第45話 さっきまで裸見てたくせに······。

 その夜、進のスマホに珍しい人から電話がかかってきた。

 ケント高千穂だ。

 美冬はちょうど風呂に入っている最中なので、そういう意味ではタイミングが良かった。

 居留守を使うことも考えたが、進はとりあえず出ることにした。


『もしもし? 進かい?』 

 適当な挨拶に、肯定の意味で「ぁぁ」と適当に返す。

『夕方はお疲れ様。あの後、報告も済ませたよ。そのうち君の家に菓子折でも届くんじゃないかな』 

「別に要らないんだけどなぁ、そういうの」

 半年間会わなかったブランクを感じないほど、自然な挨拶だった。

「それで、わざわざ電話してくるんだから。なんの用事?」

『いや、用事があるわけじゃないんだが。親友と話すのに理由が必要かい?』 

 親友、ケントは進のことをそう言う。 

 事実、ある特定の価値観以外なら、進と高千穂はわかりあえるものは多い。また、同じ召喚術士、魔獣使いのよしみもあった。

 そして、純粋に仲が良い。

 ケントは、進が理解できない価値観を持っている。だが、基本は、本当に良いやつだ。そして、その価値観というのも、進が理解できないだけで、人間として本当に正しいものだ。

 それでも、進は、ケントを親友と呼べない。だから、一方的に「親友」と言われることに違和感を感じると共に、申し訳なさも感じている。

「まあ、別にいいんだけど……」 

『安心してくれ。もう、君の使い魔を貰いたいなんて言わないさ』 

「それはありがたいよ」

 進が妖退治の仕事を辞める際、「その使い魔、使わないなら貰う」と言われたことがある。 

 

 ここが、彼らのわかりあえない価値観だ。


『なんて言うか、君がやめてから半年以上が経つけど、色々やりづらいね。初花さんも辞めてしまったし。願わくば、君たち2人には今すぐにでも復帰して欲しいよ』

「あはは、いやー平和な日々を一度手に入れると、手離したくないもので〜」

 今のゆったりとした日々が、丁度いい。

 先程みたいに、一緒にご飯を食べて、一緒に寝る、そう言う日常が似合っているのだ。

『全く、羨ましいね。そうか、君はもう復帰する気は本当にないんだな』

「……。ケントも引退すれば?」

『冗談がキツイな。僕はこれしか出来ないよ』

 彼の口癖だ。

『それで、最近どうだい?』

「教授がうるさい」

『心中お察しするよ』

 進がよく手伝いに行く教授は、魔術師界隈では有名人で、話題にするには楽で良い。

『魔法使いはまだやめてなかったんだね』

「まあ、そっちは」

『そういえば、君が組織を抜けた理由を聞いたことが無いな』

「大した理由じゃ無いけど」

『聞いてもいいかい?』

「……。」

 進は一瞬悩んだ。

 あまり、あの時期のことは思い出したくないし、言いふらしたくもない。

 ケントに対してなら、その限りでは無いが。

『組織がブラックすぎて嫌気がさしたのと、力不足を痛感したから』

『組織が腐ってるのは同意するけど、後者は意味がわからないな』

「美冬を使うこと以外に出来るコトが無さすぎたって意味と、美冬もまともに扱えなかったって意味」

『そうかい? お世辞じゃなく──』

「今日、戦った時、美冬の魔力制御を掌握しても美冬の魔法に着いていけなかった」

 五虎退と水神切の同時抜刀、跳躍、帯魔力斬撃、体の保護、あらゆるものを同時に行おうとした時、繋がりが狂った。

 他人からは見てわからない。本人達だけが気付けた事だ。

『なら。君が実力不足だったとして、努力はしたのかい? それを乗り越える努力を』

「それを言われたら、耳が痛い。したつもりはあるけど。なんか、辛くなって辞めたくなった」

 一向に伸びない己の実力に。いや、自分達の実力に。

「あぁ」

 その時、とある事が何となくわかった気がした。こうして昔のことを思い出しながら、見たくなかった事実に、今になって直視出来るようになってわかったことがあった。

『どうしたんだい?』

「いや、何でもない。そろそろ切るよ。怒られそうだし」

『あ、うん。また今度連絡する。頼みたいことも出来そうだし』

「なにを?」

『それはまたおいおい。じゃあ、お姉さんによろしく言っといて』

 朝乃の事は諦めていなかったらしい。

 進は「はいはい」と適当に受け流し、電話を切った。

 

