第137話 自業自得

 美冬はぼんやりと天井を眺めていた。

 薄暗い、何もない、無機質な白い天井。

 ここは、病院の廊下。


 こつこつと歩く音が聞こえてきて、そちらを見やると、進の姉である朝乃が歩いてきていた。

 朝乃はそのまま美冬の隣に座ると、半ば強引に肩を掴んで抱き寄せた。


「さっき、菊花ちゃんたちにお話聞いてきたよ。みふちゃん、偉いね。一人で二人の事守ったんだね」

 柔らかい手が、美冬の髪を撫でる。

 姉弟だからだろうか。美冬には匂いと撫で方が似ているように感じられた。

 だが彼女からの称賛は、あまり受け止めきれない。

「ごめんなさい……。美冬が……ちゃんと魔法が使えてたら……」

 普通なら、素人の人間が何人集まろうとも対処しきれるはずだった。

 進が到着したあとも、二人で戦えるはずだった。

 そうすれば、彼がこんな事になる筈もなかった。

 何故ああなった。

 あの人間たちをしっかりと戦闘不能状態まで追い込めなかったからか。

 進が防壁や回復の魔法を使っていたせいで、自分が戦うための魔法に割くリソースが足りなかったからか。

 いや、両方だろう。

 普通なら、魔弾を正面から喰らいながら突進するなんていう馬鹿げたことなどしないし、後方から不意打ちを食らうなどの不覚を取るはず無い。

「話を聞く感じね、後ろを見なかった進の自業自得。みふちゃんが気に病むことなんて無いから」

「でも……」

「大丈夫。大丈夫だって。こんな事、前にだってあったじゃない」

 違う。前は怪我をしたって倒れることなんて無かった。倒れる前に自分で治癒魔法を使っていたから大事になることは無かった。


 朝乃が誰かに呼ばれた。

「ちょっと待っててね」とベンチを立ち、廊下を歩いて去っていく。

 ボーッとしていて誰に呼ばれたのかまでは気付いていない。

 美冬はまた一人になって、天井を眺めた。

 

 何故だろうか。

 こんな時なのに意外と涙など出ないものだ。泣いたほうがまだ可愛らしいだろうか。

 そんな事をふと考えてみて、浅はかさに嫌気が差す。


 まるで、時間が止まっているかのような。ただ静か。実際には、狐の聴覚は嫌というほどに周りの環境音を吸収してしまっている。だがそんな煩わしい音でさえ、美冬の精神には届いていない。


 どれ程経っただろうか。


 ふと近付いてくる足音がして、そちらを見やれば、異様な人物を目にする。

 進の母親と、朝乃だ。

 進の母親を見るのは夏以来だろうか。

 普段から息子に冷たいとはいえ、怪我をして病院に運ばれたと聞けば流石に来るか。


 美冬は立ち上がって、深々と頭を下げる。進の母親にはどんな挨拶をして、どんな声で話せばいいのかわからない。

 数秒頭を下げ続けるが、進の母親は何を言うわけでも、去るわけでもない。

 頭を上げるタイミングを見失いつつあり、恐る恐るゆっくりと上げてみる。


 その瞬間に突如、強烈な破裂音の様な音が廊下に響き、首は右を向いていた。

 頬はやがてヒリヒリと痛みだす。

 

 いま、平手打ちをされたのだと理解した。


「母さん! なにやってるの!?」

 朝乃の本気の怒鳴り声が続いて響いた。


 そして、そのまま打ちひしがれて固まっていると、進の母親は踵を返し足早に去っていく。


「みふちゃん、大丈夫!? 首とか痛くない? 嘘でしょ……あの人、信じられない……」

 朝乃はそう言うが、美冬には当然に思えた。そうだ、息子がこんな目に遭えば、原因になった存在など殺してしまいたいほどだろう。朝乃が姉として冷静すぎる。それに、ただでさえ嫌われているのだ。

 

 美冬は、力が抜けたようにベンチに座り直した。



 †



 美冬は、進が運ばれたという病室の扉を開けた。

 そこでは、既に進の両親と朝乃が居て医師から説明を受けている。

 その4人の間から進が横たわっているのを確認したら、彼を間近で見たいよりも、あの中に入っていく方が怖く、そのまま扉を閉めた。



 すぐに朝乃が病室から出てきて、先に帰るよう促される。

 居ても何も出来ないことは明らかで、美冬は従って、挨拶をしたらそのまま病室の前から離れた。

 廊下を進み病院を出る。

 外は暗く寒い。

 ここから家に帰るにはどのルートになるのだろうかと、スマホを開いた。


「美冬」


 ふと呼び掛けられる。

 相手は満里奈で、アリスの助手席から顔を覗かせていた。彼女は親指で後部座席を指し、乗るよう促してくる。

「アリスが送ってくれるってさ」

 素直に助かった。

 美冬は頷いて、そのままアリスの方へ向かった。


 †


 車内は終始無言。最初こそ満里奈がしつこく話しかけてきたが、美冬に答える気力すらなく頷くだけで、満里奈もすぐに黙った。

 高速道路を飛ばし、気付けばいつもの家へ着いていた。

 美冬は二人に深々と礼をして、アパートの階段を登り、玄関の鍵を開けて中に入った。


 廊下の電気をつけて、靴を脱ぎ、一歩家に中に踏み入れた途端、全身から力が抜けてそのまま座り込んでしまった。


 先程叩かれた左の頬の痛みがジワジワと増してくる。

 その痛みだけだ。

 魔力が暴走して内も外もボロボロだったはずなのに。普段はもっと治るのに時間がかかるはずなのに、そっちの痛みなど全く無いのだ。


 どうして。


 痛くないのに、力が入らない。


 廊下を超えた先の部屋は真っ暗なまま。

 台所には、今朝洗った食器類が乾かされている。

 そう言えば、彼の弁当箱を鞄ごと病院に置いたままだ。


 今日、彼は帰ってこない。

 明日は帰ってくるだろうか。

 明後日はどうだろう。


 今日は何曜日だっただろうか。


 立ち上がる力が入らない。部屋までもうすぐそこなのに。

 もう、このまま動きたくない。

 今日はずっとこのままで居ようかなんていう馬鹿げた事まで考え、そしてしばらく実行した。

 何もない薄暗い中でずっとそのままで居た。

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