第9章 冬休みの話
第91話 妹の匂いのローション
秋葉原なる場所に来てしまった。
否、厳密には岩本町だ。
進の高校の最寄り駅が京王線の沿線のため、直通の新宿線に乗り岩本町で降りるほうが楽だから、このルートをたどった。
発端は、美冬の提案からだった。
進の高校の終業式は12月25日であり、リア充共が騒ぐ日だ。
そこで彼女が、せっかく学校が午前中に終わるのだから、以前に雷獣の菊花と約束したとおり、菊花のバイト先のメイド喫茶に遊びに行こうという提案をしたのだ。
で、あわよくばそのままリア充共を焼き殺し──ではなく、自分たちもリア充に混ざりに行こうという魂胆だ。
ただし、秋葉原にそんなものはほとんど存在しない。居るのは陰キャか、リア充のフリをした陰キャである。
駅の階段を登り、地上に出て、左へ進む。和泉橋を渡って、本屋のビルがある角を曲がる。
鉄橋の下をくぐったあたりで横断歩道を右へ、前方に秋葉原駅をとらえながら緑色の建物を横切る。
「あ、ここ、エログッズの店ですね」
だがしかし、ただでは済まないのが美冬という狐だ。
「へえーそーなんだー」
「妹の匂いのローションとか売ってましたよ」
「へええええ」
なぜ知っているのかは置いといて、いや、想像はつくが。
「あとで行きましょうよ」
「行かねえよ。18歳未満入店不可って書いてるし」
「ばれなきゃ犯罪じゃ──」
「制服着てんの、こっちは」
未成年の思春期男子は、そういう恥ずかしいものを微妙に視界の端っこに入れながらできるだけ見ないように歩いた。
そして寒い中暫く歩いて、やっと到着。
さっさとポニーテールのメイドさんが来て、まず一言
「おかえりなさいませご主人様、お嬢様♡」
いらっしゃいませとは言ってくれない。
そして、おかえりなさいもなにも、一回も来たことない。
非常に萌え萌えな魔力を萌え萌えさせながら、萌え萌え。
普段から従者の狐ににご主人様と呼ばれている日戸進という人間でさえ戦慄する。
そして初心な少年は萌え萌えに殺されそうになって正面など見れず、かと言って視線を下の方向に反らせばメイドさんの絶対領域が目に映る。
典型的な、目のやり場に困るというやつだ。
困った先に美冬の方を見やって、そして彼女の黒く見開かれた眼と視線が交差した。
†
二人は席に案内され、一応の“店”のシステムを説明され、注文が決まったら呼べと言われ、そしてやっと萌え萌えから開放された。
「ふっ、汚い足をああも堂々と」
メイドのニーソとフリフリのスカートとの間から見える生足を見ながら、美冬は嘲笑する。
かく言う彼女はロングスカートで足を隠しているが、進に言わせて彼女は美脚である。
そして彼は彼で、萌え萌えウォーター(普通に出された普通の水)を飲んで聞かなかったフリをする。
友人が働いているからとその場の軽いノリで来たは良いが、相当ヤバい世界に来てしまったと言う事は理解した。
「ご注文はお決まりですか? ご主人様」
突如現れたのは、金髪のツインテールメイド。
その顔には見覚えがある。というか、目当ての、菊花その人だ。
話には聞いていたことではあるが、まさしく、ホンモノのメイドである。
「いや決まってないんだけど」
「うるせえ早く決めんだよあくしろよ」
随分と当たりの強いメイドだ。
「あ、じゃあ抹茶ラテください」
そして美冬が決めるのは早かった。だがしかし、メイドの反撃も早かった。
「あ? そんなモンねえよ。ちゃんと言えよ」
美冬は一瞬固まり、意を決したように、そして無の真顔で唱えるように言った。
「もきゅもきゅ抹茶みりゅく、で」
「もきゅもきゅ抹茶みりゅくですね、かしこまりましたお嬢様♡」
美冬はもう適応……しているのか諦めたのか、見事に恥ずかしげも無く言えたのだ。
そして標的はお嬢様からご主人様へ移る。
「ご主人様はどれになさいますか?」
美冬以外、それも知り合いにご主人様と呼ばれる違和感の恐ろしき事。暖房で暑いほどの室内なのに、むしろ寒気がする。
おどろおどろとドリンクメニューをにらむが、どれも言葉には出せないようなものばかり。
ぎりぎりで「萌え萌えこ~し~」という名前のコーヒーだ。ヒーをシーというのは江戸っ子だからか。それともこれがかわいいからなのか。
「あ、じゃあ、これを……」
そして、メニューの文字を指でさして逃げる。普通の店であればこれで通じるはずだ、と一般人は愚考した。
だがここはメイド喫茶である。
「なあ、おい。世界観ってものがあるだろ? なあ??」
決して、一般人が生きれる世界ではないのである。
「萌え萌えこーしー……ください……」
「萌え萌えこ~し~ですね、かしこまりましたご主人様♡」
もしこの世界に世界観があるとしたら、それはきっと、下衆の下々共に羞恥心を擦りつけるための、いわば天上の世界観である。
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