第98話 愛してるって、言ってください

 暫く通話を続けた。ずっと話続けていたわけではなく、時々喋っては黙ってを繰り返して数時間。

 進の呼びかけに、美冬は応えなくなった。寝落ちしたらしい。長い時間、移動をして疲れたのだろう。

 おやすみは当然言えず、そのまま電話を切った。

 真っ暗で静かな部屋。

 一人きり。

 近所を通る車の音とか、冷蔵庫などの機械の音。

 耳が敏感になった気がする。

 美冬は狐で、狐は聴覚が良いから、普段からどれだけの雑音に囲まれて生きているのだろうか、と何となく心配に思った。意外と適応できてしまうものなのだろうか。今度聞いてみようと思っても、朝にはどうせ忘れている。

 彼は寒い部屋の中、布団をしっかりかぶって目を瞑った。



 †



 朝起きたのは、目覚まし時計の音でも、美冬のモーニングコールでもなく、彼女からの着信だった。

 未だ微睡みから覚醒しきれていないなか、とりあえずその電話には出る。

 そういえば、今は何時だったか。時計はまだ見ていない。

 外から入ってくる光は明るい。

『おはようございます、寝てました?』

 美冬の声も明るい。

 枕元においてある腕時計を見ると、時刻は6時20分あたりを示している。休日の休みにしては早すぎではないだろうか。

「ああ……うん……寝てた……おはよう……」

『ァァァァ……寝起きのご主人様が見れないぃぃぃ……』

「朝からなんだよ……、限界オタクみたいな声出して……」

『愛してるって、言ってください』

「ほんと、何、寒さで頭おかしくなった?」

『はあ、鬱だ死のう……』

「はいはい、愛してる」

『寝ぼけてるご主人様ちょろい! でも、寝ぼけてるからノーカンですねこれっ。はああああ辛い、辛い、病むぅうぅぅううぅぅあああああああああ』

「みふは言ってくれないの」

『美冬のは、愛してるとかいう下衆みたいな言葉じゃ足りないんですよ!! ぁぁぁぁぁあああああああ!!!』

 酷い奇声だ。本当の意味ですでに限界、いや、限界突破している彼女は、朝からもう泣いていた。

 もっと言うなら、奇声を発しながら泣いていた。

 だが、一番の被害者は、早朝に叩き起こされた挙げ句に奇声を聞かされている日戸進である。

『すうぅぅうううぅぅぅぅぅうううぅぅううはぁぁぁあああああぁ……』

 そして何やらものすごい深呼吸をしている。

『ご主人様のシャツ、持ってきてるんです。この匂い嗅いで精神を保ってるんですよ……』

 どうしたのかと問う前に勝手に明かした。

『あ あ あ あ あ あ ! ! あ ぁ ぁ ぁ ぁ あ ぁ ぁ ! !』

 そして言葉すら失った。

 正しく妖怪のうめき声が暫くスピーカーから流れ続け、やがてドサッ、ガタッというものすごい音が鳴った。

『いっっったい!!!! もうやだああ!!!』

「どうしたの……」

『ソファから落ちましたッ!! なんなんですか!! ご主人様には会えないし!! 美夏はうるさいし!! ソファからは落ちるし!!』

 とりあえず、美冬がいま相当なストレスを抱えていることだけは理解した。

 進は慰める言葉を探すが、寝起きで働いていない頭は回転が鈍い。

 何か言う前に『あんたがうるせえわ!!』というみふママの怒号が聞こえてくる。

 確かに、早朝6時半に奇声を上げられれば迷惑だろう。哀れだが、進は美冬を擁護する気にはなれなかった。

 ただ、可哀そうだな、と。

 進も寂しいと言えば寂しいのだが、彼女の発狂を聞いていたら何となくその寂しさも和らいでしまった。

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