食中毒空母を撃沈せよ⑱

太平洋:南硫黄島南方沖



 航空母艦同士の水上打撃戦は、米海軍に軍配が上がりそうな状況となっていた。

 何とか時間を稼ごうとする『天鷹』を、『レイク・シャンプレイン』がほぼ真後ろから追撃する構図で……この場合、前方あるいは後方を指向できる火力がどれだけあるかが肝となる。それを踏まえると、艦橋の手前に連装高角砲を据えた形のエセックス級の方が有利。鋭く舵を切って射界の陰に潜り込みながら、盛んに乱打を浴びせかけてくる形となった。


 となると一刻も早く航空機を発艦させ、反撃の嚆矢とせねばならぬ。

 近接信管付きの5インチ砲弾が次々と爆ぜ、ばら撒かれた弾片が艦体を叩きまくる中、整備員達が懸命の作業を続ける。航空艦橋より指揮を執る打井中佐は、現場に飛び出したくなる衝動を抑制しつつ、固唾を呑んでその様子を見守った。爆装した紫電改を飛び立たせることができれば、一気に形勢逆転も可能なはずで、今は天に祈るばかりであった。

 だが一番機がカタパルトに接続され、いざ出撃となった始めた辺りで、右肩に止まった極彩色鳥類が唐突に怯え出す。


「Danger, Danger」


「何ッ!?」


 まさかここでか。打井は寒気を覚え、その直後、危惧は現実に変わった。

 5インチ砲弾が近傍で炸裂し、発艦直前だった紫電改は爆風をもろに食らってしまったのだ。機体はズタズタに切り裂かれて擱座し、しかもガソリンに引火してしまったようだった。


「消火、消火急げ」


「早くあの残骸をどけろッ」


 すぐさま指示が飛び、対応要員が慌てて駆けていく。

 反対に砕かれたコクピットより転がり出てきたのは、奇跡的に生き延びたらしい秋元中尉。彼等はすぐさま合力して事に当たり、硝煙弾雨に晒されながらも、生じた火災を迅速に消し止める。それからつい先刻まで機体だったものは、誘爆しかねない爆弾もろとも海洋に投棄され、被害は局限されたかに見えた。


 とはいえ拭い難い懸念が、またしても打井の脳裏を過る。

 実際のところ状況は、一難去ってまた一難といった具合。射出直前の被弾であったことが災いし、カタパルトが動かなくなったとの報告が、直後に齎されるという始末の悪さであった。


「糞ッ、発艦中止。残りの機体も投棄しろ」


 憤怒のあまり頭の中が真っ白になりそうだったが、ともかく打井は命令した。

 感触からして、カタパルトの修理には最低でも数十分はかかる。当然それを待っていたら敵艦に追い付かれてしまうし、爆装した紫電改は現行の速力では自力発艦不可能であるから、判断としては妥当なところではあった。


(しかし、この後どうする……?)


 打井は鬼の形相を浮かべ、歯をギリギリと軋ませる。

 航空作戦がもはや望めぬ以上、自ずと血沸き肉躍る白兵的戦闘となりそうだ。であれば武者震いもしてくるが、ただ漫然と待つばかりでは芸がない。そう思った刹那、新たな連絡が舞い込んだ。





「急ぎ即席機雷を流し、敵空母の足止めを図るべきかと」


「こんなこともあろうかと思い、前もって手を講じてあります」


 普段の薄ぼんやりさを露も感じさせぬ態度で、『天鷹』副長たる諏訪中佐が電話越しに力説する。

 彼が主張するは、すなわち洋上マキビシ戦法である。航空爆弾に簡易な浮きを付けて機雷とし、艦尾よりばら撒くという内容で、ほぼ真後ろから迫られる場合には案外有効かもしれぬとのこと。命中した時にきちんと起爆するかといった懸念については、海面に落とした後に信管の感度が3000倍になるよう設定するとか何とか。それでは波濤を被っただけで爆発してしまいそうな気もするが、使い道がなくなった上に誘爆しかねない爆弾庫の中身を処分する意味でも、確かにいい手であるかもしれない。


「それから航空魚雷もまだ何本か残っております、ついでにこいつを滑り台で水上発射してしまえば……」


「スッパ、分かった」


 高谷中将は即断し、


「この際だ、できそうなことは何でも試してみろ」


「了解しました。ご期待ください」


 諏訪は歯切れよく応答し、実践へと移っていく。

 ほとんど破れかぶれの戦法ではあるが、艦載機の発艦も困難となった以上、贅沢など言っている余裕などあるはずもない。航空魚雷についてはまともな調整もできていないはずだから、下手をするとグルリと一周して戻ってくるなんてことすら考えられるが……本当に距離を詰められた際の咄嗟雷撃に用いるのであれば、一応は使い物になる気がした。


