第185話 1分1秒でも離れるのが嫌なのを我慢

『どこにいるんですか?』

「ああ、もうすぐ帰るよ」

『だから、どこにいるんですか?』

「どこっていうか……どう説明したら……」

『説明できないんですか? じゃあ、聞き方を変えますね?』



 美冬の、妙に取り繕った明るい声が気になる。



「なんで仙川の閑静な住宅街にいらっしゃるんですか?」



 そして電話越しの声ではなく、急に背後から、実物の声がした。

 背筋が凍る。

 壊れた機械みたいにガクガクと震えながら振り返ると、そこに素敵な笑顔の美冬が立っていた。



「な、なんでみふが!? てか何を持って──」

「これですか? これは、もしご主人様に変な虫がついたら嫌だなあっと思って持ってきたんですよ?」

 出刃包丁だ。出刃包丁を持っているのだ。

 鼻から血を垂らして、身体強化でここまで跳んで来たことが伺える。

 

「それで、いざ来てみましたら、ご主人様が、ブスな女をストーキングしてるじゃぁありませんか。どういう事なんですか?」

「そもそもなんでみふがここに」

「どういう事なんですか?」

「だからなんで──」

「どういう事なんですか??」

「ね、姉さんとの通話とか聞こえてなかった……?」

「ええ、聞こえてましたよ? それで、どういう事なんですか?」

 

 美冬が可愛らしく小首をかしげる。薄っすらと、真っ黒な目を開けながら。

 

「ご主人様、今日、美冬に黙って家を出ましたね? それで、なんにも言わずに寄り道しましたね? その理由が? なんかに取り憑かれたブスが気になったので、ってことですか。へえ? 美冬を放っておいて、今日初めて同じクラスになっただけのブスを心配したんですか。そうですか。ご主人様って、ブス専だったんですね。いやあ、最近はご主人様の新しい性癖がよく出てきますね〜。そうですかそうですか。美冬も何かに取り憑かれたりすれば、ご主人様は美冬のこと心配してくれますか? それとも、今この包丁で美冬の顔を滅多刺しにしてブスになれば、もうこう言うこともやめてくれて、もっと愛してくれますか?」

「待って待って待って話が飛躍しすぎっていうか色々誤解があるっていうか、とにかく鼻血」

 

 †

 

「ご主人様わかってないですね。何もわかってないです。なんでご主人様がわざわざ気にする必要あるんですか? もうご主人様の仕事じゃないですしその義務も無いですよね。じゃあなんで? なんで美冬以外の女に、それもブスを心配したんですか? それ、美冬以外にする必要ないですよね。いえ、ご主人様のそういう誠実さというか真面目というか優しいところは美冬も良いなって思いますよ。でも、それ、美冬だけで良くないですか。ご主人様の優しさとかを向けるの、美冬だけでも良くないですか? なんで美冬以外の人間にそういうご主人様の良いところを向けちゃうんですか? っていう話をしてるんです。ねえ? なにか間違ったこと言ってます? だってご主人様って美冬だけのご主人様ですよね。なんで美冬だけのご主人様なのにご主人様が他の人のこと考えてるのか理解できないですよね、普通に考えて」

 

 帰りの電車の中、平日の昼間で空いているとは言え、美冬が容赦なく進に対し説教をしている。痛いほどに手を握ってきて爪を食い込ませる。その異様な雰囲気に「なんだこの車両がら空きじゃん」と思って入ってきた乗客が、無言で出ていく。



「美冬は、ご主人様と1分1秒でも離れるのが嫌なのを我慢して、ご主人様を想って学校に送り出しているんです。それを今日は黙って何も言わずに出ていって、ブスを心配してストーキング? 寂しくて震えている美冬のことは心配してくれなかったんですね。もう今ここでご主人様の目の前で死んであげてもいいなって気分なんですよ?」

 

「だ、だからごめんって、ほんとに」

 

 刀を振るう為に鍛えられた握力に爪を立ててられているのだ。骨も血管も限界だ。

 

「じゃあもう二度と、無いですよね、こういう事。信用しますよ、今の言葉。美冬はご主人様に愛されないなら死んだほうがマシですからね」

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