竜挐虎擲! マリアナ決戦⑤

フィリピン海:サイパン島沖



「あッ……『瑞鳳』被弾ッ!」


「ううむ、米軍もやりおる」


 見張り員の悲痛なる絶叫。第三機動艦隊を統帥する山口中将は、身を抉られるが如き痛みを覚えた。

 米急降下爆撃機の襲撃を受けた歴戦の小型航空母艦は、50番相当と思しき爆弾数発を受けて大破炎上。更に漏洩した航空燃料に引火でもしたのか、平坦なる艦体はあっという間に業火に包まれる。即座に沈没することはないとしても、もはや戦力として数えられなくなったのは明白で、猛煙に倒れていく将兵の苦悶に思いを馳せると、万力で胸が締め付けられるかのようだった。


 とはいえ僚艦の被害にかまけている暇などないほど、空襲は熾烈を極めていた。

 戦爆連合80機を米機動部隊に向けて放った後、ジェットを含む残存機のすべてを直掩に上げ、更にはマリアナの第五航空艦隊が出撃させた100機超の戦闘機と協同させた形だったが……厄介なB-29電子戦型が上空に出現したこともあって、400を超える米艦載機群はそれすらも突破してきた。それらの跳梁跋扈ぶりは凄まじく、集中攻撃を受けた『龍鳳』は十数分前に轟沈。防空戦艦として奮戦した『比叡』もまた、ほぼ同じ箇所に2発被雷して大傾斜し、直衛を務める秋月型駆逐艦も何隻残っているか分からぬほどだ。

 そうした中、将旗を掲げたる『大鳳』は、爆弾数発を食らいながらも未だ健在。とはいえ破断界が何時訪れるか、まったく予断を許さぬ状況だ。


「それでも、俺等がここで頑張らにゃならん」


 山口は泰然自若を崩すことなく言ってのけ、


「米機動部隊は既に1000機以上を投じてきておる。となれば昼飯の後はこちらの番よ」


「黒島少将の"詭道"部隊を、敵は本物と思い込んだはずです」


 参謀長なる淵田大佐もまた、ニコリと隈なき笑顔を作る。


「まさか第一機動艦隊まで、北から来るとは思いますまい」


「うむ。元々は小沢サンも、サイパンを盾に戦う心算だったからな」


 あ号作戦の原案を思い出し、山口もまたほくそ笑む。

 当初予定の通りとならなかったのは、先月のマリアナ航空戦において、米機動部隊の早期捕捉に失敗してしまったが故だった。横須賀奇襲に引き続いての大失態であったため、情報が敵に漏れているのではないかと疑心暗鬼に陥った幾人かが、招聘の学者を含めた関係者を集めて再検討させた。結果、実際にそれらしき可能性が浮上してしまい、土壇場で作戦計画が修正されたという顛末だ。


 そしてそれが見事、功を奏しそうな情勢となってきている。

 最精鋭の第一機動艦隊をして乾坤一擲の攻撃隊を放たしめ、米空母群覆滅を達成せしめるためならば、己が命など喜んで投げ打ちたいところだ。天壌無窮の歴史に名を刻み、皇国繁栄の礎となるためならば、水漬く屍となるもまた愉しからずやだ。出撃前の万歳三唱を顧みるに、この戦にかけたる意気込みは、今死の淵にある者であれ変わらぬはず。そう思うと自ずと相好は崩れてきて、轟々と唸るエンジンにガソリンをくべるかのように、山口は強壮チョコレートをパクリと摘まんだ。


「左舷十時方向に敵機10、急速接近中」


 見張り員がまたもや叫ぶ。

 全身に漲る修羅場の緊張感と、口腔内に広がった刺激的甘味とが合わさり、魂魄がこの上なく励起されるのが実感された。


「相手は恐らくBTDでしょう」


 『大鳳』艦長の室田大佐が、まるで事もなげに言う。


「魚雷2本を抱える難敵です。すべて躱す所存ですが、念のためご注意を」


「おう、よろしく頼む」


 山口は何とも鷹揚に肯き、運命を部下に委ねた。

 耳朶を叩くは荘厳なる戦場交響曲。改良された対空噴進弾と25㎜機銃弾が、空を埋め尽くさんばかりに飛び交う中を、敵編隊は敢然と進んでくる。対空射撃の手応えは十分あったが、それでも突撃の意志を粉砕するには至らず、8機が投雷位置へと近付く。


「面舵一杯」


 号令とともに操舵がなされ、ほぼ時を同じくして、敵機は凶悪なる兵器を投下した。

 艦体がギリギリと軋む。また航過ついでの機銃掃射で、パチパチと爆ぜる音も響いてくる。舵が利き始めるのが早いか、それとも航空魚雷の駛走が勝るか。誰もが固唾を呑む中、どうしてか山口はあらぬ方向を向いた。


「ほう」


 視線の先にあったのは、未だ魚雷を抱いたまま、黒煙を吹いてよろめくBTD。

 コクピットに着いた米国人の勇者は、その青い目をぎらつかせながら、鬼の形相で機体を操縦する。彼の意図するところはあまりにも明白だった。機関砲弾はそちらに集中し、更に何発かの命中打を与えたが――既に手遅れのところまで迫ってきていた。