 同時に、風呂場の方から「ご主人様ぁ、タオル取ってくださぁい」とか細い声がした。

 ハッとして、窓際の物干し竿を見てみるとバスタオルがぶら下がっている。

 この家では、バスタオルは使ったら部屋干ししておく習慣があり、風呂に入る時にそれを持っていく仕組みだ。

 だから、忘れると、取ってもらう事になる。

 美冬の実家、月岡家考案のシステムである。

 進はいそいそとそれを持って、風呂場まで向かった。脱衣所に行くと、美冬は風呂の扉から顔だけ出して寒そうにして待っていた。

「なに、どうしたの?」

「電話してたので」

「呼べばよかったのに。電話中でもそのくらいできるし」

「邪魔したらまずいかなあ、と」

「内容聞いてた?」

「少しだけ」

「別に大した話じゃ無いんだけど」

 美冬は狐故に非常に聴覚が優れている。

 風呂場から、進の通話の音など余裕で聞き取れてしまうのだ。だから、彼女は「少しだけ」と言ったが、全部聞かれている。

 進は美冬を風呂場から若干無理やり引っ張り出し、タオルで包み、頭を拭く。

「え、なんです??」

「なんとなく」

 シナシナになったキツネ耳を集中的にふにふにしてやると「にゃぁあぁぁ……きもいぃ……」と微妙な反応をする。

「だからなんでにゃーなんだよ」

「狐はこうやって鳴くんです〜」

「猫じゃん」

「猫が狐の真似をしてるんです!」

「ええぇ」

 謎理論にいくつか疑問を抱きながらも、撫でるようにしながら美冬についた水滴と水気を身体中拭いた。

 美冬は秋冬用のモコモコしたグレーのワンピースのパジャマに着替えた後、ドライヤーで髪を乾かし始める。同時に、進は魔力で空気にエネルギーを与えて発熱させ、シナシナの尻尾を乾かしていく。

「風呂入る時くらい、尻尾しまえばいいのに」

「いや゛です」

 普段、美冬の尻尾は進が乾かしているから、手間を考えて欲しい、と進は切実に思った。

 以前は髪を乾かすドライヤーと、尻尾を乾かすドライヤーの、ドライヤー2台体制だったが、進の魔法で乾かせることが判明して以来、ドライヤーは1台になった。 

 ドライヤー2台はさすがにうるさい。

「この体勢、ずっとみふのパンツ見えてるんだけど」

 しゃがんで、尻尾を両手でつかんでいるという格好。

「さっきまで裸見てたくせに。ご主人様へのサービスですよ」

「もう見飽きてるんですがそれは」

「ぶった切りますよ」

「すみません……」

 ある程度乾かしたら、居間に移動する。

 仕上げのブラッシングをしなくてはならない。本当なら尻尾くらい美冬一人で出来る。だが、進にやらせている。

 主が使い魔にこき使われている状況である。

 美冬は寝転がったり、座ってテレビを見たり、漫画本を読んだりスマホをいじったり、と日によってまちまちだが、寛いでいる。

 今日は風呂上がりのアイスを食している。夕方、進が帰りに買ってきたものだ。

 犬用のブラシでブラッシングをして、冬毛で正真正銘モフモフになった。


 この、ふわふわでもふもふの尻尾も、抜刀で刀剣を憑依させれば、万物を切り裂く刃となる。

 それを考案したのは、進だ。


 ふと、抱き締めてみる。シャンプーの香りがふんわりと漂ってくる。すると、尻尾がサラリと揺れて、進の顔を撫でた。擽ったいが、心地よい。


「みふ。みふは、俺が魔導庁を抜けて──」

「今が一番いいです」

 進が言いたいことなど、美冬は言われなくてもわかる。

「ご主人様は、戦うこと以上に、研究する事の方が楽しそうにしてます。教授のところにお手伝いするようになってから、すごく楽しそうにしてますし」

「そうかな」

「周りの目も無く、萎縮することなく、焦ることなく、気持ちに負荷をかけてない今の方が、断然良いです」

 美冬はそのまま進のあぐらの上に乗った。

 2人が小さかった頃はよくやっていたが、中学に入ってからは、狐の状態以外ですることは無くなっていた。

 美冬は甘え上手だ。

「それに、毎日、美冬と一緒にいれて幸せですよね。違うとは言わせませんからね?」

 同時に、色々と強い。

「そだな」

 細い声で呟いて、美冬の髪を撫でた。

「何かに焦ることなく、みふと2人で居れるのが一番いい」

「ま、学校のお勉強には焦って欲しいですけど」

「厳しいな。俺のお母さんかよ」

「いいえ。嫁です」

 

 ケントから電話がかかってきて、美冬に言われて、半年以上かかってやっとわかったことと、5年ほどかかってやっと気付いたこともあった。

 進は自嘲した。

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