第67話 マックスウェルの悪魔……。我に力を……

 朝が来て、いつも通り弁当を作り、いつも通り主を送り出す。いつも通りの静かな日常。

 

 バタンと扉が閉まり、急いで歩いていく進の足音を、暫くその場で聞いた。

 

 頭が痛い。

 酷く体がだる重い。

 美冬は、つけっぱなしのテレビを、テーブルにだらけながら見た。

 ちょうど天気予報をやっている。

 発達した低気圧が〜とお決まりのわかりやすいワードをキャスターが言ってくれるおかげで、つまり天気が悪いということがすぐにわかった。

『夜には都内でも雷を伴う場所が──』

 それは困る。

 美冬は、雷が大の苦手だ。

 とにかく怖い。音も、空気も何もかも。

 

 体がだるいのに、雷まで来られたら、ダブルパンチも良いところだ。

 

 風でもひいたか。

 昨日と一昨日は人混みにいたから、バイ菌でも貰ってしまったか。にしては、潜伏期間が短すぎる気もする。

 その前にどこか出掛けたわけではないが。近所のスーパーで貰ったのだろうか?

 とりあえず今は寝ていよう。寝てれば、すぐ治るはずだ。


 †


 文化祭の片付けに勤しむ生徒たちは、準備期間以上に忙しく動き回っていた。

 準備の時よりもスケジュール的には円滑だが、制限時間は長くない。

 進も、動き回るうちの一人だ。

 特に、ビニールプールに入った水を抜く作業に手間取っていたのだ。


 場所は校舎の1階。

 入れるときはトイレの水道からホースを伸ばして流し込むだけで良かった。

 流すときは、校庭まで大人数で直接プールを担いで持っていくか、バケツリレーで出すか、どうにかしようということになっていたが、その計画性の無さが今、学生達に刃を向けていた。

 

 ビニールプールが、微妙に大きいのが難点だった。となると、水だけで非常に重い。


 そこでとった手段は、途中までバケツで水抜き、ある程度軽くなったらプールごと持っていくという方法だった。


 だが進は一人だけ、とても虚しい気分を味わっていた。

 唯一それを打ち明けられるのは、菅谷飛鳥のみ。

 バケツで水を運んでいる最中、丁度彼女と隣になって歩いていたから、それを吐露した。

「俺さ……熱を操る魔法得意なんだよね……」

 菅谷飛鳥は霊感を持っているし、進が魔法を使える事を知っている。

「ってことはつまり」

 彼女も察する。

「あのくらい、魔法で全部蒸発させられるんだよね」

「それがわかってるのにやれないのって……」

 教室がサウナになることを我慢すれば、とても楽なはずだ。

 しかし、魔法をこんなところで使うわけにもいかない。

 人類はなぜ魔法を受け入れなかったのか。

 ロバート・ボイルが四大元素を否定したり、アントワーヌ・ラヴォアジェが質量保存の法則を世に齎したり、世界中の学者がマックスウェルの悪魔をこぞって殺そうとしたりさえしなければ……魔法は有り得たはずなのだ。

 進が得意な熱魔法はエネルギーは高から低へ、という熱力学第二法則を破り、低い方から高い方へ与えるという行為が出来る。また、系に存在するエネルギーの中で、高いものと低いものを分けるという行為。魔力を用いて行うこれらの作業を、魔法としている。

 ヒートポンプの上位互換とも言えよう。


 だが簡単なことではない。

 理屈もほとんど解明されていない。

 元々は、雪女の冷気を発する妖術を改造していくうちに出来上がったものだ。


 心の中で、人類を発展させてきた偉大な科学者達に文句をたらたら垂らす。

 全人類が魔法を使えるかと言われれば決してそうではない。

 それに、魔法だとABC兵器以上に命を消し去ることも出来る。

 力の不平等や、力の持つ恐ろしさを考えると、今の世界のように、魔法は存在しないものだとするのがちょうどいいのかも知れない。


 だからといって、本当なら全部蒸発させて取り除ける水を、こうしてバケツで運び出すという面倒臭い事を喜んで出来るか……というと、それはまた話が別だ。


「マックスウェルの悪魔……。我に力を……」

 溜息の後に、嘆く。

 悪魔と契約を結ぶ、魔法使いの鑑である。


 †


 やっとプールごと運べるほどに水が抜けて、その場にいたもの総出で運び出す。

 校庭の排水口まで必死に運び、水を流す。

 プールの数は3つ、あと2つ残っている。

 一同、もううんざり、という顔だ。


「なんか、ほんとに終わっちゃったんだね」

 飛鳥が呟く。

 それを進が隣で耳にする。

 独り言なのか、自分に言っているのか、進は反応してやるべきか悩む。

「少なくとも来年もあるだろ?」

「今年のは今年だけ。それに、必死に準備して、2日間やって……。ほんとにあっという間というか、呆気なかったって言えばいいのかな」

 水はすべて流れきる。

 あと2つ。同じ作業をしなければならない。

 時間がかかったバケツも、やってしまうとあっという間だ。


 飛鳥は、伸びをした。

「よーしもう2つ頑張ろー!」

 そして、ぱあっと表情を変える。

 クラスの人気者の彼女が鼓舞すると、周りも同調する。 

 クラスメートたちは、ぞろぞろと教室に帰還する。

 進もその流れに乗る。


 途中、菅谷飛鳥に訊かれた。

「昨日の白い子、あとで大丈夫だった?」

 多分大丈夫ではなかった。

 いや、全然大丈夫ではなかった。

 そんな身内の事は、他人には言えない。

 進は、「大丈夫だったよ。心配してくれてありがとう」と模範的に答えた。

 ふと、窓の外に視線が行く。 

 雨が降り始めた。

 傘は持ってない。

 これから酷くならない事を願うばかりだ。

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