第103話 起きないと、ちゅーしますよ?
おそらくは朝、うっすらと開けた目のその視線の先に、美冬が台所に立っているのが見えた。
まだ寝ていたい頭と体では、彼女が何をやっているのかあまり理解できていない。
たった一瞬だけ、彼女の姿を見たら、また意識が途切れた。
「ご主人様、そろそろ起きてくださーい」
耳元で、美冬が言う。
鼓膜には届いているが、どうも言語として理解しない。覚醒しきらない頭のスペックなどそんなものだ。
「起きないと、ちゅーしますよ?」
だんだんと頭が働いてきて、彼女の言っている言葉が理解できた。
ああ、そういえば、と今日の予定を思い出す。
今日は姉と出かけるのだ。待ち合わせ……というよりも、姉が10時半頃に車で迎えに来るので、それまでには支度を済まさなくてはならない。
むっくりと起き上がって、ぼーっとしながら指先で目をこすった。
そして、起こした視線にはケモミミ銀髪少女が黄色い目でのぞき込んできていた。
今日もかわいい生物に叩き起こされて、朝から非常に充実した気分になれそうではあるが、特にそういったことはない。
「朝ごはん、簡単ですけど作りましたから。顔洗ってきてください」
美冬に言われて「はいー」とゾンビのように立ち上がった。日戸進は、朝にめっぽう弱い。
美冬に言われた通り、冬の刺すように冷たい水で顔を洗って、やっと目が覚める。
居間に戻ると、ローテーブルにはもうすでに食卓が準備されていた。
普段の日常に戻った気がする。
「ご主人様、お箸とお味噌汁持ってってください」
台所で味噌汁をよそっている最中の美冬に呼び止められた。
「あーはいはい」
これもまた、言われた通り二人分の箸と、美冬に渡された自分の味噌汁を持って、テーブルの定位置のところに座った。続いて、美冬も自分の味噌汁を持って、定位置につく。
二人揃ったら、いただきますを言う。
米、スクランブルエッグ、味噌汁、この簡単な朝食だ。そもそも家にあまり食材がなく、かろうじて卵があったからこうなっただけ。味噌汁は、家にある乾燥わかめと、朝一番で急いでコンビニに行って買ったコンビニのオリジナルブランドの豆腐。ねぎは諦めた。そもそも、ねぎとわかめは相性が悪いという説があるから、これはこれで良いのか、と美冬は自己完結で納得した。
一口すすったら、やはり味噌汁は具も大事だが、出汁が美味ければ美味いのだと再確認した。
進の祖父母の家から仕送りとともに送り付けられた高級出汁が最強。
「ああ……みふの味だ……」
すこし食べなかっただけのはずなのに、不思議と感動を覚えた。
スクランブルエッグを一口食べただけなのに、なぜかそう思うのだ。
「それ、卵焼いてコショウ大量にかけただけですけどね」
中濃ソースはお好みで。
「多分……みふの抜け毛が入ってる……あ、ほら」
彼女が狐の姿でいるときとか、そもそも尻尾から抜けた獣の毛が部屋中に舞って拡散しているのだ。
料理に交じってるのはもはや定番、これが普通だ。
「え、あ、ごめんなさい」
「多分、この毛から染み出た美冬の出汁が美味いんだと思う」
「……ええ、きも」
唾液を大量に流し込んでくるヤツだけには言われたくない! と心の中で叫ぶもそれを言葉に出したところで不毛な争い、もとい彼自身が一方的に被害を被る展開になることは確実であるので、だまって白米を噛み締めた。
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