第163話 猫じゃん

 この状況は何度目だろうか。

 そして、今回ばかりは謎だ。女性と出掛けたわけでもなく、会ったわけでもない。せいぜい、名も顔も知らぬ有象無象と道ですれ違ったとか、電車で近くに立っていたとか、その程度なのだ。では、なぜ。


「なんで、獣の匂いがするんですか。しかも猫。なんですか? 美冬に対する嫌味ですか?」

「猫カフェに行ったから……です」

「へえ」 

 なぜ猫カフェに行っただけなのに怒られているのか。

「で、猫カフェ行って何してきたんですか」

「もふったり、猫じゃらしで遊んだり、マタタビとか……」

「へえ。普段は美冬をモフってるくせに? 美冬に何か不満でもあるんですか? 猫じゃらしで遊ばないのが不満ですか? それともマタタビで酔わないのが不満ですか? ちゃんと教えて下さいませんか?」

「いえ、不満は、有りません、なにも、無い、です」

「ふぅん。で、なんで猫カフェ行ったんですか?」

「誘われたんで……」

「そうですか。誘われたからって浮気をするんですか。そうですか。なるほど。よくわかりました」

「いや別に決して浮気では」

「家庭裁判所、行きますか」

「すみませんホントに勘弁してください」

 土下座をすると、美冬は「はぁ」と溜息を吐く。


「それで、どうだったんですか。猫カフェは」

「最高でした……。天国……でした」

 思い出す。

 小さな猫たちが、にゃあにゃあとスリスリ寄ってくる。しなやかで艶のあるモフモフの塊。ふと猫じゃらしを振ってみれば飛びついてきて、かと思えばすぐに飽きてしまう。決して服従しないその自由さもまた可愛さの塊であった。


「で!! たかが猫とかいう下等生物と、この美冬ではどっちが良いと?」

 そして、この家にいる狐は、モッフモフの冬毛を纏い、仰向けになったのだ。


 ここで今一度思い出すのだ。どれが真のモフモフであるかを。


 今一度、人間に問おう。


 真の可愛いはどの生物であるかを。


「家にいれば美冬だってモフり放題なのに!? モフりたければ美冬をモフれば良いのですよ! いつものように! さあ!」


 これは正しく毛の塊である。

 白銀の完成された癒やしが、据え膳よろしくそこに有るのだ。

 そこで人間が取りうる行動は1つしかない。

「では失礼致します……」

 極楽浄土を求め、その毛玉に、早速顔を埋めようと──

「甘いわ!」

「グハッ」

 だが、極楽浄土までの道はまだ遠く、白く艶のある御脚で蹴飛ばされたのである。


「猫カフェでいくら払いましたか! 猫カフェに対価を払って美冬には何もないとか、許されるとでも思っていたのですか!?」

 事実、猫カフェでモフる為になけなしのバイト代をはたいたのである。


「な、何をご所望でしょうか」

 故に、目前のプラチナキツネに対価を払うというのも当然と言えよう。


「美冬可愛いって言って!」

 そしてその対価は、あまりにも安く、そして高い。

「美冬さん可愛いです」

「世界一可愛いは!?」

「美冬さん世界一可愛いです」

「大好き愛してるは!?」

「美冬さん、大好きです、愛してます」

 ──。

「いいでしょう、存分にモフると良いです!」


 やっと許しが得られた。

 そして哀れな人間は、手を突っ込み、モフモフに顔をうずめ、そしれ吸うのである。

 言葉を発することさえ忘れるほどの天国がそこにあるのだ。


「で、そういえばご主人様。仙狐さんを隠れて読んでいることに対する弁明をお聞きいたしましょうか」

「……ぇ」

 だが、そう簡単にモフらせるわけがないのだ。

 完全に困惑しきった表情で、毛だらけになった顔をバサッとあげた。

 その顔が紛れもない真実を表している。


「なんでバレたか気になりますか? それは、ご主人様のスマホを毎日チェックしてるからですよ? 当然、白上フブキを観てることも知ってますからね?」

 進が困惑し固まっている間に、即座に姿をケモ耳少女に変えて、両腕両足で捕まえホールドする。決して逃がさぬと。

「それで? どういう事でしょうか。二次元のメス、とりわけ美冬と同じ狐っ娘と来ましたか。美冬というリアル狐が居ながらに? どういうことですか? これが浮気と言わずして何と言いましょうか?」

「ま、まって、二次元と三次元は別物──痛い痛い痛い痛い!!」

「二次元と三次元が別物とかそんなわけあるか! ひひはけふほう言い訳無用

 首筋に食らいつき牙を立て、食い込ませる。甘噛みなんて生易しいほどに、食いちぎってやるという気概で。

ひふふほほほほ美冬の事をふひはほは好きだとかはひひへふほは愛しているとかひっへほひははは言っておきながら!?」

「痛いし何言ってるかわからないし痛い! マジで痛い!」

「うるへえ! しね! しね!!!!!!」

「まってまってまって、みふ、まってちょっとまって!」

あんへふはなんですか!」

「みふも二次元に推し居るじゃんっ」


 ふと、美冬が口を離した。


「なんですか急に美冬の趣味を引き合いに出して。なんですか。美冬に二次元の推しが居るから自分もV沼に堕ちても良いとでも!?」

「そうじゃないけどそう!」

「ざけんじゃねえですよ! 二次元と三次元は別ですから!? なぁんですか、嫉妬ですか! 二次元に嫉妬ですか!?」

「さっきと言ってること真逆だし特大ブーメランだから!」

「てゆーかちょっとくらい嫉妬してくれても良くないですか!? なんですか!? 美冬の方が異常なんですかねえ!?」

「もうわかったから、わかったからそろそろ離して貰えませんかねマジでこの体勢キツイからっ」

 

 首元が開放されても、腕と脚でホールドされているのには変わらない。進は美冬に体重を出来るだけかけないようにと腕で踏ん張っているのだが、そろそろキツくなってきた。


「イヤ゛ですっ」


 だが、そんな事など美冬からしたら知ったことではない。


「ご主人様が登録している『V』を全部解除するまで離しませんから!」

「なっ!?」

「どうしたんですか? 美冬の事大好きなんですよね愛してるんですよね!?!? 美冬の事を愛してるなら当然ですよね!?」

「だからそれとコレとは別問題──」

「にゃーー!!」

 

 美冬の膝が、下からみぞおちに刺さる。

 うっ、と言う低いうめき声と共に、進は痛みと苦しさに蹲った。

 勝ち誇った様に美冬は仁王立ちになって、進を見下ろした。


「にゃーってそれ、猫じゃん……」

「だから猫が狐の真似を──あ、ちがう」

 美冬はこほんと咳払いし、言い直す。

「狐じゃい!」


 チャンネル登録は土下座で許された。

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