第226話 本当に愛してるのはお前だけだって言いながら他の女とセックスするやつが居る

 進は疲れていた。

 一日中炎天下で走り回り、美冬にキレられ、進の体力と精神力は既に死んでいた。

 体育祭を終え、さっさと美冬と合流し帰宅。家に帰った途端、機嫌がすこぶる悪い美冬には「汗臭いから風呂入りやがれください」とジャージを剝ぎ取られた後に風呂へ放り投げられた。

 その直後に夕飯を口に突っ込まれ、やっと休める……と思ったのも束の間。風呂から出た美冬の尻尾を乾かす作業に追われるのであった。

 

 美冬は鏡に顔を近づけ、口の中を観察していた。

「さっき、口の中嚙んじゃって」

 とのこと。

「ああ。ちょっと見せて」

 進は美冬の口に手を添えて、親指を口の中に入れる。抵抗もせず開けられた口の中をじっくり観察。犬歯から唾液が糸を引き、生物的なピンクと血管が照明の元に照らされる。手に暖かい吐息を感じながら、頬の内側の切られたところを見つけた。

「あ゛……」

 それに触れようと親指を奥に入れると、美冬が少し苦しそうに声を漏らす。

「あ、ごめん」

「入れるなら言ってください」

「ごめんごめん」

「あと首辛いですぅ」

「座ろうか」

 

 今で美冬を膝の上にに座らせ、肩を支えながら指を美冬の口に入れる。口の中を撫でるように、治癒の魔法をかけていく。難しいこともなく、よほど大きな傷ではないからすぐに治せる。美冬は少し潤んだ目でじっと進の顔を見つめながら、大人しく口に指を突っ込まれたまま抵抗しない。

「はい、終わり」

「あい」

「離して」

「やです」

 美冬はその指を噛んで離さない。噛んだうえで、舌でちろちろと舐め、包み、吸う。一時期ハマっていたのを思い出して、大事そうに進の手を掴み、唾液の音をたてながら舐めていく。

「ん……ちゅぅ……」

 親指が満足したら人差し指を。人差し指を満足したら中指を。喉の奥までしっかり咥えて、舌で包み込む。

「ごしゅじんさま?」

「な、なに」

「こーふんしてるんですか」

 咥えたまま、上目遣いで敢えて確認する。美冬が今現在座っている場所的に、確認するまでもないはずだが。

 指を口から放し、ティッシュで唾液で濡らされた指を丁寧に拭いてやる。跨るように座りなおし、笑う。

 

「期待しましたね。でも、あのブス女にお姫様抱っことか、魔法とか、許したつもりは無いですよ」

 

 そして開いた目は、真っ黒だった。

「そこ、納得させて貰わないと」

 口元だけ笑って、拘束し、退路を塞ぐ。

 

「あれは、仕方なく……みふには申し訳ないと思ってる」

「人として正解でも、美冬のご主人様としては最悪です」

「理解しました……」

「なら、もし次、同じような状況になったらどうしますか?」

「お姫様抱っこはせず、腕を引くとかで対処します」

「ご主人様? 美冬のこと、愛してますよね?」

「無論です」

「美冬以外、何もいらないですよね?」

「はい」

「じゃあ、そういうときは見捨てていいですよね?」

「ぇ……?」

「だって、美冬以外、いらないんですから。美冬以外を助けたり優しくしたり、やめてください。前にも言いませんでした?」

「……本気?」

「はい」

 

 美冬は服を掴み、目も逸らさない。紛れもなく本気で、譲る気もない。

 

「みふ、それは違うと思う」

 

 だが、進の妙に中途半端な負けず嫌いが発動した。

 

「どう違うんですか」

「みふも、さっき、人としては正解って言ってただろ。出来る限りなら人として正解でありたい」

「……美冬の気持ちを捨てるんですね」

「違うよ。そもそも話がおかしくなってるよ。元はといえば、みふが井上さんに嫉妬してるだけなんだから」

 

 美冬の目が険しくなる。だが、まだ言い返さない。進の言いたいことを言わせてから、じっくりそれを尽く潰してやろうという気概がある。

 

「つまり何が言いたいかって言うと、俺がみふを好きな気持ちは、それとは別なんだよ」

 

 ああ、それだけか。言い訳は。

 

「気持ちが別だからって言えば許されるとお思いですか? それ、浮気をする男の常套句ですよ。知ってます? 世界には、本当に愛してるのはお前だけだって言いながら他の女とセックスするやつが居るんですよ?」

 

 さて、どう言い返すか。どう言い訳してくれるのか。

 

「美冬はほぼ全部の時間をご主人様に捧げてるんですよ? 友達だって最低限で、異性はゼロですよ。ご主人様はそういう美冬の気持ちはわかってくれないんですね」

「それは……みふの……」

「美冬が一方的なだけってことですか」

「いや、そうじゃなくて……」

「そうですね。美冬が勝手にそうしてるだけで、ご主人様にそうしろって言われたわけではないですものね」

 

 進は黙りこくった。言い返せることもなく、ただ余計な一言を言ってしまった後悔だけがひしひしと脳内を埋め尽くすのみ。

 やがて俯いて、目元を手で覆った。

 

「……俺、そこまで信用されてないのか」

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