第97話 これから毎日クックドゥ
かなり久々に、家の中で完全な一人きりという状況になっている。
美冬が朝に作って置いて行ってくれた夕飯も食べて、シャワーも浴びて、歯も磨いて、あとは寝るだけ。
いつもであればその間に彼女の尻尾を乾かしてブラッシングする習慣なのだが、今日はそれはない。
手に持っていたスマホの画面が急に切り替わり、そして震える。
美冬からの電話だ。
緑色の接続のアイコンをタップして、そして手に持っているのも面倒だから出力先をスピーカーにして耳元に置いた。
今更必要とも思えない軽い挨拶をしたら、すぐに若干の沈黙が訪れてしまった。
かえって話題がない。
そして美冬が絞り出したのが『もうお風呂は入りました?』の一言だけ。そして進は「うん」と答える。
「尻尾は自分で乾かしたの?」
『えっと、まあ、そうですね……』
「そもそも尻尾しまって風呂入ったとか」
『いえ、別にそんなことはないですよっ。いやあ、髪と尻尾と、大変でしたよ』
あははと乾いた笑いが届く。なんだか怪しい。
『そんなことより、えっと、ああ、えっと、何もないと言いますか、電話したはいいですけど、話すこととか特に無いと言いますか』
バツが悪そうな、そんなおどおどとしたはっきりしないしゃべり方だ。
「まあ、そんなことだろうとは思ったけど……。召喚しようか?」
『いえ……一度そっち行ったら多分戻らなくなっちゃうので我慢します』
「それ、あり得そう」
自制は必要だ。
だが、理由がなくてもこうして電話をしていて、というよりも美冬の声という好きな声が聞けて、進もかなり癒されている最中だ。
「じゃあ、こうして飽きるまでしゃべってよう」
しゃべる内容なんか無いが。
美冬の小さな『はい』という声が聞こえた。
いつもは、そこまで四六時中しゃべっていたわけではなかったことを、こうしているとやっと気づいた。
進が座っていれば、美冬が背中を背もたれにするか、膝の上に座るかして、お互い特に喋ることもなく各々のことをしていた。
進が寝そべっていれば、美冬は彼の腹を枕にして寝そべっていた。
逆に、美冬が獣になって丸くなっていれば、進が容赦なくモフって、顔をうずめて吸っていた。
物理的に接触して、お互いの存在が確かめ合えればそれで安心だったし、それが生活の中の癒しだった。
「いまさ、寝転がってるんだけど、いつもならみふが寄りかかってくるじゃん? それが無いなら無いで落ち着かないなーって思ってさ」
『実は、ご主人様も寂しいんですか?』
「いや、一昨日も言ったじゃん。めちゃくちゃ寂しいに決まってるよ」
恥ずかしいよりも、笑いが込み上げてきた。
彼女の前では一切の照れ隠しは無効になる。いっそ素直になってしまえば清々しい。
「もうほんとに、明日から暫くみふの手料理が食べれないのが辛すぎる」
『それ何回も聞きました』
「これから毎日クックドゥ」
半分冗談で、これから暫くは自分しか食べないのに自分で作ることになる。労力に対してリターンが少ない。となるとインスタントにしかならない。
論点はそこだ。自分しか食べないのに作るというのが億劫でしかないのだ。作ること自体は普通にできるが、やる気がない。
『ていうーか、ご主人様に麻婆豆腐作るときは毎回クックドゥですけど』
「じゃあ実質、みふの味だ」
それを思い出し、それもそうだ、となる。ならばしばらくは毎日クックドゥ生活だ。
『残念、地味にアレンジしてるので完全再現はできませんよ』
「えー、何入れてるの?」
『ひき肉とピーマンを多めに、片栗粉も少し足して、あとはラー油を追加で大量に入れてます。それと、ねぎは最初に炒めるのと後から入れるのとで二段投入です』
「じゃあそれやるか」
『あとは、愛情を大量に』
「はいはい」
『いや、ほんと大事ですからね? 愛情』
美冬にとって、クックドゥは決して超えられない壁だ。
中華では、特に麻婆豆腐ではクックドゥには敵わない。中でも広東は非常に強い。
以前は意地で手作りをしていたが諦めたのだ。
本来はどうしても、進には自分の手作りだけを食べさせて、彼を構成する物質を全て自分原産にしたかった。
だがしかし、クックドゥの美味さを知ってしまった。皮肉にも、進が作ったクックドゥの麻婆豆腐で。
そこで、自分の目的と「
そこで、自分なりにクックドゥを台無しにしない程度でアレンジをして気持ちを誤魔化している。
だが、ピーマンを入れたのは大正解だった。見栄えもよくなるし、肉々しい麻婆豆腐に颯爽と野菜が現れることで健康になれる気がする。
「その愛情、血とかじゃないよね」
一応確認した。もしそうだとしたら本気で再現不可能だ。
『自分も食べるものに自分の血なんかいれませんよ~』
美冬にもそこの良識はしっかりとあった。
「あ、だから弁当には入れられたのか……」
良識はあった。あるはずだ。進も、そこに関しては諦めている。
『あ、わかります?』
「弁当は俺しか食べないから……」
電話の向こうから、美冬のうれしそうな「えへへ」という声が聞こえた。
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