 ともかくあらゆる手段を用いて、敵エセックス級の行き脚を止めねばならなかった。

 停戦間際に航空母艦同士の接舷斬り込み合戦となったら、間違いなく伝説にはなるだろう。実際、三日月刀を構えて力戦奮闘してみたくもあった。だがそれは万策尽きた後の最終手段でなければならぬと、肝に銘じておかねばならなかった。米海軍にとってはこの前代未聞の海戦は大変に有意義で、敵指揮官の考えるところは手に取るように分かるものの、元来戦争においては、相手の望む勝負を受けて立つ義理などありはしないのである。

 加えて自称超勇ましい陸軍少将の出番も、上手くやれば消滅するかもしれぬ。文字通り死に物狂いの気魄に押され、いざとなったら頼むかもとうっかり口を滑らせてしまったが……できることなら、自己犠牲によって窮地を救われたくはない。


「つまるところこいつは……おおッ!?」


 何か言いかけたところで、被弾の衝撃が伝わってきた。

 無論、高谷は大層いきり立つ。可能な限り距離を取らねばならぬのは当然としても、一方的に撃ちまくられて気分がいいはずもない。また停戦間際に犠牲となる将兵のことを思うと、腸が煮え繰り返って仕方がない。


「ううむ、忌々しい高角砲だ」


「中将、いっそ回天に爆撃を命じては?」


 傍らの陸奥大佐が提案し、


「今も敵空母と接触を保っているはずですし、対潜用の六番とはいえ爆装しています。敵の高角砲はこちらを向いている訳ですから、案外と隙を突いての爆撃となるやもしれません」


「なるほど、立ってる者は親でも使えだ」


 決断はすぐさまなされ、追加命令の畳み込まれた電波が発振された。





 敵空母への爆撃を命じられた佐々川少尉は、流石に動揺を隠せなかった。

 回天による対艦攻撃など、率直に言って正気の沙汰ではない。恐るべき連装高角砲は『天鷹』との水上砲戦に用いられているから、こちらには向かぬかもしれぬ。とはいえ敵艦の各所に機関砲がハリネズミの如く配置されていて、近付こうものなら容易く絡み取られてしまうことが容易に想像でき、手足の震えを武者震いと言い張れそうにもなかった。


 それでも覚悟を決められたのは、富岡二飛曹の一言があったからだろう。

 曰く、少尉は慎重だから今回も生き残れる。経験豊富な下士官であるから、内心は当然のように見透かされているのだろうが……世辞であってもそう断じられてしまった以上、やらざるを得なかった。加えて彼の動じたところのない声を聞いていると、実際何とかなりそうな気がしてくるから不思議で、複座機の利点は案外こんなところにもあるのかもしれない。


「少尉、五時方向からいきましょう」


「一時ではなくてか?」


「はい。五時の方が恐らく生き残れます」


 富岡の助言には確信が滲んでいて、


「先程チョイと見た限りなので、実際は違っているかもしれませんが、敵艦は右舷前部の被害が甚大であったかと。とすればその分、対空火力も減殺されているはずです」


「ああ、信じるからな」


 佐々川は深呼吸して肯き、勇気を振り絞って操縦桿を握った。

 続けて高度を海面ぎりぎりまで落とし、機体を左右に不規則に振りながら、敵空母目掛けて一心不乱に突き進んでいく。『天鷹』を射界に捉えてない高角砲が撃ってきて、間近に水柱が次々と屹立する。最高でも秒に50メートル弱しか進めぬのがまったくもどかしい。しかも100秒ほど経過した頃より、艦体のあちこちが火を吹き始め、この世のものとは思えぬ火焔弾幕が目前に形成された。


 もっともある程度は、己が恐怖心が見せている部分もあるのだろう。

 それに既に自分は、どうにも逃げようがないところまで来てしまっているのだ。であればエセックス級への爆撃を成功させ、サッと離脱する他に道はない。ともかくも条件反射的な操縦でもって対空砲火を回避し、ご都合主義的な未来図を脳裏に描いて精神を落ち着けながら、次第に拡大していく艦影をギラリと睨みつける。


「ヨーソロ、ヨーソロ……」


 佐々川はそこで機体を急上昇に転じさせ、


「撃てッ」


 との絶叫と同時に投弾ボタンを押した。

 切り離された爆弾の軌道を目視で追尾し続けられはしなかったが、直感は命中だと告げていた。回転翼機による爆撃訓練など、潜水艦を目標にしたそれくらいしか行っていないことを考えれば、まったく驚くべき結果と言えそうだった。


「よし、ドンピシャ……ああッ!」


 著しく異物的な衝撃に見舞われ、佐々川の駆る回天はたちまち姿勢を崩した。

 言うまでもなく、最後の最後で敵弾を食らったのだ。敵空母への爆撃は存外に上手くやれても、離脱までは叶わなかったか。遠心機にかけられたかのような加速度に振り回されながら、彼は何処か他人事のように思い、刹那の後に意識を喪失した。


 ただそれでも――今回も生き残れるという富岡の言葉が、曲がりなりにも予言となってしまうのだから、まったく世の中というものは分からない。

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