第90話 ご飯をひたすら待ち続けるだけの肉塊
「理系行ってどうすんのかって聞かれて……、返答に困ったくらいかなあ……」
美冬の尻尾をブラッシングしながら進は答えた。
というのも、直前に美冬から執拗に三者面談のことを訊かれたり「お義母さまと喧嘩してませんか?」と確認されまくったりされ、やっと進が折れたという感じだ。
「就職がいいからってやつですよね」
「そう。それだったら文系行けってキッパリ言われた」
「そ、そうなんですか……。でもどうしてです? 文系より難しいとは聞きますけど」
「だからその、難しいから」
単純な理由だ。
「でもそう言われたからって変えたりしませんよね」
「それはまあ、当然……。っていうより、自分が文系行って社会とか歴史勉強してることろが想像できない」
今まで魔法にしたって、化学とか物理とかを勉強して応用してきた。
研究室の手伝いだって、限りなく理系だ。
自分はこっちに行くのだろうと、自然かつ漠然と思っていただけに過ぎない。
そこで、
最近は、あの時に教授が言ってくれたこととか、初花が話してたことを思い出して迷い始めた、良く言えば少し真剣に考え始めたのだ。
つまりハッキリしない奴だ。
「確かに……想像できないですね」
「逆に何なら想像できる?」
美冬は考えた。
普段のほほんとしている人畜無害な彼の、その将来の姿とは……。
「美冬が作ったご飯をひたすら待ち続けるだけの肉塊……でしょうか」
「それただのヒモじゃん……」
「じゃあ、ちゃんと将来のこと考えてください」
将来、と言われても漠然とですら思い浮かばない。
そういったものを考えて生きてこなかったから。
「こーいうときは、『初心に帰れ』ですよ。小さかった頃の『将来の夢』みたいなのってありました?」
「あー最近はユーチューバーが上位に来るやつか。なんかあったっけ……」
幼少期の記憶など曖昧にしか覚えていない。
そういったモノすら無かったのかもしれない。もし有ったとしたら、忘れることはないだろう。
何と無く思い出すのは、祖父に「立派な魔法使いになれ」的なことを言われたような、言われてないような気がする程度か。
「みふって、そういうのあった?」
「当然、ありましたよー」
「へー……、何? どんなの?」
「ご主人様のお嫁さんです。当然、今でもずっとこれですよ。最近は叶いつつあるので安心です」
えへへと笑う。
事実上は嫁。あとは
そして進は彼女の夢見がちな発言にも慣れてきて、それを聞いても生暖かい感情になりつつ美冬の頭を撫でるだけで済ました。
尻尾のブラッシングはほどほどにして。
「まあでも……憧れみたいなのはあったかも」
ブラシにごっそりとついた獣の灰色の毛を指で剥がす。
「憧れですか? えっと、誰……何に?」
「初花ちゃんとか姉さんとか」
正直に答えると、美冬の尻尾攻撃が彼の顔を襲う。
「い、痛いっ」
何度も繰り返すひたすら無言の尻尾攻撃で、しかもふわふわの柔らかいやつでは無く強靭な尻尾のムチだ。
やっと、白刃取りの要領で尻尾を掴み攻撃を止めれた。
「だからつまり、魔法以外あんま興味無かったんだって」
今も昔も。強いて言うなら、車に多少興味があるくらいか。モノに対する好奇心が無いわけではない。ただ、ひたすら面白がって熱中できたものは魔法だったし、憧れる存在は魔法が綺麗に使える人だ。
「
「日戸家としては正解なんでしょうけどね」
美冬はまだ少し不服そうだが、受け答えはした。
そして続けた。
「魔導庁に戻る……っていうのも、選択肢に入れてもいいのかもしれませんね」
嫌味などは一切無く言った。彼が魔法が好きで、それにしか興味がないのであれば、それを一番活かせることが良いと思ったに過ぎない。
進は「そうかもね」と答え、ブラシを引き出しにしまった。
今更戻って何になるのか。所詮自分は役立たず。今やっている魔法だとかは、趣味の延長でしかない。
「この間の事件とか、高千穂のところとか、よくお手伝いしてるじゃないですか」
「あれは頼まれただけだし」
言い換えれば、頼まれなければやらない。
一度座り直し、あぐらをかく。手持無沙汰になって、枕元に置いてあるスマホに手を伸ばした。
画面をつけてホームの壁紙を睨む。いつか撮った夕焼けの写真。
眺めたところで何もない。
突然、肩に荷重がかかった。
物理的に言うならば、肩に荷重が加わり、垂直抗力で算出される摩擦力と、肩の方向にかかる力が釣り合っている。
物理の問題で、壁に立てかかった棒の系で、棒の角度や荷重、摩擦係数などを求めるものがある。
壁役は進で、棒役は美冬だ。
「本当に、お義母様に何か言われたりしませんでしたか……?」
これまでの話を聞いていて、あの口うるさい人物が息子に対し何も言わないなど、有り得ないと思った。悪く言えば口煩いが、それだけ本当は子供想いの人なのだ。
「……。どうだったっけ……どうでも良すぎて覚えてない」
一瞬の間があった。覚えてない、と言うことは、何か言われたことを否定していないことと同義だ。
真面目に将来のことなどを考えなくてなならない、そんな年頃になってしまっていた。
美冬は何を言ったら良いのかもわからない。そして、決して彼の立場にはなれず、助言もましてや同情などできるわけも無い。
もしそれをしたら、彼に対する嫌味になってしまう。
だから何も言わず、そして妙な衝動に任せて彼の頭を抱きしめた。
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