牧島は愛想笑いを浮かべ、時折相槌など打ちながら、詳細を巧みに聞き出していく。

 無論こうした情報の断片で、全体的状況を判断することはできぬし、それを担当するのは別の人間だ。ただ改造病原菌を用いた穀倉地帯破壊作戦は、予想以上の効果を上げているのではなかろうか。まあ現地住民には気の毒なことをしたのかもしれないが、彼はその辺りの想像力を意図して麻痺させて、なかなか美味なワインを口にする。





ミュンヘン:栄養研究所



 欧州で圧倒的不人気を誇った代用豚肉。その発明者たるシュプリンガー博士は今、ある種の脚光を浴びていた。

 もちろん東方領での大病禍が故である。訳の分からぬ病原菌が蔓延したお陰で、農業生産は壊滅的な打撃を受け……飼料の不足から畜産業も致命傷を負った。それでもタンパク質を摂取せねばならぬから、大豆を主原料とする食肉もどきに注目が集まりつつある訳だった。


 ただそれと同時に、更に先鋭的な発想に悩まされることにもなった。

 すなわちナチ党の中枢に未だに根を張っている菜食主義系の連中が、ここぞとばかりに盛り返してきているのだ。しかも"運命"計画を推進している人種科学勢力が、この動きに合流する動きを見せており、まるで手が付けられぬ雰囲気。すなわち遺伝子改造技術でもって、動物性タンパク質など摂取せずに済む新ゲルマン民族を誕生させる研究をしろと言い出していて、しかも早急な成果まで求めているようだから驚きだ。


「確かに我が民族にとって、肉食は重要な文化であったのは事実」


 ベルリンからやってきた委員が、長々し演説を続ける。

 何処か自分の言葉に酔い痴れているかのようで、学術的な困難さをどれほど理解しているのか、まったく怪しい限りだった。


「しかし古の地球を支配したる恐竜どもが、今ではただの1匹もいないことから分かる通り……我々もまた、常に進化と生存競争を続けねばならぬ運命にある。貴殿がなすべきは、それを人工加速させることへの貢献に他ならない。特に昨今の世界情勢を鑑みるに、民族人種の改良は急務であると言える」


「その、自分の専門は栄養学ですが」


「であるが故だ」


 委員は即座に断じ、またも長広舌を振るい始める。

 そうして更に十数分ほど、時折話題を循環させながら夢中で喋り続け……時計の針を見てはっとなった。そろそろ切り上げねばならぬ、ともかくもいい返事を期待している。彼はそう言い残し、嵐のように去っていった。


「いやはや、とんだ災難だね」


 それまでただ着席していた同僚のクライスラー博士が、ご愁傷様とばかりに口を開く。


「まさかまさかの人種改良関連事業だ。フリッツ、君の幸運を祈らざるを得ない」


「確かにあまりいい噂は聞かないが」


 シュプリンガーは生温くなってしまったコーヒーを飲み、


「そこまで拙い事業になっているのか?」


「フリッツ、君の世間知らずが仇にならぬことを、率直に祈らざるを得ないよ」


 まるで温室育ちの植物みたいだ。クライスラーの顔にはそう書いてあった。

 それからキョロキョロとあちこちを見回した後、ここ十数年の人種科学というものが如何なる経過を辿っているかを、訛りの酷いラテン語で解説し始める。すなわち劣悪遺伝子論争がそのまま党内抗争に結び付いたことから、極めて政治的な学問になってしまっていて……自身の党派性に合わぬ研究結果を破棄するなど序の口。ゲノム解析もさっぱり完了していないというのに、どいつもこいつも言いたい放題で、もはや学問としての体をなしているか怪しいとのこと。


 対するシュプリンガーは、流石に誇張が過ぎるのではと首を傾げる。

 ただ先程の委員の態度がどうだったかを反芻するに、もしかすると同僚の主張する通りなのかもしれぬと思えてくる。自分が招聘を受けた理由もまったく釈然とせぬままだったし、科学という美名を冠したイデオロギー闘争の場に引き摺り込まれるという懸念も、次第に現実味を帯びてきた気がした。そもそも特定の動物性タンパク質が不要な人間を作れという要求自体、常軌を逸しているとしか思えない。


「まあでも、考えようによってはいい面もありはするよ」


 気休めとばかりにクライスラーは続ける。


「人種科学云々の方は適当にやって、いい加減な報告書を書き、関連研究と称して自分の好きなことをやる。あまり大っぴらにやらなければ、それで資金は潤沢に貰えたりするようだ」


「う、うむ……」


 シュプリンガーはゴクリと唾を呑み、逃げるようにコーヒーを飲み干す。

 暫く前、ソ連邦のルイセンコなる生物学者が出鱈目という他ない農法を提唱し、集団農場の生産性を壊滅的に低下させたという噂があった。栄えある栄養研究所においてそれは、スラブ民族の後進性と蒙昧性を示す何よりの証拠と認識されたが……実のところ自分達も似たり寄ったりなのではないか。かような悍ましき懸念に、自ずと身体が震え始める。

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