「いい腕だ。来世は俺の下に来い」


 山口が朗らかにそう零した数秒後、BTDは『大鳳』の艦橋基部へと突入した。





 太平洋:ググアン島沖



「何ッ、多聞丸がやられた……!?」


 齎されたる同期の訃報に、七航戦の高谷少将もまた愕然とした。

 第三機動艦隊旗艦たる『大鳳』は敵自爆機に突っ込まれて爆発炎上、司令部要員ともども戦死したとのことだった。兵学校に入校してから数十年の記憶が、一瞬のうちに脳裏を駆け巡る。学業を共にするというよりは、一方的に迷惑ばかりをかける関係だったようにも思えるが――竹刀を交えることはもはや叶わぬ。何時かは剣道の試合で打ち負かしてやろうと常々思っていたが、その機会は永久に失われてしまったのだ。


 だがこれも武人の宿命。心中でそうキッパリと断じ、現実と対峙する。

 航空母艦『天鷹』の待機所には、飛行服に身を包んだ荒くれどもが勢揃いしていて、彼等もまた等しくざわめいていた。実のところ間もなく第一次攻撃隊発進という段で、訓示を垂れんとしていたところだったのだ。ならば今、最優先とすべきは明々白々。過酷な囮任務を引き受けて散った者達に報いるためにも、燃え盛るような敵愾心を掻き立て、もって米前哨艦隊の撃滅に繋げなければならぬのだ。


「者ども、心して聞け」


 高谷は決然たる音吐でまず場を鎮め、落ち着いた口調で続ける。


「たった今、緊急電が入った。サイパン沖で囮となった第三機動艦隊は、米艦載機の波状攻撃を受けて被害甚大。旗艦『大鳳』も自爆機の突入により大破炎上、司令長官たる山口中将も壮絶なる最期を遂げたとのことだ」


「なッ……」


 搭乗員達も言葉を失い、表情を固く引きつらせる。

 第三機動部隊所属の航空母艦のうち、未だ戦闘能力を維持しているのは『海鳳』のみで、残りは大破あるいは沈没。護衛艦艇についても防空戦艦『比叡』および防空重巡洋艦『妙高』、駆逐艦4隻が喪われ、損傷艦も多数というから凄まじい。


「アメ公どもは強い。大変に強く、驚くほど勇猛果敢な敵だ」


 高谷は拳をきつく握ってみせ、


「この恐るべき強敵を相手に、我等は是が非でも勝利を掴み取らねばならん。それはまったく容易ならざる事に違いなく……だからこそ第三機動艦隊は敵前に身を挺し、山口中将もまた斃れたのだ。ならば今、我等がなすべきことは何か? 打井中佐、率先垂範するべく出撃する貴官の答えを聞こう」


「はい。強力無比なるメリケンゴロツキを、七生報国精神をもって千切っては投げる……」


 殺意を滾らせたる打井は、一瞬口をきつく閉じ、


「そのための血路を啓くことであります」


「然り。聯合艦隊の総力を挙げたる乾坤一擲の攻撃隊が、無事に敵母艦上空まで辿り着けるよう、米前哨艦隊を撃滅することだ」


 そう断じた後、居並ぶ搭乗員達の顔という顔を、高谷はサッと見回した。

 第二機動部隊の作戦任務について説明した時には、阿修羅の如く荒れ狂った輩も結構いたが――その者どもを含めた60余名が、これより死地に赴かんとしているのだ。その事実を改めて噛み締める。


「恐らくこの中には、沈めるのはまたも駆逐艦かと、不満に思っておる者もいるだろう。率直に言うならば、俺だって未だに悔しくてならん。だがこれこそが、身をもって米艦載機の猛攻を受け止めた第三機動艦隊に報い、今次大戦を勝利に導く唯一無二の道に他ならぬ。諸君等は汎用対米決戦猛獣に他ならぬが、忠君報国の念に燃えたる分別ある猛獣だ。であればここでの前哨艦隊撃滅は、主力艦撃沈にも匹敵する大戦果として皇国の歴史に刻まれると確信し、全身全霊をもって任に当たって欲しい。それから凱歌を上げて戻ってきた暁には、今度こそ敵空母を沈めさせろと角田中将を恫喝する心算だから、そちらに加わりたい奴は無駄に死ぬな。いいな?」


「合点承知の助!」


 普段と変わらぬバンカラな返答が、異口同音に発せられた。

 第一機動艦隊より出撃する真打に先行し、米機動部隊の枝城を攻める訳であるから、眼前の若武者の半分は生きて還らぬことだろう。それでも今日まで生きてきた甲斐があったと言わんばかりの雰囲気が、眼前の搭乗員達から存分に発散されまくっていて、彼等が赤誠に全力で頭を垂れたくなるほどだった。


「諸君等の武運を祈る。かかれ」


 胸中に満ちたる感慨を吐き出すように、高谷は厳かに号令した。

 一糸乱れぬ敬礼。搭乗員達は三々五々、愛機の許へゆっくりと歩んでいく。飛行甲板にはロケット爆弾を搭載した16機の流星と、制空任務の紫電改24機、更には誘導機たる彩雲2機が犇めいていて、出撃の時を心待ちにしているかのようだった。


 そうして数分の後、旗艦たる『隼鷹』から発光信号が発せられ、攻撃隊発艦と相成った。

 第二機動艦隊より出撃するは、空母5隻合わせて138機。カタパルトで急加速していく流星を、七航戦風の帽振れで見送りながら、それらが獅子奮迅ぶりを存分に見守っておれと、高谷は靖国の同期に訴えかける。

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