第54話 狐が犬のおもちゃで遊ぶ動画を観て

 さて、この世で至高の癒やしとは何であろうか。

 人間の三大欲求を満たすことか。否

 風呂に入ることか。否

 甘味を摂取することか。否



 それは

 狐の腹に顔を突っ込み、深呼吸することである。



「すぅぅぅぅぅ……はぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 この季節がやってきた。

 美冬が、もふもふになる季節に。

 素晴らしき毛玉である。 

「な、なんですかっ! 帰ってくるなり突然! ぎょーざ焦げちゃいますっ!」 

 口では嫌がるが、体は正直だ。

 やめさせる気配はない。

「モフユ最高……」

「変なあだ名つけないでくださいっ」

 

 美冬は、進の帰りが遅いときは、彼が帰る時間に夕飯が出来上がるよう見計らって料理をする主婦の鏡である。

 今日は餃子で、焼き上がるまで狐の姿で待機していた。ちょうどそこに進が帰ってきて、モフられたというわけである。

 

 やっと進は離れ、美冬は急いで餃子を確認する。ちょうど焼けたらしく、火を止めたらさっそく皿に盛り付けた。

「もぅ……ご飯ですから、準備してくださいっ」

 機嫌を良くしながら怒り、美冬は主に指図する。

 進もホイホイと、炊飯器から白米を茶碗に盛り付け、ローテーブルまで箸と一緒に運び出し待機する。

 

「中華料理です、食え」



 †



 狐のときの美冬は、冬毛ならば実にモフり甲斐があり、そのときは暇さえあればモフっている。

 テレビのつまらないバラエティ番組を垂れ流しつつ、膝の上で美冬を抱いてとにかくモフる。

 構われている美冬にとってもあまり悪い気はしていないので、彼女もこれはこれで良しとしている。

「ご主人? 学園祭の準備って、朝から晩までずっと忙しいんですか?」

 モフられながら、上を向いて主の顔を覗き込む。

「いいや。忙しくなったり暇になったりの繰り返し」

「なら、もっと早く帰ってこれないですか?」

「いやもうホント早く帰りたいんだけど、帰る寸前になって急に忙しくなっちゃうんだよね。今日も、最後の最後で看板作りに手間取ったし」 

 美冬は不服そうに視線をテレビの方に向けた。

 8時から9時までやる番組で、それも終わりに差し掛かっている。

 昨日今日と、彼の帰りは遅い。

「でも、準備は明日までだし。学園祭当日は暇だろうし」

「ホントですか?」

「うん」 

「じゃ、じゃあ、学園祭、一緒に回りたいですっ」

「そんな面白いものでもなさそうだけど? 俺も出席だけとったら帰ろうと思ってるし」

「なんでそんな素っ気無いんですか。デートのつもりだったのに」

 美冬はかなり乙女チックなことを考えるし、最近はやけに素直になった。

 そうまで言われれば、そのくらいなら叶えてやろうという気も起きる。

「わかった。日曜日は店番しないといけないから、土曜日で」

 美冬の機嫌がぱっと良くなる。

「はい」

 尻尾が揺れている。狐はあまり感情をボディーランゲージで表す動物ではないが、揺らすときは揺らすらしい。

 

「ご主人様、食べ物系って何が出るんですか??」 

「でた食欲の化身」

「褒めても何も出ませんよ?」

 自覚あり。

 一度美冬を置いてから、学校のカバンを漁りに行く。

 取り出したのはパンフレット。

「ここに書いてあるから」 

 それを美冬に渡す。

 渡すと言っても、狐の肉球ではパンフレットは掴めないので、美冬は獣耳少女のいつもどおりの姿に変わった。

 パンフレットを読み漁る。

「……なるほど。だいたいわかりました」 

「何が?」

「まずフランクフルト、次に焼き鳥、たこ焼き、そしてじゃがバターの順で回りましょう。甘いもの系はその場の気分で順番を変えます」

「全部回る気?」

「当たり前じゃないですか。バカなんですか」

 美冬は本当にバカを見る目で進を見た。

 どっちが馬鹿なのか、わからなくなってくる。

「ところで、ご主人様のクラスは何やるんですか?」

「スーパーボール掬い、もとい潜水艦掬い」

「潜水艦?」

「おもちゃの潜水艦を掬うのが意外と楽しかったから急遽改名した……らしい」

 そして、スーパーボールで思い出す。

 ちょうど手元にはカバンがあったので、カバンをまた漁った。

「そうそう、スーパーボールで思い出した。100均でこんなの買ってみた」

 ゴムボール3つ入り。

「なんですかこれ……」 

「狐が犬のおもちゃで遊ぶ動画を観て──」

「遊びませんよ」 

「……すみません」

 

 †



 美冬の風呂上がり、毎度のごとく進が尻尾を乾かし、ブラッシングした。

 今日は、美冬は終始ヒトの姿だった。

 尻尾のブラッシングが終わったら、終了だ。 

 布団を敷いて寝る体勢に入る。と言っても、今日は風呂に入るのが若干早くて、時間もまだ10時、寝るには早い。

  

 美冬は、進との距離を感じた。

 彼我の距離はおよそ60センチ程。

 美冬の目が一気に黒くなる。

 そこに一切の光はなく、絶対零度の空間が広がった。

 その目で訴えても、進は気付かない。

 

 美冬は悟った。

 つまり獣ではない自分に価値はないのだ

 確かに、彼は、美冬の姿によって態度を変えていた。

 先程のモフモフ深呼吸だって、美冬が人型の時はハグすらしないのにもかかわらずにやってきたことだ。

 ひどくモヤモヤする。

 

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