マーシャル闇討ち作戦④

太平洋:クェゼリン環礁沖



 夜が専門というと、陸奥大佐などはしょうもない妄想を膨らませたりしそうである。

 ただ真珠湾での改装を終えた航空母艦『インディペンデンス』は、間違いなく夜間航空作戦に適合したうちの1隻だった。事実、格納庫に所狭しと詰め込まれているのは、右翼下にAN/APS-6レーダーを備え付けたF6F夜戦型。それらを高度な迎撃管制の下に運用し、闇の中より飛来する長距離攻撃機の脅威を排除するのが彼女の役割だ。


 そしてその本領を発揮するべき瞬間は、刻一刻と近付いているはずだった。

 暗号解読を含めた諸々の通信解析の結果、日本海軍がマーシャル諸島を空襲する可能性が浮上しており、ポナペ島に長距離攻撃機が集結中と潜水艦が通報してきてもいた。であれば今晩、彼等は行動に出るだろう。天候からして誰もがそう予測しており、故に防空担当の快速機動部隊は前進したのである。


「だが……どうしたものだろうかな?」


 艦長のキンデル大佐はコーヒーをがぶ飲みしつつ、おもむろに首を傾げる。

 時刻は既に午前3時半過ぎ。薄暮の辺りから直掩機を飛ばし、怠りなく警戒を続けてきたのだが……どうした訳か敵機は現れない。


「もう数時間で夜が明ける。敵とて帰投が朝になるのは避けるはずだが……今日のところはもう諦めたか?」


「かもしれません」


 夜行性人間に進化したのか、航空団長のスミザース中佐は妙に元気である。

 幾ら『インディペンデンス』が夜間専門であっても、乗組員は他の艦の者達と同じ周期で生活せねばならぬ。ただし航空要員は揃って吸血鬼めいた生態をしていて、艦長はそのどちらに対しても責任を負っているから大変だ。


「あるいは南回りで侵入する心算かもしれませんが……そちらは海兵隊のF7Fの縄張りです」


「ふむ」


「今後のことを鑑みますと、我々の担当空域に飛び込んできてもらいたくあります。海兵隊のスマートじゃないボンクラ連中に手柄を取られたくはありませんので」


「まあ、どちらにせよ敵発見の報告は届いておらんな」


 面白くなさそうにそう言うと、キンデルはカップに残ったコーヒーを飲み干した。

 それから改めて索敵計画を脳裏に浮かべ、どうにか目を冴えさせる。TBFアベンジャーにあれこれ電子装備を積んだ警戒機が3機、今も懸命の哨戒飛行を続けているのだ。それらとピケット駆逐艦群のレーダーとが組み合わされば、必ずどこかで網にかかるはずで――そうでないとすればやはり空襲が延期になったか何かだろう。


「案外、妙なことになったのかもしれん」


「艦長、どのように妙なことでしょうか?」


「そうだな……」


 キンデルは数秒ほどかけて具体例を考え、


「件の潜水艦は通報ついでにポナペを砲撃したそうだが、例えば放たれた砲弾が偶然、敵攻撃機が出撃準備中だったところに飛び込んだ。それでまとめて爆発四散してしまった結果、作戦遂行が不可能になったという寸法だ」


「流石にご都合主義的かと」


「要するに、戦場では何が起こるか分からんということだ」


 キンデルはそう言った後、流石に荒唐無稽に過ぎたかと苦笑する。

 とはいえ如何なる偶然か、現実はその通りに推移していた。しかもそれが故、マーシャル諸島があらぬ方角から空襲されることになるとは、まったく夢にも思うまい。





マーシャル諸島:マジュロ環礁上空



「糞ッ、何処から湧いて出やがったんだ……」


 双発艦上戦闘機たるF7Fタイガーキャット。その夜戦型を巧みに操りつつ、歴戦のマクベイ大尉は歯軋りする。

 午前4時を回ろうとしていた明け方、突然に基地のレーダーがIFF応答のない機影複数を捉えた。西南西より200ノット超で急速に接近しつつあるそれらが、友好的なものであるはずがなく、戦闘空中哨戒を終えようとしていた彼とその僚機は、ただちに迎撃に向かうよう指示されたのだ。


 ただ忌々しかったのは、さほど時間が残されていないことである。

 探知距離はおおよそ40マイルといったところで、敵編隊はものの10分ちょっとでマジュロ上空に達してしまう。増援が何機か上がってくるとしても、恐らくは2ダースを下らないであろうそれらに、当面は僅か2機で対処せねばならなかった。幾ら電子装備や迎撃管制の利があり、機体性能も良好とはいえ、阻止が叶うと考えるのは楽観的に過ぎた。


(それに……間違いなく手練れが相手だ)


 飛行作業と緊張によって低下した思考能力でもっても、マクベイは直感することができた。

 レーダー覆域と水平線の関係式から考えて、敵は低空飛行で侵入してきたのだろう。海と空の境界すら分からぬ真っ暗闇の中でそんな芸当ができるのは、相応の技量と経験を有する人間だけで、とにかく油断ならぬと気を引き締める。


「ナイトオウル、右旋回で反転だ」


「ナイトオウル1、了解」


 管制官に応答すると同時に操縦桿を倒し、更に手許へと引き寄せる。

 暴力的な加速度と振動の中、僚機の追随したることを確認しつつ、獰猛なる愛機を大きく鋭く旋回させていく。そうして機首を反対方向へと持っていき、姿勢を戻すと同時にSCR-720レーダーを起動。


