第104話 ああ、もう、いつ死んでもいい……

「みふママ、なんだって?」

「そのまま帰ってこなくていいって。ということで──」

「だめです」

 きっぱり言い捨てると、美冬は「いじわる!」と進の額をペシペシ叩いた。

 今、電話で母親に自分が今立川にいることを伝えた。

 進が出かけるまではここに居る予定。今は、美冬が進に膝枕をしている状況。いつもとは逆だ。

 

「そういえばさ、話いっきに変わるけどさ」

「はいはい、またアクセラの話ですか?」

「あ、よくわかったね」

「いやだって、いまそれ見てるじゃないですか」

 進が美冬の膝を枕にしながらスマホをいじっているので、その画面は美冬に完全に丸見えだ。

「まあ、うん。それでさ、このスカイアクティブXってあるじゃん、これよくわかんないなあって」

「いやいや、こんな超技術、一般人じゃ理解できないですって。ざっくりいうと、ガソリンエンジンなのに火花点火ではなく圧縮点火なことですかね……」

「よくわかんない」

 車に関しては、美冬のほうが詳しい。なぜなら、あるじの興味がある分野をあらかじめ知っておき、どんな会話の内容にも対応するためだ。

「ガソリンエンジンってどんな風に点火してるか知ってます?」

「そこからよくわからない」

 美冬は一旦スマホのブラウザを開き「ガソリンエンジン ディーゼルエンジン」と検索する。そこでヒットしたGIF画像を進に見せた。4ストロークガソリンエンジンのサイクル模式図だ。

「えっと、まず、エンジンのシリンダに気化した燃料が混ざった空気……これを混合気っていうんですけど、これを入れるんです。ピストンが上死点まで上がって空気を圧縮したときに電気プラグで火花を散らして、混合気に点火するんです」

「うーん まあ、何となくわかった」

 本当に何となく。GIF画像に倣って、燃料が混ざった空気が、ピストンに圧縮されてプラグで燃やされ、その爆発でピストンが押し下げられる情景を想起する。

「そこで、ディーゼルエンジンは、混合気じゃなくて普通の空気をシリンダ内に入れるんです。そこで、ピストンで圧縮したときに燃料を噴射します。圧縮した空気は高温なので、噴射した燃料が自然に燃えるんです」

「あーけっこう違うんだ。ガソリンとディーゼルって。使う燃料だけだと思ってた」

 自動車におけるガソリンエンジンはレギュラーかハイオク、ディーゼルエンジンは軽油を使うのは常識。軽自動車が軽油を使うのは間違い。

「そうそう。ガソリンエンジンは、点火装置が必要なエンジンで、ディーゼルエンジンは必要ないエンジンだって覚えれば簡単ですよ」

「ふんふん……で、スカイアクティブXはガソリンエンジンじゃないのに圧縮点火?」

 美冬はすぐに「スカイアクティブX」と検索しなおす。

「そーそーそー、これがすごいんですよ。火花点火だと結構燃料を使っちゃうんですけど、圧縮点火だと空気に対する燃料の割合が少なくてもちゃんと燃焼が起きるんですね。それで、ガソリンエンジンはディーゼルエンジンに比べてレスポンスが良かったり、排気があまり汚くなかったりするんですよ。それでもともと圧縮比が14.0まで高くできてたので、ここに『燃料薄くても燃える』っていうのがプラスされて、究極のエコなガソリンエンジンの出来上がりです」

「よくわかんないけどすごいってことは理解した」

 美冬の解説も、進にはほとんど理解できない。それとなく理解はしているが、土台の知識がまだ足りていない。

「もうすこし車の事勉強しよ……」

 何となくつぶやいた。彼にとっては、本当に何となくだ。

 だが、美冬にとってはスマホをうっかり手から滑らせて彼の体の上に落とすほどには、驚きだった。

「ご主人様が……自分から車の勉強という発言を……」

「え、あ、うん……。ていうかスマホいたい」

「やっと……やっと、魔法以外の普通の趣味を……!」

「いやまあ、うん」

「ううぅ……こんな日が来るとは……!! ああ、もう、いつ死んでもいい……。安心して寝れる……」

「いやいや、みふが死んだら俺も後追わないといけないんだから、まだやめてよ」

 そのレベルで、進の無趣味に関しては美冬はかなり心配だったのだ。何でもいい。何でもいいから普通の人らしい、生きがいとか目標に通じる何かを得てほしかった。

 以前、将来の夢を聞いてみたら「美冬を養えるほど給料が良い職に就く」とかだったので、発言そのものはうれしいが、当然まず第一として彼の幸せを一番に考える彼女にとっては複雑な心境であった。

「ほおんとに、もうほおおんとに、よかったですよお……。こんど、アリスのところ行ってエンジン見せてもらいましょうね! 5リッターのV8エンジン!」

「ああ、うん」

 アリスとは、GSの付喪神で、進とは非常に仲の良い車だ。

 だが進はふと思い出した。彼女はボンネットの中を見られるのを「恥ずかしい」と言っていたことを。

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