第32話 なんか最近、愛情表現が露骨になってきたな……

「ご主人様ぁ?」

 美冬は囁いた。

 未だ暑苦しい9月の初め。主は未だに寝ている。

「朝ですよ。遅刻しますよ?」

 そして、夏休みは終わった。

 今日から二学期の始まりである。

 進の本業は引き籠もりニートではなく、高校1年生である。この時をもって、怠惰は許されない。

「あと15分……」 

 そして進は呑気なことを言うが、美冬が許さない。

 問答無用。

「はぅ……ん……」 

 甘い声を漏らしながら、耳に甘噛み。

 当然、進は飛び起きた。

 朝一で耳を齧られれば当然である。

 驚いて声すら出せず、地味に感触が残る耳へワナワナと手を触れれば、妙な水気を感じた。

 美冬の唾液が、べったりとついていたのである。 

「な、なに……!?」

「明日はこうならないように、ちゃんと起きてくださいね?」

 使い魔は、主に厳しい。


 †


「忘れ物はないですか? 鍵は? 定期は? お財布は? あ、通知表は持ちました??」

 出かける直前、美冬は玄関で進にしつこく確認作業をしていた。

「わかったわかった、まったく、お母さんかよ……」

 そして進は面倒くさくなってお決まりのセリフを吐く。

「お嫁さんと言ってください。はい、行ってきますのちゅーは?」

 きっぱりと

「なんか最近、愛情表現が露骨になってきたな……」

 特に、美冬の誕生日の前から酷い。

 あの日、美冬が進の唇に噛み付いてからだ。

 そう。噛み付いたのだ。

 あの後、思いっきり唇から血が出た。

 それ以来、元々甘え上手だった美冬が、更に甘える様に。

「そんなことないです。前から変わりません」  

「嘘つけ。そんな『ちゅー』とか言わなかった」 

 言うのすら恥ずかしい。 

「いいえ。3、4年前くらいまでは毎日してました」

「そんな小学生の頃の話を持ち出されても困るんだけど」

 あの時はお互いに子供だったから仕方なし。挙句に、美冬は狐だから、そういうことに対しての抵抗が少ない……という認識をしている。

「まあいいですよ。それより、今日はお昼には帰ってくるんですよね」

「多分。始業式とホームルームだけだと思う」

「わかりました。お昼用意しておきます」

「……、よろしくおねがいします……」 

 これに関しては、確かに嫁である。

 兎にも角にも、学校に遅れるのは嫌なので、進はそそくさと家を出た。

 

 †


 進が家を出て、扉が閉じると同時に部屋は一瞬で静かになる。

 美冬は基本的には大人しい性格で、独り言を言う癖はない。

 現在時刻は7時半過ぎ。

 ピンとたった耳と、しゅんとした尻尾。

 そのまま台所へ、進が朝食を食べる時に使った食器を洗いに行く。

 美冬は後で勝手に食べる。

 進の分を用意していれば、自分が食べる時間的余裕は無い。

 とりあえず食器を洗ったら、居間へ行き、いつも敷きっぱなしの進に布団をたたむ。

 特に空腹感は無く、適当にテレビをつけて朝のニュース番組を垂れ流すが、大して面白くもないタレントのスキャンダルの特集しかやってない。

 座って、ローテーブルに立て肘をついて、お昼何にしよう、とか考える。

 進は食べ盛りだから、帰ってくる時にはどうせ腹ぺこだろう。

 パスタでも茹でるか。

 そうめんか。

 どっちにしろ、火の前に立って、水蒸気に晒されて暑いから、作るのが億劫だ。

 だからといって、惣菜屋の弁当を買ってくるのは、手抜き感満載で美冬の気が許さない。

 進は「手抜きでいいじゃん。毎日ほかの家事やってくれてるし」といつも言うが、美冬はあくまでも使い魔で、主に服従するもの。せめて己の仕事に対して手を抜くような事はやりたくない。

 そもそも、夏休みの間がずっと手抜きだったのだ。

 そして気付いた。パスタもそうめんも、手抜きっぽい、と。

 前にネットで、それで夫婦喧嘩をしたという人の呟きを見たことがあった。

 むしろ、どこまでやったら手抜きじゃないのか、明確な基準があればそのギリギリを攻められる。

 だがここで彼女はもうひとつ気付いた。

 自己矛盾だ。

 手抜きはしたくないのに、心の中では面倒臭がっているということに。

「ううううう」  

 とうとう美冬はテーブルに突っ伏した。

 自己嫌悪で潰れそうになってくる。

「ご主人様なら許してくれますよね……」

 珍しく独り言を呟いて、結果、冷やし中華を作ろうと思い立った美冬であった。


 †


 昼近くになって、太陽がガンガンに照りつける陽気だから、これ幸いとベランダに布団を干した。

 先程「着きそうになったら連絡ください」とメッセージを送ったら、その後しっかりと「駅着いた」と帰ってきたので、麺を茹でるためにお湯を沸かしている最中。

 それまでに、きゅうりやハムを切っておく。あとは卵を薄く焼いて、それをフライパンから剥がしたら、細く切って錦糸卵を作る。

 仕上げに湯が沸騰するのを待って麺を茹でるだけ。

 そして、出来上がるまであと1分のところで進が帰ってきた。

 完璧である。

 狭い1Kの家。

 進の姉である朝乃が、美冬が入り浸ることを見越して、両親を恐喝し無理矢理台所が充実しているところを選んだのだ。

 流し台と調理台がちゃんとあり、ガスコンロも2つ着いている。狭い部屋は、流し台とコンロ1つのみが殆どだが、「どうせ家賃は爺さんが払うんだから」と、ボロくて狭くても、若干家賃が割高で、そこそこの設備が整っている。

 そのお陰かどうかは別として、キッチンは玄関に面しているため、料理をしながら出迎えをすると言う芸当が出来る。

「おかえりなさい。ご飯すぐ出来ますから、着替えて待っててください」

 と、プロの如く、主に対し司令を出す。

 進は「は、はい」とそれにそそくさと従ったのであった。

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