「ナイトオウル、近くに敵がいる。どうだ?」


「ああ。これから探す」


 マクベイは精神を落ち着かせ、機首を僅かに下げる。

 現在の高度は3000フィート、敵はもう少し低高度だろう。その読みは的中し、幾度かの首振り運動を行った辺りで、顕著な反応が表示機器に生じた。


「目標を捉えた。攻撃に移る」


 口角を僅かに上げ、それから僚機に追随するよう命じる。

 スロットルを開きながらサバンナの肉食獣が如く目を凝らし、蛍の群れのような微光を闇の中に見出した。彼我の距離は次第に縮まり、僅かながら敵機の輪郭すらも見えてきて、同時に妙な違和感が脳裏を過る。


 だが――次の瞬間、喧しい限りの警報音が鳴り響いた。


「あッ、糞ッ!」


 反射的に三舵を操り、愛機を急旋回させる。

 耳朶を叩いてきていたのは、近接信管の副産物たる後方警戒装置。それは六時に敵機ありと告げていて、直前まで未来位置だった辺りを機関砲弾が掠めていった。


「畜生、化け物か」


 マクベイは大いに毒づき、真後ろに忍び寄ってきていた敵を振り切らんとした。

 だがジョージ――紫電改と思しき機影は依然、追随してきていて、その後も幾度か警報音が木霊する。信じ難い技量を誇る単発機が相手では、如何な最新鋭のF7Fといえど、ひとまず距離を取って仕切り直しとする以外にない。


 そしてそれは航空阻止の失敗とほぼ同義だった。

 視界の端で何かがパッと煌き、たちまちのうちにマジュロ環礁と内海に停泊する艦船が露わとなった。増速しながらそこへと殺到する、逆ガル翼の恐るべき敵機の群れ。それらを阻止する方法は、遺憾ながらなさそうだった。





「ダツオ中佐、まっことお見事」


 実に鮮やかなる手際に、流星を駆る五里守大尉は称嘆の声を上げた。

 最近になって666空に配備され始めた電波警報器。それが対空捜索電探の信号を捉えて鳴り出すと同時に、護衛として攻撃隊に随伴したる紫電改の半分が大幅上昇。そうして背後より迫る敵機に備え……結果として接近しつつあった米双発夜戦を捕捉、駆逐することに成功したのである。


 しかもそれから間もなく、誘導機として躍進したる彩雲が、マジュロ環礁のほぼ真上に差し掛かった。

 そうして投下された照明弾は、眩い橙光でもって攻撃目標をくっきりと照らし出す。五里守はそこで麾下の14機を散開させ、予定の通り分散攻撃を命じた。一応は迎撃を受けはしたものの、先刻打電された"エテ・エテ・エテ"なる信号の通り、ほぼ奇襲成功と言えそうな状況だった。

 無論、最後の防壁たる対空火力は健在で、高角砲弾が次々と炸裂して弾片を撒き散らす。それらは飛行機乗りにとっての死神に違いないが、びっくりドッキリ兵器を搭載したる今晩ばかりは、盛大に撃ち続けてもらう必要もあった。


「ボノ、周囲に敵機は?」


「敵影なし」


「よろしい。ならばサプライズゴリラアタックの時間だ」


 曙飛曹長の注意力を信用し、五里守は猛々しいドラミングで闘志のほどを示す。

 続けて環礁一帯を素早く見渡し、翼を翻したりしながら、迅速なる目標選定に取り掛かった。


「敵機動部隊はまだとはいえ、泊地には特設空母くらいいるだろう。万難を排してでも、そいつを沈めてこい」


 出撃前、高谷少将がそう繰り返していた訓示が脳裏を過る。

 その通り狙うべきは俎板のような艦で、視線の先にあったカサブランカ級が、艦首の単装砲をドカドカと撃ってきていた。その影を目に焼き付け、是が非でも討ち取って七航戦の手柄とせんと、対空砲火の中を轟々と突き進む。関東沖で機動部隊攻撃を行った時と比べれば、これくらいどうということはない。


「ヨーソロ、ヨーソロー……撃てッ」


 投弾。目標までの距離は4000メートル超と、水平爆撃としてはあり得ない間合いだった。

 とはいえ攻撃方法に問題などなかった。放たれたるは有翼式の聞き耳爆弾、つまりは陸軍が開発を進めていたイ号一型丙自動追尾誘導弾の海軍仕様だ。滑空しながらマイクロフォンで高角砲の発砲音を検出、音源に向けて突っ込んでいくという、撃ち放しすら可能な優れものなのである。


 そしてかような兵器なれば、後は三十六計逃げるに如かず。

 五里守は間を置かずに三舵を操り、鋭利なる右旋回でもって愛機を離脱させる。それから機体を反転させ、Sの字でも描くかの如く、環礁外縁部を颯爽と飛翔していく。


「ボノ、どうだ?」


「ええと……あ、ありゃあ!?」


 エンジンの轟音満ちるコクピットに、素っ頓狂なる声が混ざった。

 やたらと動体視力に優れた曙は、回避運動の直後でありながら聞き耳爆弾を再捕捉することに成功し――敵空母に吸い付くはずのそれが見事に迷走した挙句、海面に突っ込んで徒となる瞬間を目撃することとなった。他の機が放ったものについても事情は同じで、戦果は僅か輸送船1隻炎上。期待の新兵器は、実戦では役に立たぬ欠陥品だったようである。

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